81:月夜の役者たち
笑顔だったティファニーとコンラッドが、一転して怪訝な表情を浮かべる。
それでも僕は、大事な説明を続けた。
後戻り出来ないことだからこそ、失礼を承知で疑ってかからないといけない。
今回の魔法が〝呪い〟にならないためにも。
「僕の魔法は強い思いを具現化します。けど、その細かい内容まで僕には分かりません。おふたりがどんなに話し合っていても、思っていたのと違う顔になる可能性もあります」
僕の発言に、コンラッドの視線がティファニーに移った。
「どんな顔になろうとも、オレは君を愛するよ。ティファニーの外見じゃなく、内面が好きなんだ」
「……コンラッド……」
2人がうっとりとお互いを見つめ合う。
けれど僕は構わずに続けた。
「それともう1度言いますが、この魔法はかけてしまうと、いかなる時も解けません……僕は、いろいろなお客様を見てきました。この魔法で外見を変えると、必ず後悔する瞬間が訪れます。だから、違う解決方法があるなら、まずそれを試すべきだとも思っています」
「…………」
「それでも……顔を変えますか?」
僕は、これまでに外見を変えてきたお客様のことを思い返していた。
この前会ったグレッグだってそうだ。
恋人が望むように瞳の色を変えて、裏切られた時にはひどく後悔していた。
ティファニーが悩む僕を安心させるように、ふっと口元を緩めた。
「後悔する時もあるでしょう。けれどそれを承知でお願いするわ」
僕に向けられた彼女の揺るがない眼差し。
その緑色の瞳の奥に、固い決意を感じた。
「……分かりました。ではこちらの契約書にサインをしていただきます。その前に一通り、契約内容を説明させていただきますね」
ティファニーの意思に納得した僕は、右手の上に魔法の契約書を出現させた。
ーーーーーー
「……それでは、この魔法陣の上に立って下さい」
僕が案内した店の一角に、ティファニーが静かに移動した。
天井から降り注ぐ蒼い月の光が、彼女を照らす。
その光をまとい凛とした表情で胸を張る姿は、舞台の一幕かのようだ。
同時に、この場の空気はすっかりティファニーが支配していた。
本人にその気がなくても、舞台女優としての天性の素質が、滲み出てしまうのだろう。
「じゃあ、魔法をかけますね」
微かな緊張感の中、ティファニーの前に立った僕が告げる。
彼女がニッコリ笑って頷くと、張り詰めていた空気がふっと緩んだ。
僕も肩の力を抜くと、目を閉じて呪文を紡いだ。
ティファニーに向けられた数多くの思い。
彼女が有名になるまで頑張って来た証。
その中から、彼女を救いたいと願うコンラッドの思いを汲み取っていく。
蒼願の魔法で、どうか……
彼女が幸せになりますようにーー
僕の呪文に呼応して魔法陣が強く光ると、部屋は蒼い光で満たされていった。
ーーーーーー
魔法をかけ終える頃には、あたりは静まり返っていた。
僕がゆっくり瞼を持ち上げていると、突然の大声がその静寂を引き裂く。
「あっはっはっはっは!!」
声の主は、ソファでのけ反って笑うコンラッドだった。
彼は額に手を当てて、天井を仰ぐように笑い転げている。
少し落ち着くとニヤニヤと嫌らしい笑みを浮かべ、ティファニーへと目を向けた。
「まさか、こんなに上手くいくなんて」
彼の向かいに座るジゼルが、すくっと立ち上がって叫ぶ。
「っひどい!! わざとなのね!?」
彼女は両手の拳を握りしめ、怒りに震えていた。
「…………コンラッド? 何を言ってるの?」
掠れた声が、すぐそばで不安げに揺れた。
胸の奥がざわつくのを感じながら、僕はゆっくりとティファニーの方へ顔を向ける。
そこには、皺だらけの老女の顔をしたティファニーが立っていた。
「っ!?」
僕は言葉を失った。
その僕の表情からティファニーも何かを悟ったのか、震える両手でそっと自分の頬に触れる。
「……何これ? どうなっているの!?」
彼女が窪んだ濁った目を僕に向けた。
ティファニーの面影を唯一残す、緑色の瞳で。
「っ……顔が…………」
僕が言い淀むと、ティファニーはジゼルを見た。
「鏡を……鏡を貸してちょうだいっ!!」
彼女の取り乱した声に、ジゼルが弾かれたように家の奥へと駆けていった。
僕は鋭い視線をコンラッドに投げかけた。
「どういうことですか?」
「どうもこうも……」
彼は相変わらずニヤニヤしながら立ち上がると、ティファニーの元へ歩みを進めた。
もったいぶったかのように、彼女とゆっくり対面する。
「もともと蹴落とそうと思って近付いたんだ。オレたちは君を深く憎んでいたから」
「……オレたち?」
ティファニーが弱々しい声を出すと、コンラッドはニヤリと口元を歪めた。
そして店の入り口に向かって声をかける。
「ヴィヴィアン! 上手くいったぞ!」
彼の呼びかけに応じてガチャリと開いた扉から、黒髪の美しい女性が入ってきた。
ティファニーとはまた違った華やかさをまとう女性は、老女になった彼女を見た途端、お腹を抱えて大笑いした。
「きゃははは! 本当に醜くなってる! いい気味だわ!!」
ヴィヴィアンはカツカツとヒールを鳴らしてコンラッドのそばに行き、彼の腕にまとわりついた。
ニィッと悪意ある笑みを浮かべて、縮こまっているティファニーを見下ろす。
「人気が出過ぎたから女優を辞めたい? 普通の人に戻りたい? そんな甘ったれたこと言うものだから、すんごく腹が立ったの。だからコンラッドと計画して、不幸のどん底に突き落としてやっただけ」
ニッコリ笑ったヴィヴィアンが、コンラッドの肩に顔をこてんと乗せる。
コンラッドたちの裏切りにティファニーが凍りついていると、手鏡を手にしたジゼルが戻ってきた。
いきなり現れたヴィヴィアンにギョッとしながらも、ジゼルは手鏡をティファニーに手早く渡す。
ティファニーは恐る恐る手鏡を受け取ると、そこに映る老女の姿と目が合ってしまった。
「…………これはっ」
彼女が顔を歪めると、更に深い皺が顔に刻み込まれた。
窪んだ目の横に涙が浮かぶ。
「うぅぅ……」
とうとうティファニーは崩れ落ちてしまった。
魔法陣の上にへたり込んだ彼女の背に、一緒にかがんジゼルがそっと手を添える。
けれどティファニーは両手をつくと、額が床にくっつくほど項垂れた。
「…………全部嘘だったのね。ひどいわ。普通の生活に戻りたかっただけなのに……」
床に向かって涙を流すティファニーに、ヴィヴィアンがケラケラ笑って返事をする。
「ひどいも何も、あんたが望んだことでしょ? 誰も自分のことを知らない人生を過ごしたいって。その顔でも出来るじゃない!」
そこにコンラッドも加わった。
「君が居なくなることで、オレたちにも舞台で主役を貰えるチャンスが巡ってくる。正直せいせいしたよ。人気が欲しいオレからしたら、君の愚痴を聞き続けるのは辛かった。幸せな悩みだと気付かない、愚かな君の相手はもううんざりだ」
「そんなっ……コンラッド……」
顔を上げたティファニーが、ポロポロ涙を流しながらコンラッドを見た。
コンラッドとヴィヴィアンは見つめ合い、どこか妖しく満ち足りた表情を浮かべた。
成り行きを見守っていたジゼルが、ティファニーのそばから静かに身を起こし、ニヤニヤ笑う2人を睨みつける。
「私たちを……ディランの魔法を、利用しましたね?」
聞いたことのない低い声を、ジゼルが発した。
その威圧感に、一瞬たじろいだコンラッドがムッと顔をしかめる。
「オレは知ってるぞ。蒼刻の魔術師は『呪い』をかけることが出来るって。呪いをかけたくてこの店に来たんだ。何が悪い!?」
「何が悪いって、呪いじゃないように巧妙に隠していたじゃない!? ディランは呪いなんてかけたくないのに! ただティファニーさんの幸せを望んでいたのにっ…………!!」
興奮したジゼルが大きく息を吸って続ける。
「そんな優しいディランの思いを踏みにじったり、ティファニーさんを平気で蹴落としたりする人なんか……他人の気持ちが分からない貴方なんか、役者として成功するわけないっ!!」
ジゼルが真っ直に相手を見据えて、思いの丈をぶつけた。




