8:夜空を駆ける
蒼い月が空高く昇る夜。
外を出歩く人もいない静まり返った街は、まるで時がとまったかのように蒼い光に満たされていた。
路地裏の奥にも蒼い月明かりが入り込み、ひっそりと佇む古いお店を照らしている。
その扉には、珍しく『close』のかけ看板がぶら下がっていた。
店主と友達の猫はどこに行ったかというと……
蒼い夜空をホウキに乗って、彗星のように横切っていた。
「はぁぁ。やっと5人目が見つかったぁ」
僕は大きなため息をつきながら、ジゼルの頭に顔を乗せた。
少女姿の彼女は、いつもの定位置でホウキにまたがっている。
「フフッ。お疲れ様〜」
前から楽しそうに笑う彼女の声が聞こえた。
わざとなのか、耳をピコピコ動かして僕の顔をくすぐる。
僕はタナエル王子からの『彼の死を願う人たちを全て見つけ出す』という任務をこなすために、王宮に連日通っていた。
そして今日ついに、全員見つけ出すことが出来たのだ。
これでもう、王宮に行かなくていい。
…………多分。
タナエル王子から、別の用事で呼び出しがなければ。
僕は〝王子が僕から興味をなくしますように!〟と願いを込めながら顔を上げた。
目の前には満点の星空が広がっている。
こんな日の空の散歩は、気持ちがよくて大好きだ。
王宮に出向くことから解放され気が緩んだ僕は、ちょっとした願望が口からついて出た。
「褒美も沢山もらったことだし、どこか海外に旅行でも行こうかな」
それを聞いたジゼルが、素早く振り返って僕を見る。
「ディランも遠くに行っちゃうの? やだ〜! 私も行きたい!」
ジゼルは眉を下げて泣きそうになっていた。
「すぐには行かないし……ジゼルはウィリアムの飼い猫だから、連れていけないよ」
「…………ウィリアムもどこか遠くに行くかもしれないの。私が人間になったら着いていける?」
ジゼルが真剣な眼差しで僕に問い詰めた。
僕の説明が悪かったのか、彼女は猫のままだと海外に行けないと勘違いしたらしい。
訂正しようと僕は口を開いたけど、それより先にジゼルが喋り出した。
「実は最近ウィリアムがよく〝人間のジゼルになって欲しい〟って私に言うの。だから……」
ジゼルの青い瞳が真っ直ぐに向けられ、少しだけ言い淀んだ彼女が言葉を続ける。
「私、人間になりたいの」
「…………」
僕は思わずジゼルに意識を集中させた。
すると、たしかに感じることが出来た。
おそらくウィリアムからであろう『ジゼルが人間になって欲しい』という思いを。
ただその輪郭は朧げで、まだ魔法で具現化出来るほど強くはなかった。
たまに飼い主が、愛犬や愛猫に抱く思いだろう。
人間と動物では寿命が違う。
だから大事なペットたちのために〝ずっと一緒に過ごせますように〟という思いの変化系で『彼らも人間になってしまえばいいのに』という願いを抱いたりする。
僕はジゼルを安心させるために、穏やかな笑みを浮かべて彼女の頭をヨシヨシした。
そしてすぐに手をホウキの柄に戻す。
僕はホウキに2人乗りをして、片手運転を長くは出来ない。
蒼刻の魔術師は、蒼の魔法以外は基本下手なのだ。
ふぅ。
極力焦りを顔に出さないように、上手く撫でれた。
カッコつけたまま笑う僕は、優しくジゼルに告げた。
「……ウィリアムはジゼルに人間になって欲しいと思ってるけど、蒼願の魔法に出来るほど強くないよ」
「…………」
ジゼルが目に見えてシュンとした。
「でもジゼルと〝ずっと一緒にいたい〟というウィリアムの思いでもあるから、たとえ遠くに行ったとしても一緒にいられるか、すぐ戻ってくるかで大丈夫だよ」
「……本当?」
不安気に僕を見ながらも、彼女が首をかしげた。
その時だった。
こんな時間に珍しく、空をホウキで飛んでいる他の魔術師がいた。
僕らに気付いたその魔術師が、並走しながら話しかけてくる。
「変わった魔術師がいると思ったら、ディランくんじゃないか」
「ナフメディさん!」
僕は弾んだ声をあげた。
遠い親戚のナフメディさんだった。
彼は放浪の蒼刻の魔術師。
1人フラフラと世界を旅している、渋くてかっこいい男性だ。
僕より10歳以上年上のナフメディさんは、気さくなお兄さんみたいな存在だった。
そんな彼が、しげしげと僕らを眺めてから口を開いた。
「ディランくん、絵面がやばいな。少女を抱きかかえてニヤニヤしながら空を飛ぶ、不審者じゃないか。しかもよく見ると……猫のお嬢さん?」
「っ!? ジゼルみたいな可愛い猫に懐かれたら、誰だってニヤニヤするでしょ!? 各地で浮き名を流しているナフメディさんに、言われたくないですね!」
僕は思いきりしかめっ面をして、フイッと顔を背けた。
「えへへ〜。ディランに可愛いって言われた〜」
1人呑気にはしゃぐジゼルの声が響く。
僕らの様子に苦笑しながらも、ナフメディさんが尋ねてきた。
「今日は蒼い月の日なのに、お店はしてないのかい?」
「……実は、王太子様からの要件を連日こなしてたんです。だから疲れてて、今日はお休みです」
「あちゃー。王族に目をつけられたのかい? 難儀だねー」
「どうせなら、王子様よりお姫様から気に入られたかったな……」
僕とナフメディさんが喋っていると、ジゼルが割って入ってきた。
「ディランは前に来たお姫様が好きなの? そう言えばデレデレしてた!」
彼女は何故かプンプン怒っていた。
クリスティーナ王女の正体を、ジゼルに説明していなかったけれど、彼女も高貴なお方が来たことは分かっていたみたいだ。
「……好きというか……綺麗な人だったなぁとは思うし、どうせ王宮で会うなら可愛い女の子がいいよねって話だよ」
「なんか、やだー!!」
ジゼルがプイッとして前を向いた。
スカートの裾から覗く、尻尾の毛が逆立っている。
自分だけを可愛がって欲しいという猫らしい嫉妬かと思い、僕はクスッと笑いながらナフメディさんを見た。
「ほら、ナフメディさん。とっても懐かれているでしょ? と言っても僕の飼い猫じゃないんですけどね」
「なんか、いろいろ残念だな。ディランくん」
ボソボソと呟いたナフメディさんの目つきが、可哀想な人を見るものに変わっていた。