74:ジェマとレイ
決心を固めたジェマが、しっかりと僕を見て告げる。
「レイを人間にして下さい! 大変なことを理解しました。けど、レイとお喋りしたいし……寿命を私と同じにしたいんです!」
……愛するペットを人間にしたい。
その気持ちの行き着く先はーー
〝自分と共に長く生きて欲しい〟
そして愛されているペットは、大抵飼い主に対して『ずっと一緒にいたい』と思っている。
だから成立してしまう。
蒼願の魔法の条件が。
慎重になるべき問題だけど、ジェマの思いは強く、レイにとってこの魔法が呪いになるかどうかの判断は、非常に難しい。
……でも、優しい飼い主なら、後でペットが元に戻りたいと考えるようになったら、気持ちが同調する。
それが強い思いにまで育つと、また魔法で戻してあげるような事もあった。
「分かりました。ではこちらの契約書にサインをお願いします。その前に一通り契約内容を説明させていただきますね」
僕は右手の上に魔法の契約書を出現させた。
そしていつも通りに、契約内容を丁寧に説明していった。
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僕は店の扉を開けて、ジェマと青年の姿になったレイを外へ通した。
そのあとに僕とジゼルも続き、彼女たちを見送りに出る。
蒼い月明かりの元、幸せそうに笑うジェマとレイの姿があった。
丸っこいもふもふだったレイは、ふわふわパーマの人懐っこい笑みを浮かべる男性になっていた。
ジェマは自分より背丈が高くなったレイに、腕に抱きつかれたまま僕に頭を下げる。
「ありがとうございました」
「どういたしまして。何か困ったことが起きたら、いつでも相談しに来て下さいね」
「はいっ」
ジェマがずっとニコニコしているものだから、レイも彼女の顔を覗き込んで笑っている。
もし尻尾があれば、パタパタ振っていそうな様子だった。
2人は僕たちにくるりと背を向けると、ゆっくり歩き始めた。
「レイ、もう少し自分で立って歩いてくれる?」
「……後ろ足だけで歩くの怖い」
「そっか」
「あと、眠くって」
「いつもは眠っている時間だもんね」
「……時間?」
ジェマとレイは、楽しそうにずっとお喋りしながら去っていった。
僕とジゼルは、その小さくなっていく背中を静かに見つめてから、店の中に入った。
ジェマたちに出していたティーセットを片付けながら、僕はジゼルに声をかけた。
「今日はもうお客様が来ないだろうから、ちょっとリビングで話そうか」
「?? うん。分かったよ」
ジゼルが不思議そうに瞬きしながらも、こくりと頷いた。
片付けを終えた僕たちは、リビングのソファに隣り合って座った。
心なしか緊張しているジゼルに向かって、僕は優しく問いかける。
「ジゼルにずっと聞きたかったんだ。本当にこのまま人間でいたい?」
「…………どういうこと?」
「ウィリアムさんの願いで人間になったでしょ? ジゼルの願いじゃないよね」
「…………」
無言になったジゼルが、その穏やかな青い瞳を真っ直ぐ僕に向けた。
「ごめん。気になってたんだけど、ウィリアムさんを亡くしたばかりに聞くのは、可哀想だと思って……しばらく時間を置いてから、きちんと確認したかったんだ」
僕がそう熱心に告げると、ジゼルは僕を見つめたまま、静かに涙を流した。
「確かにウィリアムの願いで人間になったけど……私、ディランのことが大好きだから、人間のままでずっと一緒にいたい。ディランは私が猫に戻っても平気なの?」
僕は慈しむようにほほ笑むと、彼女の涙を人差し指で優しく拭って返事をした。
「だから……ジゼルが望むなら、僕が猫になってもいいんだよ?」
メソメソ泣いていたジゼルがピタリと止まる。
「私が猫に戻りたいって言ったら、ディランも猫になるってこと?」
「うん。僕もジゼルと、これからもずっと一緒にいたいから。人間でも猫でも、僕のお嫁さんになって欲しい」
「!! ディランッ!」
ジゼルが僕に飛び込むように抱きついてきた。
しっかり抱き合うと、笑い泣きしている彼女の声が僕の耳をくすぐる。
「嬉しい! しかも私のために猫になってもいいだなんて、すごくディランらしくって優しい言葉だね! あははっ!」
「そこで笑っちゃう?」
「だって、ディランと2人で猫になるだなんて、思ってもみなかったから」
ジゼルが本当に嬉しそうに笑い、体を揺らした。
そんな彼女の顔を覗き込むと、ジゼルはニマニマと笑いながらこちらを見つめ返す。
「それでどうする? 猫と人間どっちがいい?」
「このままがいい。その方が長い時間を、ディランと過ごせるでしょ?」
「そうだね。じゃあこのままで……」
僕はジゼルに顔を近付けて目を閉じた。
彼女の唇にキスを落とすと、ゆっくり顔を離してお互いをじっと見つめ合う。
「…………」
「…………」
「すみませ〜ん」
その時、ドアノッカーを控えめに叩く音と、誰かが訪ねてきた声がした。
僕とジゼルは揃ってビクッとした後に、いそいそと扉に向かった。
「はーい」と言いながら扉を開けると、さっき帰っていったはずのジェマとレイが立っていた。
眉を下げたジェマが、窺うように上目遣いで僕を見る。
「早速でごめんなさい。レイがトイレの仕方が分からなくて困っていて……」
「あー……分かりました。僕が説明します。レイはこっちにおいで」
「うん」
レイは素直に僕のあとをついてきた。
「すみません」
ジェマが恐縮して身を縮こませている。
僕は笑い返しながら、生活スペースの奥へと彼を案内した。
「ジェマさん、こちらで待っていましょう」
ジゼルが談話スペースのソファに案内し、2人はそこに座ることにした。
「…………」
ジェマが腰掛けながら、物言いたげにジゼルを見つめる。
それに気付いたジゼルは思わず弁解した。
「猫の私は、蒼い月の日に魔術師となら喋ることが出来たんです。それで飼い主の元にいた女性の魔術師に、トイレの仕方を説明してもらいましたよっ!」
「そうなんですね……他の難関はなんでしょうか?」
ジェマは予想していなかった出来事に、戸惑いの表情を浮かべていた。
「うーん…………」
ジゼルはジゼル・フォグリアの記憶が宿ってからは、とくに困ったことはなかったけれど、それでも考えられることを挙げてみた。
「……お風呂とかでしょうか」
「すみません。また来るかもです」
ジェマが両手で頭を抱え込んだ。




