66:大切な人
イグリスとの闘いで無事に勝利を収めた僕たちは、ひとまず前線基地で休息をとった。
ジゼルは一晩ぐっすり眠るとすっかり元気になり、翌日には撤収作業も終えて帰る準備も整った。
その翌朝、みんなに別れを告げた僕らは、来た時と同じ馬車に乗り込み、前線基地を後にして王都へと向かった。
「あの〜、ディラン? ずっとこうしているの??」
馬車にゴトゴト揺られる僕の腕の中から、ジゼルの困惑した声がした。
僕は彼女を、緩く開いた足の間に座らせて、後ろから抱きしめていた。
「まだ心配だから……ジゼルが死んじゃったかと思ったショックが、まだ抜けないから……」
「ディランの心配性が炸裂しちゃった。……私はもう元気だから大丈夫だよ」
ジゼルは肩に回されている僕の腕を、胸元あたりでギュッと抱きしめた。
「もしまた闘いに駆り出されたら……ジゼルは家で待っててくれない?」
「えー、私もディランが死なないか心配で、眠れなくなるんだけど……」
ジゼルの不満そうな声が聞こえた。
僕はぎゅうぎゅう抱きしめて、無言で抗議する。
「あのね、ディラン……」
するとジゼルがそっと僕を振り返った。
僕は抱きしめている力を緩めて、彼女の穏やかな瞳を見つめた。
その視線を受け止めてから、ジゼルが続きを喋る。
「ディランが私を守ってくれるように、私もディランを守りたい、のっ…………」
言葉に詰まった彼女の顔が、途端に赤らんだ。
「……だっ……大好きだからっ」
ジゼルはそう言い切ると、ギュッと目を閉じて顔を近付けてきた。
唇に軽く触れるキスをし、プイッと前を向く。
一瞬固まった僕は、すぐにジゼルを抱きしめ直して、彼女の肩に顔をうずめた。
初めてのジゼルからのキスだった。
微かに震えている彼女は、相当恥ずかしいのを我慢しているようだ。
僕はジゼルの耳元で囁いた。
「ありがとう。僕も大好きだよ」
「ふわぁぁ!? ……耳が弱いからってわざとでしょ!?」
怒ったジゼルが、両耳を押さえてキョロキョロと何かを探す。
「に、逃げ場が無いー!!」
「あははっ。本当だね」
その様子が可愛くて、ちょっと揶揄ってみたくなった。
「ジゼルが前に言ってたよね? 何度か繰り返せば慣れるのも早いって。逃げれないんだから、慣れた方がいいんじゃない?」
「…………」
半泣きのジゼルが、僕を振り返ってじとりと見てきた。
予想通りの反応に満足した僕は、彼女からパッと両手を離す。
「なーんて、冗談だよ」
ふいにジゼルが、捻った上半身を僕に向けるように座り直した。
僕の肩に手を添え目を閉じると、唇を重ねる。
頬を赤らめた彼女と目が合った次の瞬間、僕の腰にがっちり抱きついたジゼルが、胸に顔を埋めてグリグリ擦り付けた。
「…………キ、キスぐらい出来るもん。私もたくさん……ディランとしたいし」
ジゼルのくぐもった声が聞こえた。
愛しさがあふれた僕は、思わず彼女の頬に両手を添えて、ジゼルの顔を覗き込んだ。
それから僕らはまたキスをした。
照れる彼女のおでこや頬にもキスを落とす。
お互いの背中に腕を回し緩く抱き合いながら、何度も何度も繰り返した。
そのうち彼女をぐっと抑え込むように深いキスをすると、流石に驚いたジゼルが腕の中でジタバタともがく。
けれどしばらく経つと大人しくなり、僕に身を任せていた。
やがて顔をそっと離すと、首まで真っ赤になったジゼルが潤んだ瞳に僕を映した。
「うぅぅ……恥ずかしい……」
そしてとうとう力が抜けて、くったりしてしまった。
僕は慌てて彼女を抱き止める。
「大丈夫?」
「うん…………あのね、ディランって慣れてる?」
ポーッと熱に浮かされたジゼルが、的外れなことを聞いてきた。
「え? 違うって。僕だって余裕なんかないけど、ジゼルの照れがすごいから……」
少しムスッとしながらも、心の中で〝僕まで照れてちゃ何も進まないし。まぁこれでもだいぶジゼルに合わせてるんだけど〟と付け足す。
「…………ごもっともです」
ジゼルがしゅんと身を縮ませた。
そして窺うように眉を下げて僕を上目遣いで見た。
猫の時のようなその姿に、思わずフッと笑ってしまう。
「いいよ。怒ってるわけじゃないし。でも何で猫の愛情表現は沢山できるのに、人間のは照れるの?」
僕の何気ない質問に、ジゼルが遠くを向いて焦り始めた。
「えーと……何て言ったらいいんだろう? 人間になるまで良く知らなかったのに、ジゼルさんの記憶を通して知識だけはあるんだよねー」
ジゼルが頬を一気に赤くする。
恥ずかしすぎるからか、僕とはいっさい目を合わせようとはしなかった。
「…………」
「だから、ちょっと怖くって……」
ジゼルが気まずそうに笑う。
そっか。
猫だった彼女からしたら、人間の恋愛事情は衝撃的だったのかもしれない。
僕が一人で納得していると、彼女がとんでもないことをさらりと続けた。
「どれが普通なのか、分からないの」
「え?」
「え??」
僕が驚くと、ジゼルも顔を見合わせて驚いた。
そしてブワッと更に赤くなる。
「あ、えっと、その、知識がねっ。本当にたくさんあって、ジゼルさんはお弟子さんから、よく込み入った相談をされてたし。人間って……思わず引いたというか何と言うか……」
しどろもどろにジゼルが言い分を並べる。
「何となく分かったからっ」
僕も赤面して、ついジゼルから顔を背けた。
この話はこれ以上聞いたらダメな気がする。
ジゼル・フォグリアのプライベートを垣間見たいわけではないし……
僕のジゼルに、どんな知識があるのか分かってしまうのも、何か嫌だ。
僕はジゼルの頭を撫でて、彼女を落ち着かせるのと同時に、自分の気持ちも落ち着かせた。
「そのたくさんの知識は、心の中に閉まってて」
「やっぱりそうだよね……そうする。照れるのも頑張って治すね」
ジゼルが申し訳なさそうに、眉を下げて笑いかけた。
「いいよ。照れてるのも可愛いから」
「…………ディラン大好きっ!」
感極まった彼女が、また僕の胸に顔をうずめて、グリグリ擦り付けた。
…………
うーん、生殺しだな……
ジゼルには落ち着いて見えるらしいけど、実はカッコつけてるだけで、内心はものすごく緊張してるのに。
僕は小さくため息をついて、仕方がないなと苦笑を浮かべる。
けれど、ジゼルが恐怖から来る緊張で照れてしまうと知ったから、大切な彼女を怖がらせないように、優しく抱きしめるだけにしておいた。




