65:大切な人
僕は倒れているジゼルの元へ急いだ。
周りの兵士たちから歓声が上がり、王子と姫の元へと群がる。
僕はその人の波に逆らいながら、ジゼルに駆け寄った。
「ジゼルッ……」
彼女の傍らにしゃがみ込んだ僕は、恐る恐る手を伸ばした。
そっと触れた手から彼女の体温が伝わってくると、思わず目が潤む。
僕はうつ伏せのジゼルを、仰向けにしながら抱き起こした。
彼女の服が、お腹を中心に血でぐっしょりと濡れている。
けれど傷そのものは合間にかけた回復魔法が効いたのか、血がじんわり滲んでいるだけだった。
僕は横抱きのジゼルを更に抱き込んだ。
良かった。
どうにか無事で……
ジゼルの顔に頬を寄せながら、僕は丁寧に呪文を唱えた。
目からは勝手に涙があふれ、ジゼルの顔まで濡らしていく。
すると僕たちを中心に、白く光る魔法陣が地面に展開された。
暗闇の中を、僕ら2人だけが静かに浮かび上がる。
ここだけが、ぽっかりと風景から切り取られたみたいだ。
……蒼願の魔法で、他の魔法を強化しといて本当に良かった。
僕は目を閉じて泣きながら口の端をあげた。
ジゼルのお腹に手を当てて、呪文の最後の言葉を紡ぐ。
「〝傷を癒せ〟」
魔法陣がひときわ白く輝きを放ち、ジゼルの傷を癒していく。
その光がゆっくりと消えていくころには、跡形もなく傷も消えた。
「…………」
ジゼルの治療が終わっても、僕は動けずにいた。
ただひたすら彼女を抱きしめていると、不意にジゼルの声がした。
「……ディ……ラン? 終わったの?」
「…………そうだよ。もう終わったんだ」
僕は顔を埋めたまま、幼い子供に言い聞かせるような声で続けた。
「疲れたでしょ? 眠ってていいよ」
「…………」
顔を見ていないのに、ジゼルがほほ笑んだ気がした。
そうして彼女は、僕の腕の中で再び眠りについた。
その頃、イグリスを倒したタナエル王子とミルシュ姫は、沢山の人たちに囲まれていた。
みんなが笑顔で2人を讃えあう。
遠くの砦からは、夜空へ向けて光が発射された。
驚いた人々が一斉に砦を見ると、砦の周りだけが昼間のように明るく光り、バルコニーに佇む人影が見えた。
タナエル王子がその人物を見つめたまま、ミルシュ姫に語りかけた。
『あの砦に私の父上が来ているんだ』
『……グランディ国の国王様?』
『そうだ。ミルシュの剣を借りる時に言ったんだ。我が国でも噂を聞く魔物の国の王を討ってやるから、代わりに貸せと』
『…………』
『そうしたら父上に、その様子をぜひ拝見したいと言われた。だからあの光は、父上の祝賀の気持ちだろう』
『……私たちがもし負ければ、国王様も危なくなるのに出向いてくれたの?』
『勝つと信じてくれてたんだろうな。私と、ミルシュと…………』
言葉を切ったタナエル王子が、ジゼルを抱えて動かなくなっている魔術師に目を向けた。
『ディランで闘うなら、大丈夫だと……』
ーーーーーー
どのぐらい時間が経ったのだろう。
そう思うほど僕がずっと動かないでいると、誰かの足音が真っ直ぐこちらに近付いてきた。
少しだけ顔を上げた僕の目に、立ち止まったブーツが映る。
ぼんやり眺めていると、頭上から声が降ってきた。
「……よく頑張ってくれたな。辛い状況にも耐え、最後まで闘ってくれたことに感謝を示そう」
タナエル王子の声だった。
「…………」
僕は失礼だと分かっていながら、返事をすることが出来なかった。
「……ディランの考えていることを当ててやろうか? 私の専属をどうにか離れたいのだろう? ジゼルを守るために」
王子の苦笑混じりのため息が聞こえた。
僕はそっと顔を上げた。
いつの間にか、タナエル王子は片膝を立ててしゃがみ込んでいた。
見計らったように覗き込まれた、王子の水色の瞳と目が合う。
僕は酷い泣き顔のまま、タナエル王子に気持ちを吐き出した。
「……闘うことは、やっぱり怖いし辛いから嫌です。けれど、それを全部タナエル王子ひとりに背負わせるのも……違うと思います。いつも先に立って、僕たちを守ってくれてたんですね……ありがとうございます」
「…………」
タナエル王子が目を見開いてきょとんとした。
それから嬉しそうに顔を綻ばせる。
その溌剌とした笑顔は、年相応の彼の素顔にも見えた。
「ディランは本当に、随分正直な魔術師だな。その優しさが弱さでもあり、強さなんだよ。これからもよろしくたのむ」
タナエル王子が僕の肩をポンと叩いた。




