56:ムカレの国巡り
ムカレの国の王都についた僕たちは、クシュ姫の案内のもと、中心地にある宮殿を訪ねていた。
その宮殿は高い城壁がニ重に張り巡らされており、僕らは重厚な扉をくぐって中に入った。
「私、すごく久しぶり。お兄ちゃん元気かな?」
前を歩くクシュ姫が、僕たちを振り返りながら笑った。
今日はミルシュ姫の弟であり、クシュ姫の兄であるベルカント王子に会いにきた。
タナエル王子があらかじめ手紙を送り、会って話せるように打診していたらしい。
その事を聞かされた時に、何で現国王であるミルシュ姫の父親ではなく、ベルカント王子に会うのかと、僕は疑問に思った。
何か親子でしがらみでもあるのか思い、クシュ姫がいない所でタナエル王子に聞くと……
「抵抗もせずに、娘を生贄として差し出すような親に会うなんて、冷静でいられるか分からないのだが……ディランが止めてくれるのか?」
と鼻で笑って言われた。
僕は笑顔で顔を横に振った。
……魔物の国との前に、ムカレの国との戦争が勃発してしまう……
静かに怒りを抱えているタナエル王子は、穏便に話せる相手にベルカント王子を選んだだけだった。
けれど〝相手がベルカント王子なら、本当に冷静でいられるのかな?〟と一抹の不安を拭えないまま、僕はこの日を迎えていた。
ーーーーーー
宮殿内のエントランスホールに通されると、ベルカント王子が背後に従者を引き連れて待ち構えていた。
王子より年下の彼は、緊張した面持ちで背筋を伸ばして立っていた。
クシュ姫によく似た、はっきりとした顔立ちの青年だけど、少しまだ幼く見える。
ベルカント王子は、タナエル王子に気付くと、真っ直ぐ向かって来て目の前でペコリと頭を下げた。
『本日はたいしたおもてなしも出来ずに……』
ベルカント王子がムカレの国の言葉で喋り始めた。
けれどタナエル王子は、それを手振りで制する。
『良い、時間が無いので手短に済ませたい。多少の無礼は了承する。早速街が展望できる場所へ案内してくれ』
僕は流暢に異国語を話すタナエル王子に、改めて感心していた。
タナエル王子はミルシュ姫のために、ムカレの国の言葉を完璧にマスターしたのだ。
クシュ姫の話だと、すごく短期間で。
……さすが王子、やることが尋常じゃない。
僕とセドリックはムカレの国の言葉が分からないので、クシュ姫がグランディ国の言葉に直して教えてくれた。
そうしている間も2人の話は進み、神妙な面持ちをしたベルカント王子が最後にゆっくり頷く。
僕たちはベルカント王子に連れられて、宮殿の上階にあるテラスに案内された。
そこからは、王都を隅々まで見渡すことが出来た。
眼下にはムカレの国特有の白壁の建物が建ち並び、美しい光景が広がっている。
タナエル王子は街の一角を指差しながら、隣に並ぶベルカント王子に向けて口を開いた。
『あそこの大きな広場に今から魔法陣を描く。次の蒼い月の夜に、街のみんなでそれを取り囲んで願うんだ。〝魔物からこの国を守りたい〟と。その願いを魔法で具現化し、ムカレの国全体に結界を張ることを試みる』
タナエル王子が今回の作戦の要を説明した。
僕はクシュ姫の通訳に耳を傾けながらも、苦い表情を浮かべてしまった。
この作戦を聞くたびに、僕の胸がプレッシャーで押しつぶされる。
ベルカント王子も、とんでもない計画にハッとした。
『姉を助けるって手紙には書いてましたが……本当に結界なんて張れるんですか?』
『出来る』
タナエル王子は、ベルカント王子の言葉に大きく頷いていた。
『……イグリス様も、入れなくなるほどの?』
『そうだ』
『姉は……ミルシュ姫は、食べられなくて済みますか?』
『もちろん、ミルシュは助かる』
タナエル王子が、ベルカント王子の全ての問いかけに力強く頷く。
すると、ベルカント王子の琥珀色の瞳が潤みだした。
彼は唇を固く結び、目を伏せる。
その様子は泣くのを我慢しているように見えた。
クシュ姫がそんなベルカント王子にそっと寄り添うと、優しく笑いながら喋りかけていた。
顔を上げたベルカント王子も、穏やかな笑みを浮かべて妹の頭を撫でた。
その柔らかな空気を引き裂くように、タナエル王子が淡々と宣言した。
『その代わり、グランディ国がミルシュ姫を貰い受けるからな。やっぱり姉は居なくなるものと思え』
まずクシュ姫が目を丸めてから嬉しそうに笑い、ベルカント王子を見た。
目を見張っていたベルカント王子も、思わずニッコリ笑う。
その様子は兄妹でそっくりだった。
しばらく王子2人は熱心に話し合い、作戦の詳細を詰めていった。
最後にベルカント王子には、蒼い月の夜までイグリス側に気付かれないようにする事、街の人たち総出で願う事を、改めて約束してもらった。
そんな着々と手筈を整えるタナエル王子に向かって、ベルカント王子が悲しげな表情で伝える。
『ヒエラの街は……姉の誕生日に向けて、魔物がどんどん集まります。イグリス様が生贄を食べた後にその血で酔うと、その日だけ人間を食べても良いと許可するんです』
僕らの近くに戻ってきていたクシュ姫が「ひっ」と息を呑んだ。
彼女は青ざめたまま、僕とセドリックに通訳をしてくれる。
『……どこまでも腐ったやつだな』
タナエル王子が忌々しそうに、遠くを睨んだ。
『ヒエラの街に近付く時は気をつけて下さい。街の住民たちにも、昼間の安全な時を見計らって、徐々に逃げるよう伝えています。姉はこのことを知りませんが、賢い彼女は勘付いていると思います……』
『分かった』
『その時を迎えることは無いと信じていますが……生贄がヒエラの街でイグリス様に食べられるのを待つ時、街には誰もいません。生贄の準備が終わると、残った数少ない者は一斉にヒエラの街を離れます』
ベルカント王子の説明を聞き終えたタナエル王子が、ニッと笑う。
『聡いな。次の蒼い月の日が、ミルシュの誕生日になるかもしれないと思っているんだろう?』
『予想では2日前ですけど、蒼い月の動きは正確に予想出来ません。2日ぐらいブレることはよくありますよね……』
『ベルカント王子には教えておこう。ミルシュは絶対に助ける。イグリスは……グランディ国が引き受けよう。私とミルシュで倒す』
『えぇ!?』
呆気にとられたベルカント王子が、口をぽかんと開けて瞬きをした。
クシュ姫の通訳で聞いた僕も、きょとんと固まってしまった。
……倒すんだ。
てっきり結界を張って、入って来れなくするだけかと……
まぁ娶りたいって言ってたから、ミルシュ姫の身柄がグランディ国に移ると、結局は結界の外になるのか。
大国であるグランディ国には、さすがに結界を張れないし。
…………タナエル王子とミルシュ姫でって言ったよね??
僕は入ってないよね??
僕が1人でおろおろしていると、それに気付いたタナエル王子が冷笑ぎみに笑って言った。
『あと、そこの魔術師で』
僕は彼がムカレの言葉で何と言ったか、クシュ姫に通訳されなくても分かった。
絶対、僕のこと言われた!!
聖の魔法を取得させられたから、そんな予感はしてたけど……
倒すなんて、一切聞いてないっ!!
「勘弁して下さいよ……」
僕がガックリと肩を落として項垂れると、隣にいるセドリックが肩をポンと叩いて慰めてくれた。




