55:ムカレの国巡り
昨日に続いて早起きした僕たちは、タナエル王子が用意した馬車に乗り込み、ムカレの国に接するシナンシャ地区を目指していた。
タナエル王子が言うには、自国であるシナンシャ平原に作戦拠点を置き、そこから少人数精鋭でムカレの国へと潜入するらしい。
魔物の国の王イグリスに気付かれないように、なるべく水面下で動く必要があるからだ。
そのため、馬車をはじめとした様々な物が、目立たない仕様になっており、グランディ国の紋章などは一切入っていなかった。
数日かけてシナンシャ地区につくと、先に到着した部隊が設営している前線基地へとさらに馬車を走らせた。
平原の中に大小のテントが並び、兵士たちが慌ただしく駆け回っている。
その中を、長旅を経た黒い馬車が、ようやく基地の入り口に辿り着いた。
ゆっくり開いた扉から外を覗いた僕は、すぐさま顔をしかめた。
「うぅぅ……馬車の長距離移動きつい」
気分が悪くてふらふらになりながらも、僕はなんとか地面に降り立った。
そして後から降りてくるジゼルのために、振り返って手を伸ばす。
「ディランは、馬車酔いしやすいタイプなんだね」
ジゼルが苦笑しながら、僕の手をとってヒョイっと軽やかに降りて来た。
すると彼女が繋いだ手を離して、僕の背中にそっと置く。
途端に背中が暖かくなった気がした。
「大丈夫だよ。ありがとう」
ジゼルが回復魔法をかけてくれようとしたので、僕はやんわり断った。
これからどうなるか分からないから、魔力は出来るだけ温存しておいて欲しい。
「無理しないでね」
ジゼルが眉を下げてほほ笑んだ。
僕たちが到着した連絡を受けたのか、タナエル王子がこちらへ向かって来るのが見えた。
そばには護衛の彼も控えている。
……王子はいつ王都を出発したんだろう。
ここへ到着した時間差はあまり無いはずなのに、タナエル王子には疲労の色が全く見えない。
僕の目の前まで来た王子は、長旅ですでに疲れ切った僕をチラリと見ただけで、事務的に話し始めた。
「これから私とディラン、そしてクシュとセドリックの4人でムカレの国を巡る」
「「セドリック?」」
思わず声が揃った僕とジゼルは、護衛の彼を凝視した。
彼はビクリと肩を震わせると、すぐにニコリと笑う。
「あ、ぼくセドリックって言います。どうぞよろしく」
どこか親しみやすい雰囲気のセドリックが、小さく頭を下げた。
僕とジゼルもペコリと頭を下げる。
やっと彼の名前を知れた瞬間だった。
少し緩んだ空気の中、ジゼルがおずおずとタナエル王子に聞いた。
「あの〜、私は?」
「ジゼルはここで待機。その後の作戦で参加することになるだろう」
「……は、はい……」
ジゼルの返事を聞いたタナエル王子は、次の説明に移った。
僕とセドリックがうんうんと聞き入っている傍らで、ぼんやりしたジゼルが「ディランと離れるのかぁ……」と小さく呟くのが聞こえた。
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それからの行程はなかなか過酷だった。
まずはムカレの国に、先ほど決まった4人を乗せた馬車でこっそり入った。
そして以前見た地図のバツ印を、順に巡っていく。
ミルシュ姫の誕生日まで時間がない僕たちは、大急ぎで魔法陣を描いて回った。
せめてもの救いは、移動が短距離の繰り返しだったおかげで、僕は馬車酔いせずに済んだことだった。
ムカレの国は小さな素朴な国だった。
魔物の国が隣接しているにも関わらず、武力をあまり持たない穏やかな気性の国民たち。
僕たちは目立たないように装ってはいたものの、近くで言葉を交わせば、異国の者だとすぐに気付かれる。
それでもムカレの国の人たちは、嫌な顔をせずに他の人と同じように接してくれた。
しかもクシュ姫はこの国のお姫様なだけあって、どこへ行っても丁寧なもてなしを受けた。
お姫様を従者なしで連れて回るなんてと、初めは心配していたけれど、彼女は庶民暮らしの経験があるそうで、こうした旅路にもすっかり馴染んでいた。
それにムカレの国民は世話好きらしく、僕らがクシュ姫と一緒だと分かると、さらに手厚く接してくれて、旅は思いのほか快適なものになった。
そんな町や村を巡りながら、クシュ姫はそこの長に〝お願い〟を伝えて回った。
次の蒼い月の夜に、みんなで『魔物からこの国を守りたい』と願ってもらうようにーー
順調に行程を終えている僕は、今までのことを振り返りながら、馬車の中で座っていた。
向かいでは、タナエル王子が窓の外を眺めている。
僕らは別の用事を済ませているクシュ姫とセドリックの戻りを待っており、彼らが合流すると次の目的地へと出発する予定だった。
「……平和な国ですね」
僕は何気なく王子に話しかけた。
「生贄を捧げる代わりに、手に入れている平和だ。こんな小さな国では、仕方ないのかもしれないが……」
タナエル王子が外を見つめたまま答える。
僕も彼の視線をたどって、外に目を向けた。
昼間なのに空は薄暗く、ちょうど小雨が降り出したところだった。
「雨だ……クシュ姫たち、大丈夫かな?」
僕が空を見上げながら呟くと、珍しくぼんやりしたタナエル王子が、ポツリポツリと喋り始めた。
「ーーミルシュと初めて会った時も、こんな雨が降っていたな」
「たしか、森で迷っていたんですよね」
僕はクシュ姫の話を思い出しながら、相槌を打った。
「そうだ。道を間違えてムカレの国に入ってしまってな。ミルシュのいるヒエラの街の近くまで、迷い込んでしまった」
心なしか、優しい眼差しになった王子が続ける。
「その森は、ミルシュの血に寄ってくる魔物がたくさん潜んでいた。私たちの小隊が魔物らに襲われた時に、彼女が颯爽と現れて目の前に立ったんだ。その時……ミルシュは何をしたと思う?」
タナエル王子は当時を思い出してか、楽しそうに目を細めて笑った。
「?? 魔物を倒した?」
僕が疑問系で答えると、ますます王子は嬉しそうに笑う。
「最後はそうなったが、まずミルシュは自分の腕を斬りつけ、わざと血を流した。そんな彼女が走り去ると、血に誘われた魔物らがみなついて行ったんだ。私たちも慌てて後を追ったが、ミルシュを見つけた時には、魔物を全て倒したあとだった」
「…………」
「ミルシュはその身1つで、私たちの小隊を守り抜いたんだ。すごいだろ?」
「……は、い」
僕は歯切れの悪い返事をしてしまった。
けれど共感出来ていない僕の様子さえも、タナエル王子は満足そうだった。
「それに大勢の魔物からヒエラの街を守るために、ミルシュは夜な夜な1人で戦っていた。街に滞在している間は私も一緒に戦っていたんだが、背中を預けられる姫は初めてだった」
タナエル王子が、目を閉じる様に伏せて穏やかに笑う。
言葉の端々からも、ミルシュ姫を大事に思う様子が滲み出ていた。
もしかしたら、王太子である彼が見返りを求めずに守ってもらったという出来事は、衝撃的だったのかもしれない。
そして、そんな自分と対等な相手でもあったミルシュ姫……
ご機嫌なタナエル王子は話を続けた。
「ミルシュは生贄という境遇なのに、誰よりも高潔な心の持ち主だった。ムカレの国の人々を守るために、生贄になることを甘んじて受け入れていた……」
彼が一瞬言葉に詰まると、手をグッと握りしめるのが見えた。
「ムカレの国では生贄のことを〝イグリス様の花嫁〟と呼ぶそうだ。ミルシュは私が勘違いするように、わざと『自分はイグリス様の花嫁だから』と告げて、遠ざけた」
「え? よくそれで引き下がりましたね」
僕が驚いてタナエル王子を見つめる。
すると彼はニヤリと悪どい笑みを浮かべた。
「〝イグリス〟という名前はしっかり覚えたからな、当時は一旦国に帰ってからどうにかしようと考えていた」
「…………」
「まさか魔物の国の王とはな、さすがに一筋縄じゃいかない」
僕はいつもの調子のタナエル王子に、少し安心した。
……もしミルシュ姫の相手が普通の人間だったら、どうとでも出来たんだろうな。
魔物の国の王が相手でも、どうにかしようとしているのがすごい。
そして〝タナエル王子なら、本当にどうにかするだろう〟と当然のように思っている自分に、思わず苦笑した。
ちょうどその時、馬車の扉が開いた。
帰ってきたクシュ姫が、セドリックの手を掴んでピョンと乗り込んでくる。
「雨、降られます……」
「〝雨に降られた〟だね」
後から入ってきたセドリックが、クシュ姫の勉強中の言葉を優しく正す。
「むぅ。難しい……あ、用事終わりました。次に速く行こう! お兄ちゃん、会いたい!」
次の予定を思い出したクシュ姫が、途端に上機嫌になり、席に座った。
セドリックも座ると、小窓を開けて御者に指示を出す。
すると馬車は、ゆっくりと動き始めた。
ーー残る魔法陣はあと3つ。
僕たちは次の目的地である、ムカレの国の王都へと向かった。




