53:クシュ姫
翌日、僕とジゼルにしては早起きをすると、言われた時間に王宮を訪れていた。
2人とも魔術師の正装をまとい、この国の紋章が描かれた蒼いローブを背中に揺らしながら、廊下を進んでいく。
やがて、立派な応接室に通された僕らは、隣り合って席についた。
テーブルを挟んだ先には、タナエル王子がすでに座っており、その隣には異国の可愛らしい女の子が、ちょこんと座っていた。
目鼻立ちのはっきりした彼女が、僕らに向けてニコリと笑う。
ますます可憐さが増し、思わずポーッとしながら頬を緩めていると、タナエル王子が手のひらを上に向け、女の子を指し示した。
「彼女はクシュ姫。ムカレの国の第3王女だ」
「こんにちは。私はグランディ国の言葉、勉強中です。よろしくね」
紹介されたクシュ姫が、目を細めてニコニコしている。
すごく愛嬌のあるお姫様で、ほぼ悪どい笑みしか浮かべないタナエル王子とは対照的だった。
「こちらこそ、よろしくお願いします」
僕も笑顔で返事をすると、ジゼルと同時に頭を下げた。
簡単な挨拶が済んだころ、タナエル王子がクシュ姫に他国の言葉で喋りかけた。
クシュ姫が時折り僕やジゼルを見ては、頷きながら言葉を返している。
おそらく、僕とジゼルが詳しく紹介されているのだろう。
けれど、それまで穏やかに笑っていたクシュ姫が、タナエル王子の説明が終わった途端に泣き出してしまった。
彼女が両手で必死に涙を拭いながら、僕たちに告げる。
「ありがとう……とっても、ありがとう」
クシュ姫が泣きながら笑った。
その頬を後から後から涙が伝う。
「えっ? あの……」
「クシュ姫、大丈夫ですか??」
僕らが驚いてあたふたしていると、タナエル王子が語り始めた。
「……クシュは、私が娶りたいと思っているミルシュの妹君だ。ミルシュは今、ムカレの国の辺境の街にいる」
噛み締める様に言葉を発した王子が、目を伏せて悲しげな表情を浮かべた。
僕を〝最強の魔術師〟にすると言って、蒼願の魔法をかけたあの時も、同じ表情をしていた。
僕とジゼルはタナエル王子を静かに見つめて、話の続きを待った。
王子はゆっくり息を吸うと、僕らの視線をしっかり受け止めて続ける。
「ムカレの国では赤い瞳の王族が生まれると、魔物の国の王〝イグリス〟に捧げられてきた。……その生贄がミルシュだ。あと3週間後の彼女の誕生日には、ミルシュは食べられてしまう」
衝撃的な内容に、ジゼルが小さく息を呑んだ。
「!? ……そんなっ」
彼女は思わず自分の口を両手で押さえた。
僕も胸が掴まれたように息苦しくなり、難しい顔をして尋ねる。
「ミルシュ姫は、どこかに閉じ込められているんですか?」
浮かない表情をしたタナエル王子が、首を横に振った。
「生贄を献上する代わりに、魔物たちはムカレの国の人々を襲わない取り決めをしているらしい。だからミルシュは……自ら進んで生贄になろうとしている」
「っ!?」
僕はあまりにも過酷な姫の覚悟に、言葉をなくしてしまった。
タナエル王子はただ静かに続ける。
「それを知って、何とかミルシュを助け出そうとしたんだ。けれどさすがは魔物の国の王、全く歯が立たなかった…………」
王子がフッと息を吐いて、一呼吸置いて続ける。
「殺されそうな私を、ミルシュは自分の身を挺して守ってくれた。その代わりに、今はただ食べられるのを1人で待っている……」
タナエル王子が、泣き続けているクシュ姫をそっと見た。
クシュ姫はハンカチを手に握りしめ、うつむいたまま涙をこぼしていた。
……タナエル王子も、本当は泣きたいのかもしれない。
僕はクシュ姫を優しく見つめた王子の視線から、そう感じてしまった。
けれどそんな弱い姿を見せない王太子様は、あくまでも毅然とした態度を貫く。
「それで、何としてでもミルシュを助けたいんだ。ディラン、ジゼル。これは王太子としてではなく、タナエル・グランディ個人としてのお願いだ。……手伝ってくれないか?」
「タナエル王子……」
彼の意気込みを受け止めた僕は、隣のジゼルを見た。
彼女も僕を見て、力強く頷き返してくれる。
「もちろん、手伝いますよ。……というか、ずっとこの為に、いろいろやらされてましたよね? 今更断りませんよ」
僕は眉を下げて笑った。
「……ありがとう」
タナエル王子が穏やかな笑みを浮かべる。
クリスティーナ王女のお礼を言った時にも見せた、王子様らしい優しい笑顔だった。
けれど、一瞬でいつもの無表情に戻り、淡々と喋り始めた。
「では、明日から早速ムカレの国へ行く。それから数日かけて、蒼願の魔法陣を国の要所に描いていくぞ」
どこから出したのか、タナエル王子がムカレの国の地図を目の前の机に広げた。
地図にはすでに10個ほどバツ印が記されており、そこを周るルートまできっちり書き込まれていた。
僕は手際のよさに絶句すると同時に、吹き出してしまった。
「……これ、絶対僕が断るなんて最初から考えてないですよね? しかも初めにクシュ姫が泣き出したのも〝ミルシュ姫を助け出す魔術師だ〟ってもう伝えちゃってましたよね? じゃなきゃ、あんなに泣かないと思いますが……」
クシュ姫は、自分の名前に反応して、きょとんと僕を見た。
今はもう涙は止まっており、静かに僕たちのやりとりを見守っている。
「言うようになったな。しかし私の専属を務めるなら、その程度は汲んでもらわねば困る」
タナエル王子がいつものように、ニヤリと笑った。
僕も笑いながら返す。
「僕は専属としてまだまだなようです。ムカレの国に魔法陣を描いて周る理由を、教えてくれませんか?」
するとタナエル王子の笑みが消え、空気が張り詰めた。
再び強い意志を宿した瞳を僕に向け、厳かに告げる。
「ミルシュを助けた後に、生贄を受け取れなかった魔物側が、ムカレの人々を襲う可能性が高い。それを防ぐために、国に対して蒼願の魔法をかける」
「国に!? 物凄く広範囲だし、人以外にかけるだなんてっ」
驚いた僕は、思わず身を乗り出して詰め寄った。
「……ミルシュは気高い姫だ。自分が助かったからといって国民が襲われれば、責任を感じて自害するかもしれない。彼女の憂えいは全て取り払う」
「…………」
「ベースはミルシュの国民を助けたい強い思いだ。蒼願の魔法の効力は、人々がディランの魔法を信じる強さに比例する。だから強い思いを沢山集めれば、広範囲にもかけられるはずだ。それを実現した例も過去にあるぞ。それにーー」
タナエル王子がスラスラと今回の計画を話し始めた。
綿密に練られたであろうその作戦を、僕は神妙な表情で聞くしかなかった。
けれど、心の奥では別のことが引っかかっていた。
僕の魔法が失敗する可能性だ。
聞きたいけど聞けない。
もし魔法が上手くいかなくて、ミルシュ姫を……ムカレの国の人を守れなかった時は?
なんてーー
気落ちする僕に気付いたタナエル王子は、呆れた表情を浮かべた。
「何か余計な心配をしているだろ? 安心しろ。私は1つの作戦しか立てれないほど無能ではないぞ。そして何より……」
タナエル王子が勿体ぶったかのように、ニッと笑って続けた。
「過去の蒼刻の魔術師が出来たんだ。ディランなら、やってのけるさ」
彼はそう言って、僕を激励した。
同時に、絶対的な信頼を示してくれたのだった。




