52:聖の魔法
ジゼルは本を丁寧に机に置くと、ゆっくり深呼吸をした。
空気が張り詰め、彼女が静けさをまとう。
そしておもむろに手をあげると、僕と同じように斜め前に向けてから目を閉じた。
タナエル王子と僕は、息をひそめてジゼルを見守った。
「…………」
しばらくすると、ジゼルが顔を真っ赤にして手を下ろした。
その様子に〝やっぱりジゼルにも喋りかけてきたか……〟と同情する。
ジゼルがおろおろしながら、王子に向かって頭を下げた。
「タナエル王子、申し訳ございません。私も神様に話しかけられて……集中出来ませんでした」
「ジゼル・フォグリアの記憶と能力を引き継ぐジゼルでも無理なのか……ちなみにどんなことを話しかけられるんだ?」
眉をひそめたタナエル王子が、真っ直ぐな視線をジゼルに向ける。
ますます赤くなった彼女は、気まずそうに横を向くと、言葉を絞り出した。
「……下着の色を聞かれました……」
言い終わったジゼルが、思わず両手で顔を覆った。
ジゼルになんてことを聞くんだ!?
メイアス様は、ただのエロジジイじゃないか!!
ムッとした僕は、心の中でメイアス様の格を一気に下げた。
「ほら、すっごい無遠慮な神様なんですよ! 祈りを捧げるって、意識を集中させる繊細な作業なんで、誰だって無理です!」
僕はブンブンと首を振った。
これ以上僕もジゼルも、メイアス様に祈れないと拒否をする。
けれどタナエル王子が、すかさず返した。
「ディランならやれるだろ? 今まで蒼の魔法以外は適当に神に祈ってたんだから、その要領でやれば」
「…………」
痛いところを突かれた僕は、ぐうの音も出なかった。
僕の反応を見て、話がついたと判断したのか、王子が淡々と話を進めた。
「明日詳しい経緯を説明するから、同じ時間に王宮へ来るように」
「……は、はぁ」
「ではそれまでに、魔法をなんとかしておいてくれ」
タナエル王子はそう指示を出すと、席を立ちすぐ出て行こうとした。
僕とジゼルは慌てて立ち上がって、頭を下げる。
王子が店の出口へ向かうと、そこで待っていた護衛がサッと扉を開いた。
そしてタナエル王子に続いて彼も出て行こうとした時、気の毒そうな目線を僕に向けた。
僕も彼を見つめ返して目線で答える。
〝お互い苦労しますね〟
護衛の彼と初めて意志疎通ができ、妙に通じ合うものを感じた。
扉がバタンと閉められると、僕たちはどさりとソファに腰を下ろした。
ジゼルが苦笑しながら、ぽつりと呟く。
「また、すごいこと頼まれちゃったね」
「うん……」
僕は前に視線を向けたまま、今日のタナエル王子の話を思い返していた。
彼の断片的な話を繋げてみると〝相手は魔物の国の王〟で、〝姫を助け出したい〟……
それにタナエル王子の、あの焦っている様子。
お姫様が魔物の国の王に囚われていて、危険な状態なのかもしれない。
1度は立ち向かったようだけど、殺されそうになったタナエル王子は、今度は対抗策を引っ提げて挑むつもりだ。
その一つが、聖の魔法……
「…………」
何だかんだで王子の力になってあげたい僕は、目の前の本を再び手に取った。
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『さっきの女子と喋りたいんじゃがのお』
『まあええか。照れてる女子が見れたからのお』
『お主……よく見るとネアルちゃんに似ておるではないか』
『ネアルちゃんは今頃どうなったんじゃろうか? 可愛い顔して甘い匂いを漂わせていてのお……もう1度あの匂いを嗅いでみたいのお』
『スン、スン……スン、スン!』
「あぁ! もう、うるさーい!!」
僕は衝動的に叫んだ。
中庭のベンチに座っていたけれど、興奮し過ぎて思わず立ち上がる。
「わぁ! なになに??」
僕に寄りかかってウトウトしていたジゼルが、支えをなくして飛び起きた。
「あ、ごめん……」
冷静になった僕は、またベンチにすとんと座る。
すると寝起きでほわほわした様子のジゼルが、眉を下げてふにゃりと笑った。
「……メイアス様、もうちょっと静かにしてくれたらいいのにね」
「そうだね。久しぶりに魔術師から祈りが届いて、嬉しいのは分かるんだけど……最後まで祈れないから困るよね」
ジゼルがうんうんと頷くと、僕の腕に抱きついた。
そしてコテンと頭を肩に乗せる。
「……聖の魔法って、なんで色の名前じゃなくて〝聖〟なんだろう? 昔は僧侶しか使わなかったって本に書いてたから、それでかな?」
「たしかに色じゃないのは不思議だね。ジゼルが言うように、僧侶が使う特別な魔法だからかな? それにしても、あのメイアス様のやかましさを、当時の彼らはどうしてたんだろう?」
「昔は静かだったとか?」
ジゼルが笑いながら首をかしげた。
ふわふわの白い髪が、穏やかな風に乗って揺れる。
僕も釣られてクスリと笑い返した。
「それか、僧侶らしい揺るがない精神力を持ち合わせていたのかも…………あっ!」
ある事に気付いた僕は、目を見張った。
「ディラン、どうしたの?」
「無の境地だよ!」
「無の境地?」
「うん。聖の魔術師は、メイアス様に何を言われても無視してたんだよ、きっと。あの本に、僧侶としての心構えについての章があるんだけど、その1つが〝無の境地〟なんだ」
「…………昔の人も、メイアス様に苦労してたんだ」
ジゼルが過去の魔術師たちに向けてか、憐れみの目で遠くを眺めていた。
「そうだね。聖の魔法が廃れた理由の1つかも。上手く出来るか分からないけど、とりあえずやってみるよ」
僕は早速目を閉じると、今日何度目か分からない、メイアス様への呼びかけを行った。
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「…………あー、やっぱダメだ。どうしても気になってしまう……」
音を上げた僕はジゼルに寄りかかると、肩に乗っている彼女の頭に、自分の頬をくっつけた。
「……ディランは僧侶じゃないから、すぐには出来ないよね」
ジゼルが優しくフォローしてくれた。
「ありがとう」
「やっぱり私も頑張ってみようかな」
「ダメだって。ジゼルが魔物と戦うなんて……」
「でも私だって、ディランがザックリ斬られるなんて嫌だよ」
「……その時は、最上級魔法で回復してくれる?」
僕は頭をそっと持ち上げると、ジゼルを見つめながら冗談めかして言った。
「あれは詠唱が長いし、目を閉じている時間が長いのって隙だらけだしなぁ……」
彼女は宙を見つめて、どうにか出来ないものかと真剣に考えていた。
そう言えば……
教えられても無いのに、魔術師は詠唱する時に目を閉じる。
集中力を高める為なんだけど……
目を開けてみたらどうかな?
タナエル王子も、適当にやれば大丈夫だろって感じのことを言っていたし。
案外メイアス様も適当だから、上手くいくかも!
魔法の練習疲れをしていた僕は、神様に対してすごく失礼なことを思っていた。
けれどひとまず試してみようと思い、目を開いたまま遠くを眺めて、メイアス様に呼びかけた。
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何度も挑戦していると、少しずつコツが掴めてきた。
僕は無になるのではなく、1つのことを考え続けて、それで頭をいっぱいにする方が性に合っているようだった。
だから例えば、目の前の庭に咲く花なんかに意識を向けて、呪文を唱えると……
「〝聖なる光〟」
前に掲げた僕の手が一瞬だけ光る。
けれど本当に少しだけで、すぐに光が消えた。
「あ、すごい! ディラン出来てるよ!!」
それでもジゼルは大喜びしてくれた。
「…………はぁ〜良かった! なんとか出来るようになりそうで。これで明日、タナエル王子に会っても気まずくないね」
「フフッ。そうだね。でもさらに高い要求をされそう」
楽しそうに笑うジゼルが、洒落にならないことを言った。
それを受けて、僕はつい本音をこぼす。
「……明日、詳しく聞くのが怖いね」
「でもディランは優しいから、どんなことを言われても、お姫様を助けようとするよね? 私はそんなディランが大好きだよ」
何でもお見通しのジゼルが、はにかんで笑うと、僕の頭をポンポンと撫でてくれた。
……まるで宥められている子供みたい。
カッコ悪いなと自分に苦笑しながらも、僕は今日もまた、ジゼルの優しい強さに勇気づけられていた。




