4:クリスティーナ王女
「もう一度言いますが、王族とか言わないで下さいよ。貴族だと契約書に爵位を書き残さなきゃいけない。だから……一般市民のお嬢さんですよね? お名前……だけは??」
僕は必死に誘導した。
まだ〝人から向けられた願い〟の内容を聞いていないけれど、こんなに泣き腫らした麗しい王女様の願いは、出来るだけ聞いてあげたい。
その王女様が、2、3回瞬きをしてからフッと苦笑した。
その微笑さえも、芸術品かのように美しかった。
「……わたくしは、クリス……と申します。今日はディラン様にお願いがあって来ました」
王女様が今度は、困ったように眉を下げてほほ笑んだ。
「実は、隣国……違いますね、隣町のある男性と結婚することが決まりました。周りが勝手に決めたことなので、本当はその方と結婚するのは嫌なのです」
「……な、なるほど」
僕は思わず固唾を飲んだ。
クリスティーナ王女は、隣国の王子と結婚させられるのが嫌なんだな。
確かキールホルツ国の第二王子との婚約話を、噂で聞いた気がする。
……こんな重い話に、僕が入っていいんだろうか?
冷や汗をかき出した僕をよそに、儚げなお姫様は話を進めた。
「その方との結婚話が出る前は、こちらのブレッドの家に降嫁する予定だったのですが、隣町の男性が無理を押してきまして……」
王女がそう言って、隣の護衛騎士をチラリと見た。
「?? 降嫁? こうか? 何のことだか……」
僕は聞いちゃダメな単語が出たので、とぼけるフリをして必死に王女に伝えた。
すると彼女はハッとして、片手で自分の口元を押さえる。
そんな仕草も可愛らしい……じゃなくて、一般市民のお嬢さんは、お嫁に行くことで位が下がることはない。
クリスティーナ王女は、眉を少しだけキリッとさせて、気を引き締め直して続けた。
「けれど、わたくしには縁をつなぐ役目がございます。それは分かっているのです。お恥ずかしい話ですが、未熟者なわたくしめはブレッドへの想いを抱えたまま、嫁いでいくことが出来そうにありません」
王女が目を伏せて長いまつ毛を震わせた。
その様子を隣で見守っていたブレッドが、泣きそうな彼女に声をかける。
「クリスティー……」
「あぁぁー!! クリスさんですよね!? 間違っても『ひ』とか『め』とか付けないで下さいよ!!」
僕はまた慌てて、彼の声を掻き消すために叫んだ。
「……すまない」
目を丸めたブレッドが素直に謝罪した。
ハァ、ハァ……
疲れる。
まだ本題に入っていないのに……
すでにグッタリし始めた僕は、どうにか背筋を真っ直ぐ伸ばして2人に尋ねた。
「こちらこそ、大きな声を出して申し訳ございません。それで〝人から向けられた願い〟は誰からのどういったものでしょうか?」
僕の質問を受けて、王女がどこか諦めたような悲しげな瞳を向けてきた。
「隣町の方からの願い……『クリスが僕を愛するように』を叶えてくれませんか?」
「……それは……クリスさんの感情を操ることになるのですが……」
「構いません。このまま嫁いでも、わたくしは幸せにはなれません。ならば魔法で……幸せな夢を見させてくれませんか?」
「…………」
静かに言い切ったクリスティーナ王女からは、底知れぬ覚悟を感じた。
それと同時に、深い深い悲しみも。
…………
この願いは叶えていいのだろうか?
魔法をかけたなら、たしかに王女は仮初の好きな人と一緒に暮らせて、幸せになるだろう。
ただ……
王女にとって、この魔法は『呪い』にならないのかな?
「……とりあえず、クリスさんが本当に〝人からの強い思い〟が向けられているか、見させていただきますね」
考えがまとまっていないながらも、僕は〝思い〟を調べようと王女をじっと見つめた。
意識を対象者に集中させると、僕は他者からの思いの強さを感じ取ることが出来た。
その思いがある一定の形を保てていれば、具現化することが出来る。
僕は彼女に向けられた強い思いを感じ取った。
けれど王女から聞いたものとは少し違う……
正しくは『クリスティーナ王女がボクに従いますように』だ。
……無理を言って娶りたい相手に対して、主従関係のようなものを望んでいる人に、良い人はいない気がする。
なるほど。
クリスティーナ王女はこの事も分かっていて、嫌な気持ちもあるのだろう。
そして、そんな相手と長い時間をかけても、親愛など生まれないということも。
しばらく黙り込んで考えていた僕は、決心して顔を上げた。
「ではこちらの契約書に、サインをしていただきます。その前に、一通り契約内容を説明させていただきますね」
僕は右手の上に魔法の契約書を出現させた。
いつもお客様にしているように、内容の説明に入る。
クリスティーナ王女と彼女の護衛騎士は、光り輝く宙に浮かぶ文字に魅入りながらも、時折り頷いては真剣に聞いてくれていた。