39:眠り姫の最後の夢
うつむいていた僕がそっと目を開けると、足元に芝生が広がっていた。
辺りは薄暗く、そろそろと顔を上げながら様子を確かめると、見たことのある広い庭に僕はいた。
けれど周りにあるはずの建物はなく、庭から外の空間は、切り取られたかのように暗闇に包まれていた。
僕の立つこの庭だけが、ぽっかりと浮かぶように存在している。
頭上を見ると、大きな時計が相変わらず薄っすらと光っていた。
違和感を感じてよく見ると、針が止まっている。
道理であの音がしないわけだ。
「……ぅぅん……」
静寂の中を近くで誰かの声がした。
庭の端にあの白い木製のベンチがあり、そこには横たわって眠るレシアがいた。
「…………っ」
彼女を見た途端に、僕に不思議なことが起きた。
どうしようもない程のレシアへの愛情が溢れ出す。
切なくて、胸を掻きむしりたいほど苦しくて……
僕はたまらずに泣きだしてしまった。
……これは、ロジャーの抱えていた思いだ。
実はさっき無理矢理かけた蒼願の魔法は、ロジャーからレシアに向けての『守りたい』という思いに対してだった。
紫の魔法とどう反応したのかは分からないけれど、その彼の思いが、どうやら僕に宿ってしまったらしい。
僕が泣きながらレシアを見つめていると、彼女が瞼を持ち上げた。
レシアが、ゆっくりと身を起こし辺りを見回す。
そして泣いている僕と目が合い、体をビクリとさせた。
「何で泣いているの?」
「僕の中にロジャーさんの思いが入ってきたから……レシアさんを諦めた気持ちが、痛いほど分かって悲しいんだ」
「…………?」
レシアがベンチから立ち上がった。
怪訝な表情を浮かべ、僕に向かって歩いてくる。
けれど数歩進むと、足が何かにぶつかり止まった。
ためらいがちにレシアが宙に手を伸ばすと、手のひらがペッタリと何かに張り付く。
「……壁?」
彼女がぺたぺたと何かを触ると、それは広範囲に渡って存在していた。
レシアは白いベンチを中心に、透明な壁に閉じ込められていたのだ。
「ロジャーさんの思いだよ。本当はレシアさんを閉じ込めておきたいぐらい、誰よりも大事に思っていたんだ……」
僕はレシアの近くまで歩み寄った。
透明な壁越しに向かい合うと、泣きながらほほ笑む。
「……っ嘘よ。私が迷惑になったからでしょ? ロジャーのご両親とも、そう話しているのを聞いたんだよ。私のママがパパをダメにしまったから、自分もそうならないようにって」
レシアが必死に言い募る。
「僕はロジャーさんの記憶がある訳じゃなく、彼の感情を知っただけで、細かいことまでは分からないけど……」
僕は涙を拭ってから続けた。
「確かに、レシアさんのお父さんのようになりたくないって思いを抱いてるよ」
「え? 自分もそうならないって、私のパパのようにならないって事なの?」
「そのようだね」
「私のパパが何をしたの?」
レシアが縋るように僕を見た。
母親と2人暮らしだった彼女は、父親のことをよく知らないようだ。
僕はレシアの期待に応えるために、ロジャーの抱く影を孕んだ好意を、穏やかなものに噛み砕いた。
「うーん、この思いは……えーっと〝レシアさんの自由を奪わないように〟って思ってるから……その……レシアさんのお母さんは、どこかに閉じ込められてた? こんな風に……」
僕は透明な壁をコンコンと叩いた。
「っ…………まさか……」
息を呑んだレシアが、視線を泳がせて考え込む。
思い当たる節があるのだろう。
「ロジャーさんの両親からも嗜められていたし、彼も抑制していたようだね。あなたの尊厳を踏みにじってまで、自分の物にしようとする衝動を抑えるために」
「…………」
彼女はとうとう絶句して言葉を失った。
けれどやっと、ロジャーの気持ちを信じたようだった。
僕は他にも、レシアが誤解をしていそうな、ロジャーの本心を打ち明けていく。
「ロジャーさんは子供の頃から、レシアさんがすごく好きだった。他の男性がレシアさんに近付くと、すごく嫉妬してた。それを怒りでしか表現出来ないことも、心の底では悩んでいたんだ」
「…………」
「言葉で伝えることが、レシアさんにだけは上手に出来なかった。だから行動で示していたそうだよ」
「…………」
「本当はレシアさんと添い遂げたかった。でも、これ以上歪んだ愛情をレシアさんに向けて、あなたを壊してしまう前に……離れることにしたんだ」
「…………そんなの……嬉しくない」
レシアがうつむきがちに、ポツリと呟いた。
頬を一雫の涙が伝う。
「うん。そうだよね。けれど……とても深い愛情と覚悟を感じるよ。レシアさんがロジャーさんに向けてた『せめて夢の中で会っていたい』という思いと同じぐらい……悲しくて切ない想いを」
レシアがゆっくりと顔を上げて、僕を見た。
「……私の強い思い?」
「そうだよ。レシアさんの強い思いを具現化する魔法をかけて、この世界に来たんだ。ロジャーさんに向けてそう思っていたでしょ?」
「っ私の願いを叶えたの!?」
目を見開いて驚く彼女が、両手で自身の口を覆い隠す。
「うん。ロジャーさんは、何としてもレシアさんを助けたかったから、戻れなくなる危険を冒してまで、ここに迎えに来たんだよ」
僕は穏やかな笑みを浮かべた。
どうかロジャーの思いが、全て伝わりますようにと願いを込めて。
「…………フフフッ」
レシアがどこか遠くを見つめて、悲しげに笑った。
諦めにも似たその笑みに、嫌な予感がよぎる。
けれど彼女は僕を見ると…………
幸せそうに、ニッコリと笑った。
彼女の笑顔と同時に、僕らは優しくて暖かな光に包まれた。
現実の世界に帰される!?
そう直感した僕は、気がつくとレシアに向かって叫んでいた。
「戻ろう! 一緒にっ!!」
けれどその時にはもう、彼女は眩しい光の中に溶けて、見えなくなっていた。
どこからか、ギギギとあの時計の針が動く音だけが聞こえた。
時計の針は……どっちに進んだんだろう?
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次に目が覚めると、ジゼルの泣き顔と目が合った。
「〜〜っよかったぁ! 眠っているディランがいきなり大泣きするから、ビックリしたんだよぉ!!」
えぐえぐ泣く彼女の涙が、僕に降り注ぐように落ちる。
レシアの部屋の床で、仰向けに横たわる僕は、ジゼルに膝枕をされていた。
「……ただいま。僕は大丈夫だよ」
僕は手を真上に伸ばして、ジゼルの頭をなでる。
ほっとした彼女は目を細めて涙を流すと、感極まった声をもらした。
「すごいよディラン。みんな無事に……戻ってくるなんて……!」
ジゼルの言葉にはっとした僕は、すぐさまベッドの上を見た。
そこには目を覚ましたレシアの姿があった。
上半身を起こした彼女が、涙をはらはらと流し、傍に倒れ伏したロジャーをただ眺めている。
ロジャーは意識が朦朧としているのか、時折りぼんやりと目を開けては、すぐにまた閉じていた。
魔術師ではない彼は魔力に対する耐性がなく、レシアが作り出したあの空間で過ごした衝撃が、まだ抜けきらないのだろう。
レシアはそんなロジャーの頭を抱きかかえた。
そして静かに静かに囁いた。
「ロジャー……あなたをずっと……」
「愛してる」
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僕とジゼルは、レシアの家の門からひっそりと外へ出た。
見送りに来たロジャーも後からついてくると、門へと振り向きゆっくりと閉じる。
ーーあれからしばらくすると、ロジャーはハッキリと覚醒し、レシアが無事に目を覚ましたことをみんなで喜びあった。
僕は清々しい思いでレシアの家を眺めた。
こんな気持ちで帰れるなんて、来た時とは大違いだ。
改めて安堵しながら夜空の蒼い月を仰いでいると、僕に向き直ったロジャーが言った。
「いろいろありがとう。君がレシアを説得してくれたんだろ?」
「……いいえ、ロジャーさんの思いが通じたんだと思います」
僕がそう答えると、ロジャーが苦笑した。
謙遜に受け取られたかもしれない。
けれどレシアが自殺を踏み止まったのは、間違いなくロジャーの思いだ。
彼は、僕とジゼルをそれぞれ眺めると、喜びにあふれる笑みを浮かべた。
「本当に感謝しているよ。蒼刻の魔術師ディランくん」
「お役に立てて良かったです」
蒼願の魔法で2人を幸せに出来て良かったと、僕は顔を綻ばせた。




