38:眠り姫の最後の夢
眩しい光が収まったのを瞼の裏で感じ、僕はゆっくりと目を開いた。
同時に身動きが出来ないことに気付いた。
体の後ろが何かに貼り付いている。
僕は、銀色に光る糸に絡め取られていた。
すり鉢状に張り巡るその糸は、まるで蜘蛛の巣のようだ。
ロジャーとジゼルも、僕と同じように蜘蛛の巣に囚われている。
そして僕たちのいる場所より遥か下の、中央の窪んだ底には、三角座りで膝に顔を埋めるレシアがいた。
彼女に気付いたロジャーが叫ぶ。
「レシアッ! ……くそっ。動けない……せっかく捕まえたと思ったのに!」
抜け出そうと必死にもがく彼に、少し顔を起こしたレシアが悲しげな声で答えた。
「戻っても私は1人。この気持ちが報われないのなら、このままここに居たい。邪魔しないで……」
「ダメだ!」
ロジャーが声を張り上げて続けた。
「死なないでくれレシア。君がかけがえのない存在であることに、変わりはないんだから!」
「…………」
彼の訴えも虚しく、レシアはまた顔を膝に突っ伏してしまった。
……納得してくれないか……
ロジャーを拒絶する態度を崩さないレシアを、僕は困った顔で見つめていた。
レシアの1番の望みは、ロジャーに再び愛される事だろう。
けれど、すでに結婚を誓った相手がいるロジャーにとって、それは叶えようのない願いだし、この場だけ嘘をつく訳にもいかない。
彼女をどうしたら説得出来るのだろうか。
僕が悩んでいると、呪文を唱えるジゼルの声が聞こえた。
「〝炎よ燃えろ!〟」
ジゼルが自分にくっついている銀色の糸に火をつけると、燃える糸から器用に体を離し落ちていった。
けれど彼女の体にも火が燃え移り、たちまち炎に包まれる。
「ジゼル!?」
僕は驚いて叫んだ。
「大丈夫、思った通り熱くないよ」
ニコリと笑ったジゼルが続けた。
「〝水よ湧き上がれ!〟」
ジゼルの纏う火を水が包み込むと、2つの魔法は相殺されて消え去った。
そうして、彼女はふわりふわりと落下しながら、レシアの元に舞い降りていった。
ここはレシアの夢の中。
僕たちは意識だけの存在だからか、ジゼルに火傷の跡はなく、服も焦げていない。
傷を負わないと薄々分かっていたけど、自分を燃やすなんて……
僕はジゼルの大胆さに唖然としていた。
レシアのそばに降り立ったジゼルは、三角座りのままじっと動かない彼女に、柔らかく抱きついた。
「レシアさんが死ぬことで、ロジャーさんの中で永遠に生きようとしないで。そんなの悲しすぎる……」
ジゼルは優しく語り続けた。
「どうか生きて。あなたが死ぬことで、悲しむ人が絶対いる。置いていかれた人たちは、この先ずっとつらいんだよ。だからーーーー」
感極まったジゼルが言葉に詰まる。
レシアをぎゅうっと抱きしめたまま、涙を我慢してフルフルと震えていた。
するとジゼルの腕の中から、小さな声が聞こえた。
「……ありがとう」
思い直してくれたのかと、ほっとしたのも束の間、レシアの座る地面から黒い蔦のようなものが複数生えてきた。
その黒い蔦が幾重にも重なり、レシアに抱きついているジゼルごと彼女たちを包む。
思わず僕は叫んだ。
「待って! ジゼルをどうするつもり!?」
慌てて火の魔法で銀色の糸を切ろうとすると、まばゆい光が再び僕らを包んだ。
……また!?
これがすごく厄介だ!
相手の夢の中だから、すぐに仕切り直されてしまう。
ーーーージゼル!!
目の前が光に埋め尽くされ、次第に何も見えなくなっていく。
どうすることも出来ない僕は、ただ身を任せるしかなかった。
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再び世界が変わり、今度は夜の砂浜に立っていた。
遠くでは、穏やかな波の音が聞こえる。
呆然としながらキョロキョロすると、同じように辺りを見回していたロジャーと目が合った。
少し離れた場所には、海の方を向いて立ち尽くしているレシアがいた。
頭上では僕たちを見下ろす時計が、相変わらずギギギと音を立てて、時を逆に進めている。
……ジゼルの姿がない。
「ジゼルは!?」
僕は思わずレシアに詰め寄った。
すると彼女はゆっくりとこちらを向いた。
「現実の世界に帰ってもらったの。あなたも帰って」
レシアが何も感情の見えない顔で、僕に淡々と告げる。
「っ!?」
ジゼルが無事だと聞いて安心したけれど、このまま何もしないで帰るわけにはいかない。
もし最後に残ったロジャーが説得に失敗したら、レシアはこのまま衰弱死してしまうだろう。
今までの彼女の態度を見るからに、その可能性は高い。
僕が焦っていると、ロジャーが割って入ってきた。
「レシア」
彼が呼びかけても、レシアは僕の方を向いたまま動かなかった。
けれど睫毛を震わせて下を向いた。
ロジャーがそんな彼女に、穏やかな声で語りかける。
「別れてからも、ボクを想っててくれたなんて知らなかったよ。ありがとう。……ボクはレシアの気持ちに応えられないけれど、2人で過ごした時間を無かったことにしたい訳じゃないんだ。ボクの中でも大切な思い出だよ」
レシアがチラリとロジャーを見た。
ロジャーはその視線を受けて、優しく笑い返す。
「だからレシアも大切なんだ。……レシア自身も自分を大切にして欲しい」
ロジャーがレシアに向かって手を差し伸べた。
「一緒に戻ろう」
「…………」
レシアがゆっくりと手を伸ばして、ロジャーの手を握った。
見守っていた僕は、今度こそ考え直してくれたと思い、安堵のため息をもらす。
けれどそれは、なんとも短絡的な考えだった。
口元にだけ笑みを浮かべたレシアが、ロジャーに向けて言葉を贈る。
「…………本当のさよならだね」
「レシア!?」
慌てふためくロジャーが強い光に包まれたかと思うと、次の瞬間には跡形もなく消え去っていた。
僕は彼がいたはずの空間を、茫然と見つめる。
「……戻された? そんな!?」
……僕とジゼルはともかく、ロジャーは蒼願の魔法でここに来ていたのに……
レシアの魔法で、強制的に解除されたようになってしまった。
そんなの初めてだ。
蒼願の魔法は、どんな魔法よりも強くて解けないはずなのに……
「何をそんなに驚いてるのか分からないけど、次はあなたの番よ」
レシアが僕に冷たく言い放った。
……ジゼルの説得も効かない。
ロジャーからの懇願もダメだった。
けど、何かを試さなきゃ。
2人とは違うことを。
何が……何がレシアの心に響くのだろう?
僕はレシアを真剣に見つめながら、額に冷や汗をかいていた。
必死に考えている僕に向かって、彼女がゆっくりと手をかざした。
……僕は蒼刻の魔術師。
彼女は紫の魔術師。
あえて共鳴させてみるのは、どうだろうか?
今日2度目の蒼願の魔法を、発動出来るかも分からない。
それに魔法陣を描く時間もない。
けれどもう……それしか方法が思いつかない。
レシアがおもむろに口を開くと、喉を震わせた。
それに合わせて僕も呪文を唱える。
僕らの足元に、群青色の魔法陣が展開された。
「えっ?」
地面を見つめて驚くレシアを、群青色の光が照らし返す。
僕はその隙に詠唱を続けた。
すると光が膨れ上がるように、ますます輝きを増していきーー
やがては蒼と紫が混じった色が、レシアの夢の世界を覆い尽くした。




