32:風邪
僕は浴室でフクロウのココにたっぷりお湯を浴びせると、丁寧に泡で体を洗い、タオルでしっかりと乾かしてあげた。
羽毛がフワフワになったココは「またオフロ入りたい!」とずいぶんご満悦だった。
元気に飛び去っていくココを玄関先で見送りながら、やっぱりお風呂に入れてよかったと、ホッと一息つく。
あんなに雨に打たれたんだから、フクロウだろうが暖かくした方がいいよね。
うんうん。
僕は友人の体調を守れたことに満足しながら、家の中へと帰っていった。
けれど翌日ーー
僕が風邪を引いてしまった。
熱が上がった僕は、自室のベッドで横になり、目を閉じて安静にしているほか無かった。
体が熱くてだるい中を、僕のおでこが突然ひんやりした。
瞼をゆっくり持ち上げると、ベッドの横にしゃがんだジゼルが、魔法で冷たくしたタオルをおでこに乗せてくれていた。
彼女は目覚めた僕に気付いて、僕の顔を覗き込む。
「大丈夫?」
「……うん。けどジゼルにうつったら嫌だから、気を付けてね……」
「もう、こんな時まで人のこと心配するなんて。風邪を引いたのも、ココさんのお世話を優先して、ディランは濡れたままだったからなのに……」
ジゼルが珍しく頬を膨らませて怒っていた。
けれどすぐに呆れながら「でも、そこがディランの素敵な所なんだけどね」と笑う。
「…………」
僕は熱でぼんやりする頭で思っていた。
〝それはジゼルも一緒だよね?〟って。
ウィリアムの願いを叶えたジゼルの優しさや、僕をいつも1番に考えてくれるジゼルのひたむきさには、到底敵わない。
大事な人を優先してしまう似た者同士だから……お互いを思いやれるから、一緒にいるとこんなにも心地良いのかもしれない。
「ディラン笑ってる? どうしたの?」
不意にほほ笑んだ僕を見て、不思議に思ったジゼルが思わず声をかける。
「…………体調が悪い時に、いろいろしてもらえると嬉しいなって思って。ありがとう」
本当はもっとジゼルへの愛おしさを言葉にしたかったけれど、恥ずかしくて上手く出来なかった。
「そっか。ディランはここ最近、ひとり暮らしだったもんね。スープなら食べれそう?」
「うん」
「じゃあ作ってくる。待っててね」
「ありがとう」
ジゼルはふわっと優しく笑うと、立ち上がって部屋を後にした。
1人になった部屋で、うつろな視線を天井に向けて何気なく思う。
体調が悪いと心も弱くなるのかな?
誰かがそばにいる嬉しさ。
助けてもらえる有り難さ。
どうしようもない愛しさと幸福感。
いつか、照れずにきちんと伝えられたら……
溢れてくる暖かい気持ちに包まれながら、僕の意識は夢の中へとゆっくり引きずられていった。
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蒼い月が顔を覗かせる静かな夜。
だいぶ体調が良くなった僕は、お店のカウンター内で椅子に座っていた。
「ゴホゴホッ」
「大丈夫?」
隣に座るジゼルが、心配そうに眉をひそめる。
「……咳だけ残ってるんだ。あまり酷いようだとお客様にも悪いから、もう店を閉めようかな……ケホッ」
僕は喋りながらも、ジゼルに背を向けて座り直した。
彼女に咳をかけたくなかったからだ。
ジゼルは席を立つと、僕の背中に抱きついて嘆く。
「白の魔法は怪我しか治せないからなぁ。病気も治せたらいいのに〜。あ、私がディランに『風邪が治りますように』って思っている願いを、蒼願の魔法で自分にかけたら??」
彼女が顔をあげたのか、背中から上半分の温もりが消えた。
その代わり、ぎゅうっと抱きしめる力が強まる。
僕は肩越しに後ろを振り返った。
「魔法をかけなくても、どうにかなりそうなことは、極力かけたくないんだ」
「……なんで?」
ジゼルが可愛らしく首をかしげた。
「蒼願の魔法は、人が願っている内容の詳細までは分からずにかけるんだ。だからジゼルが『風邪が治りますように』と願って、今回の咳だけ治ればいいけど……」
僕は咳が出そうになったので、急いで前を向いて2、3度咳き込んだ。
それが落ち着くと、また振り返って続ける。
「もしジゼルが『風邪を引きませんように』と願っていたら、僕は風邪を引かない人間になってしまうかもしれない。それがエスカレートして、人を超越した存在になってしまうのが怖いんだ」
「…………」
ジゼルが青ざめて黙り込んだ。
思いの形は人の数だけある。
その強い部分を掬い取って叶えてしまう蒼願の魔法。
僕ら魔術師は思いの全部は分からない。
予想外のものが混じる場合もある。
この魔法の恐ろしい面でもあり、呪いと呼ばれる理由だ。
「……ごめんね」
僕は弱々しく呟いた。
ジゼルの純粋な〝治って欲しい〟と思う気持ちを拒絶して。
それに…………
人間になったジゼルが、これからどうなるか分からない可能性を伝えてしまって。
しばらく無言で考え込んでいたジゼルは、抱きついていた僕から体を離して立ち尽くした。
そして震える唇で僕に問いかける。
「じゃあ……私は? …………若い〝ジゼルさん〟になった私は…………」
顔を伏せたジゼルが言葉を失った。
痛々しい彼女を見て心が痛んだ僕は、思わず泣きそうになってしまう。
飼い主だったウィリアムが、ジゼルに対して〝若いころのジゼル・フォグリアに会いたい〟と強く思っていたのなら……
ジゼルは年を取らない。
たまらなくなった僕は、ジゼルの腕を掴んで引き寄せた。
彼女をひょいと抱き上げると、僕の膝の上に横向きに座らせる。
そして大切なジゼルを守るかのように両腕で包み込んだ。
「蒼願の魔法は解除出来ないんだけど、ある方法を使えば、似たようなことが出来るんだよ」
「そうなの?」
腕の中のジゼルが驚きで目を見張る。
「うん……ゴホゴホッ」
僕は咳が出るたびに横を向いた。
手を口元に当てて必死に遮る。
喋るのも本当は辛いのだけれど、ジゼルにきちんと伝えてあげたいと、気持ちを奮い立たせた。
「その魔法を打ち消す程の強い思いを抱いて、蒼願の魔法を重ねがけすればいいんだ。もし、ジゼルにとって、今の蒼願の魔法が呪いになるのなら……僕が、解除することでも、打ち消すことでも、必ずジゼルに対して強く願うから」
「それって、すごくーー」
優しいジゼルが言葉を飲み込んだ。
けれど動揺している彼女の表情が、僕に続きを訴えている。
〝それって、すごく難しいことなんじゃ〟と。
確かに難しい。
具現化出来る程の強い思いを持つこと。
ましてや本人が望むことを、あえて他人が願うのだ。
「大丈夫。僕は蒼刻の魔術師だから必ず出来るよ」
僕はあえて言い切った。
絶対なんて保証出来ないけれど、言葉にすることでジゼルに強い意志を示したかった。
「…………ディラン、ありがとう」
ジゼルが泣きそうになりながら笑った。
僕の胸に幸せそうに顔をうずめる。
「ジゼッ…………ゴホゴホゴホッ。咳が出るから締まらないね」
僕は横を向いて咳き込んだ後に、脱力しながらジゼルの頭に頬をくっつけた。
「フフフッ」
彼女の頭が楽しそうに揺れる。
「なるほどな」
誰かの声が、僕とジゼルしかいないはずの店内に響き渡った。
「「!?」」
飛び上がりながら声のした方向に目を向けると、店先の扉がいつの間にか全開になっており、蒼い月明かりが差し込んでいた。
その光を背中に浴びて、麗しいお人が腕を組み仁王立ちをしている様子は、嫌になるほど様になっていた。
「「タナエル王子!?」」
僕とジゼルの叫び声がこだました。




