3:高貴なお客様
蒼い月が夜空で煌々と輝く夜。
僕のお店はひっそりと開店していた。
今日も優しい蒼色の月明かりが、窓から差し込み店内を照らす。
談話スペースの1人掛けのソファも蒼色に染められ、その上にはクッキーを頬張る猫耳の少女が座っていた。
「ディランの手作りクッキーは美味しいね!」
少女姿のジゼルが、ニコニコ顔で僕に語りかけた。
「喜んでもらえて良かったよ」
僕がそう答えている間にも、お皿のクッキーはすごい勢いでなくなっていった。
唖然とする僕に気付かないほど、ジゼルが夢中で食べている。
ジゼルが少女に変身するようになった当初、人間のお菓子を与えていいか分からなかった僕は、彼女にさっぱり味の手作りクッキーを振る舞った。
それ以来、ジゼルはこのクッキーが大好きだった。
あとから人間と同じものを食べていいと分かったけれど、それでもジゼルはこのクッキーを食べたがった。
だから僕は、彼女のためによく作ってあげていた。
飼い主よりも、飼い主っぽいことをしていると驚きながら。
クッキーを食べ終えたジゼルが、カップを慎重に持ち上げて口につける。
その時になってやっと、僕の呆れた視線に気付いた彼女が照れ笑いを浮かべた。
「……ディランはお菓子作りが好きなの?」
「お菓子って言うより、料理するのが案外好きかな? 父さんがよく作ってたから、その影響かも」
「そうなんだ。ディランのお父さんはどんな人?」
カップをこれまた慎重にテーブルに戻したジゼルが、僕を見上げて楽しそうに首をかしげた。
「うーん、適当な人?〝人から向けられた願い〟を叶える魔法……蒼願の魔法をかける時に、よく下手なフリをしていたんだ」
「下手なフリ?」
「難しくてかけれなかったって言って、魔法をワザとかけないことがあったんだ。もちろん料金は返していたし、今思えば、かけたくなかったんだろうね。僕も父さんみたいに、適当にしていけばいいのかな」
僕はしばらく会っていない父親に、思いを馳せた。
……明らかに、魔法をかける内容を選り好みしていたよね。
僕も気に入らない内容なら、かけないでおこうかな。
両親からは、自由にしていいよって言われてるし……
そんなことを考えながら、肘掛けに頬杖をつき不貞腐れた表情をしていると、隣でジゼルがコロコロ笑った。
「ディランは優しいから、お客さんみんなの思いを叶えようとするもんね」
彼女はそう言って、僕の頬杖をついている腕に抱きついてきた。
キィィィ……
その時、店の扉が開く音が静かにした。
「……こんばんわ。蒼刻の魔術師ディラン様」
鈴を転がすような声がして、僕の名前が呼ばれる。
「…………っ!?」
お客様に目を向けた僕は、思わず固まってしまった。
そこには蒼い月明かりを背に、輝くような美しさを放つ、ドレス姿の女性が佇んでいた。
ウェーブがかった金色の長い髪に水色の瞳。
肌は透き通るように白く、細っそりとした四肢。
見るからに上質なドレスを着こなすその姿は、誰がどうみても最上級に高貴なお方だった。
「い、いらっしゃいませ……」
目をパチパチさせながら立ち上がった僕は、どうにか言葉を絞り出して彼女を出迎えた。
ーーーーーー
彼女は護衛騎士を1名だけ引き連れており、その少なさにお忍びで来たことが窺えた。
ひとまず彼女たちを、談話スペースのソファに案内する。
こんな高貴なお方を、粗末な所にお通しするのは気が引けたが、他に場所がないのでしょうがない。
ジゼルには、カウンター内の背の高い椅子に移動してもらった。
彼女はカウンターに腕を伏せ、その上に顔を置いて興味深げに眺めている。
ジゼルが眺める先には、精一杯のおもてなしをしようとしている僕がいた。
「お口に合わないとは思いますが……どうぞ……」
僕は緊張でトレイの上のティーセットをカチャカチャいわせながらも、ローテーブルに一旦置くと、その高貴なオーラを放つ女性の前に、紅茶が入ったカップとソーサーを置いた。
毒味が必要だから、飲まないかもしれないけれど。
でもそうじゃないんだ。
おそらく紅茶を出すという行為が大切なんだ!
僕は間違ったことをしていないか心配になる自分に、必死に言い聞かせていた。
「ありがとうございます」
彼女は優雅にほほ笑み、澄んだ声を発した。
そして隣に座っている護衛騎士の男性に、目配せをする。
彼女が伏し目がちに横を向くと、目元が赤く腫れているのが見えた。
……泣いたあと?
僕が惚けながら女性を見てしまっていると、護衛騎士から睨まれている気がした。
「っ!!」
慌てて彼の方を向いて紅茶を配る。
そして自分の分も素早くテーブルに置くと、僕は女性の向かい側の席に座った。
すると神妙な顔付きになった女性が、おもむろに口を開いた。
「……わたくしは」
「ちょ、ちょっと待って下さい!」
僕はあわてて両手を突き出して続けた。
「僕ら蒼刻の魔術師は、国王様との約束で、王族の方の〝人から向けられた願い〟は叶えちゃダメなんです! 争いの元になる可能性が高いから!」
僕の焦った様子に、女性と護衛騎士は眉をひそめて困惑した。
チラリと見てしまった護衛騎士の服の胸には、見慣れた紋章があった。
けれど僕は必死に説明を続ける。
「だから……王族とか名乗らないで下さいよ! 相談内容にもよりますが……僕は王族からの依頼は引き受けれないので!!」
僕が叫ぶように言い切ると、2人は思わず顔を見合わせていた。
…………
この女性が誰なのか、僕は一目見た時から分かっていた。
それほどまでに有名で優美な女性は……この国の第四王女であるクリスティーナ様だった。