28:ピクシー
僕の両親がいきなり帰ってきた次の日。
彼らは一晩泊まると帰る予定だったらしく、朝ごはんを食べると出発する支度をした。
それも無事に済み、帰ろうとする2人を僕らも外に出て見送る。
僕は両親に声をかけた。
「気を付けて帰ってね」
「また来るよ」
父さんが穏やかに笑って答えた。
母さんは、ジゼルと両手でしっかりと握手をしている。
「ジゼルちゃん。頑張ってね」
「は、はい…………?」
何か気迫のようなものを感じ、ジゼルが不思議そうに返事をする。
父さんまでも、ジゼルを真剣に見つめてゆっくり頷いていた。
……僕はそんなに手のかかる息子と思われているのだろうか?
それともこれが普通??
僕は半笑いを浮かべて、3人の様子を見守っていた。
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両親と疑問の残る別れをしてからの、次の蒼い月の夜。
僕とジゼルはいつものように、カウンター内の椅子に座っていた。
「お客様来ないねー」
ジゼルがカウンターの上で腕組みをし、顔を横にしてくたりと伏せていた。
彼女の横には、昼間に一緒に作ったクッキーが乗ったお皿がある。
沢山乗っていたはずのクッキーは、異様な速さで減ってもいた。
「そうだね」
僕がそのお皿をチラリと見ると、ジゼルがカッと赤くなった。
「も、もう食べないよっ」
彼女が慌ててクッキーを片付け始めた。
お皿に敷いているナフキンで、残りのクッキーを包む。
僕は何気なくクッキーを見ただけなんだけど……
ジゼルは食べ過ぎを指摘されたと勘違いして、勝手に照れていた。
ガチャ。バタン!!
突然、店先の扉が荒々しく開けられ、すぐに閉められた。
そちらに目を向けると、5歳ぐらいの男の子がニヤリと笑って立っている。
彼は蒼い半ズボンにジャケット、蝶ネクタイにシルクハット姿という、年齢とチグハグな格好をしていた。
「こーんばーんわー!!」
「げっ。ピクシーだ」
僕が声を上げるのと同時に、辺り一面が蒼い光で包まれた。
すぐに何も見えなくなり、危険を感じた僕は目を瞑りながらも急いで隣のジゼルをたぐり寄せた。
彼女を守りたくてギュッと抱きしめると、次の瞬間には、どこかに放り出されるような浮遊感に体が包まれる。
そして下へ下へと落ちていき……
目を開けると、僕たちはどこかの空を真っ逆さまに落ちていた。
さっきまで夜だったのに、晴天の晴れ渡る空をどこまでもどこまでも落ちていく。
「キャアッ!!」
ジゼルも目を開けたらしく、僕に更に強くしがみついた。
腕の中を覗き込むと、そこには10歳の少女の姿で猫耳と尻尾を生やした、あのジゼルがいた。
「落ち着いてジゼル。ここはさっき店に入ってきた、ピクシーの魔法の世界なんだ。だから…………」
僕は小さく息を吸って続けた。
「不思議なことしか起きない!」
「うぅぅ、そうなんだ……それで、ディランも小さくなって、猫の姿なの??」
ジゼルに言われて確認すると、いつの間にか僕も今の彼女と同じぐらいの身長になっていた。
ハッとして頭に意識を向けると、風圧を受けてペタンコになった猫耳がついているのを感じる。
そして動かそうと思えば自在に動く尻尾。
初めて経験する不思議な感覚だった。
魔法の世界だからか、ジゼルも僕も、服の外に当たり前のように尻尾が出ていた。
手の込んだ仕様に驚きながらも、気にする所はそこじゃないと頭を振って思い直す。
ヒュンヒュンと風を切って落ちていく中、僕はジゼルの問いかけに答えた。
「これもピクシーのイタズラだね。蒼い月の日は、蒼刻の魔術師の魔力が高まるんだ。その独特の魔力に惹かれたピクシーがたまにやって来て、勝手に魔法をかけて遊ぼうとしてくる」
「それがこれ?」
「うん」
僕がそこまで説明すると雲の中に入ったのか、周りが白いモヤで覆われた。
そしてそれが晴れると……
目の前には蒼い海が広がっていた。
僕は慌てて呪文を唱えた。
「〝風よ吹け!〟」
突風を僕らに向かって起こし、吹き上げる力で少しでも落ちるスピードを殺す。
普段はこんなに威力の出ない僕の一般魔法でも、この世界ではどうしてか通常の効果が発揮出来た。
何度もここを経験している僕は、急いでジゼルに要点を伝える。
「ピクシーの魔法の世界と言っても、痛みは感じるからね。魔法を使って対抗するしかっーーーー」
言い切る前に、ドボンと海へ落ちた。
その衝撃でジゼルと離れそうになってしまい、せめて手だけはと強く握りしめる。
けれど覚悟をしていた息苦しさは感じず、僕たちは海の中をフワフワ浮くように漂っていた。
ジゼルの白い尻尾が、水のゆらぎに合わせてゆらゆら揺れている。
どこまでも蒼色が広がる世界の中、太陽の日差しが柔らかく差し込んでいた。
降り注ぐ光が無いと、上下が分からなくなるほどの見渡す限りの蒼い海……
「……どうやったら、この世界から出れるの?」
隣のジゼルが不安げに僕を見つめていた。
猫耳を伏せて、大きな青い瞳に僕をうつす。
僕らは海の中なのに、息もできるし喋ることもできた。
けれどここは、ピクシーが魔法で作った世界。
理屈が分かったジゼルも、不思議な現象が起こることには特段驚かなくなった。
「ピクシーを捕まえたら出られるんだ」
僕は以前ここに来た時の事を思い出し、ゲンナリした。
ピクシーの外見や年齢は会う度に違っており、この魔法の世界も捕まえるまでの設定も多種多様で、1つとして同じ物は無かった。
どれもこれも、ピクシーを捕まえるのに骨が折れた記憶しかない。
その時、遠くから魚の群れが泳いできた。
ウロコの色が1枚1枚違っており、何ともカラフルな魚たちに視界が埋め尽くされる。
その魚たちが僕らを目指すかのように、一直線に向かって来た。
あっという間に群れの中に取り込まれた僕は、身をすくめながらも1匹の蒼い魚が泳いでくるのを見つけた。
ピクシー?
そう思い、すばやくその魚に手を伸ばしてみたけれど……
魚に手が触れないうちに、世界が黒一色になった。
真っ暗すぎて何も見えない。
ただジゼルと繋いでいる手から温かさを感じ取っていると、彼女が呪文をそっと唱えた。
「〝光よ照らせ〟」
ジゼルの小さな声が暗闇の中に溶けると、蛍みたいな儚い光が生まれた。
それがみるみる内に大きくなっていき、辺りの闇を追い払っていく。
太陽の下にいるかのように明るくなると、周りの様子を初めて知ることが出来た。
「ここは……ステージ?」
僕たちは1段高くなった円形の場所にいた。
そのステージの周りには、椅子がてんでバラバラに並べられている。
『パチパチパチパチ!!!!』
誰もいないのに拍手が巻き起こった。
驚いて僕とジゼルの尻尾がピンと伸びる。
次第に拍手がまばらになって静かになると、燃え盛る火の輪っかがステージに出現した。
……サーカス?
僕がちょうど今の姿ぐらいの子供の時に、1度だけ見たことがあるサーカスを思い出していた。
火の輪っかをライオンが飛び越える様に、ハラハラドキドキしたことを覚えている。
「いやいや、僕たちライオンじゃなくて猫だし」
苦笑を浮かべて小さくため息をつくと、輪っかの奥の風景が代わってお花畑が見えた。
遠くで子供姿のピクシーが、跳ね回るように駆けている。
僕の視線に気付き一瞬こちらを見て止まると、そそくさと走っていきフレームアウトした。
「ディラン、あっちも見て」
僕の袖を引っ張るジゼルが、観客席の奥にある空間を指差していた。
そこには空中に浮かんだサーカスのポスターが並んでおり、それに混じって1枚だけ大きな蒼い文字の貼り紙が。
『それはなぁに?』
僕は首をかしげた。
「ピクシーからの問いかけ?」
何を意味するのかよく分からないけれど、今はピクシーを捕まえる事が優先だ。
僕は火の輪っかに向けて手を掲げた。
「〝水よ湧き上がれ!〟」
手の先から水が放たれ、輪っかの火を消火する。
「ピクシーを追いかけよう!」
「うん!」
僕たちは頷き合うと、手を繋いだまま輪っかをくぐった。
猫の姿だからか、思いがけずしなやかな跳躍ができ、難なく輪っかの中へと入っていけたのだった。




