22:行きたくないの
僕はジゼルに近付いた。
半開きの扉を開けて、生活スペースに僕も入る。
彼女が悲しげに僕を見上げた。
「……ディラン」
「こっちで話そ?」
僕はジゼルのそばを通り抜けてリビングへ向かった。
3人掛けソファに座ると、ジゼルもついてきて隣に座る。
そして僕の方を向き、おずおずと喋り始めた。
「ごめんなさい。ディランに酷いこと言っちゃって……」
ジゼルが目に見えてシュンと縮こまり、項垂る。
「気にしてないよ。それより、もう一度確認するんだけど、ジゼルは行きたくないんだよね?」
「うん。ここにいたいの。ディランのそばにいていい?」
俯いているジゼルが視線だけ上に向けて、窺うように僕を見た。
僕は穏やかにほほ笑んで返事をする。
「ここにずっといていいよ。一緒に暮らそうって言ったのは僕だし。安心して」
「!! ディラン、ありがとう!」
ジゼルが顔をパァァッと輝かせると、横から抱きついてきた。
僕はそんな彼女の頭を優しく撫でる。
外見上は余裕たっぷりに見せながらも、内心では冷や汗をかいていた。
……思わず言い切ってしまった。
僕はまた、ジゼルにカッコつけていた。
けれどニコニコした彼女の幸せそうな様子を見て、静かに覚悟する。
この笑顔を守るために、頑張るしかないか……と。
**===========**
蒼い月が昇った夜。
いつものように、優しい蒼い光が街を包み込む。
物音1つないこんな夜は、時が止まっているかのようだった。
そんな幻想的な光景が、ガラガラという車輪の音に一瞬にして壊された。
騒々しい1台の馬車が、蒼い街並みを走り抜けていく。
かと思えば、馬車は『人から向けられた願いを叶えます』と、看板が掲げられた店の前でゆっくりと止まり、静かになった。
店の中から窓の外を眺めていた僕は、その光景に眉をひそめた。
シンプルな黒い馬車だけど、よーく見ると何やら模様が描いてある。
目立たないように、外装より少しだけ淡い色で描かれた盾と剣のその紋章は……
最近よく見るものだった。
「!! ジゼル! 王太子様がっ!」
僕がカウンター内のジゼルに全てを言い切る前に、店の扉が勢いよく開かれた。
ビクリと体を跳ねさせながらも、僕とジゼルはすぐさまそちらを注視した。
「呼ばれたから、私みずから出向いてやったぞ」
そこには蒼い月の光を背に堂々と立つ、タナエル王子がいた。
ーーーーーー
僕は王子を談話スペースのソファに案内した。
タナエル王子の護衛が1人だけ店内に入り、入り口の近くで待機する。
こんな高貴なお方を、粗末な所にお通しするのは気が引けたが、他に場所がないのでしょうがない。
と、クリスティーナ王女の時にも思ったことを繰り返す。
タナエル王子はソファに深く腰掛け、足も腕も自然と組んだ。
そして息をするように、すごい威圧感を発し続けていた。
僕は慄きながらも、ふと思ってしまう。
別に呼んだわけじゃないんだけど……
実は心の中で仕切りに首をかしげていた。
確かにジゼルの身の振り方について、タナエル王子宛てに手紙をしたためたけど……
『来てください』というようなことを書いた覚えがない。
けれど僕は、建前上のお礼を口にした。
「タナエル王子。わざわざこんな所まで足を運んで下さり、ありがとうございます」
王子に紅茶とお茶菓子を出し終えると、向かいに座りながら僕は頭を下げた。
あいにく家にあるお茶菓子が、今日の昼間にジゼルと作ったアーモンドクッキーしか無かった。
けれどクリスティーナ王女も、結局は何も口につけなかったし、形だけでもと気休めで出していた。
なのに……タナエル王子がいきなりクッキーを手に取り、流れるような優雅な所作で口に運ぶ。
あっけにとられた僕は、王子が一口かじって咀嚼し始めた時にやっと声が出せた。
「っ食べた!? 毒味とかいいんですか!?」
思わず前のめりになって叫んだ。
「毒が入っているのか? いい度胸だな。ちなみに外に解毒魔法のスペシャリストが控えているから、私を毒ぐらいで殺すのは無理だ」
タナエル王子がニヤリと悪どい笑みを浮かべる。
「…………そう、ですか」
僕はゆっくりと体を戻して座り直した。
王子はクッキーを食べ終えると、これまた優美な身のこなしで紅茶を飲んだ。
手にしたカップとソーサーを机に音もなく戻すと、僕を見据えて口を開く。
「この前の裏切り者の貴族の報告、ご苦労であった。おかげで上手くことが運べた」
「……お役に立てて良かったです」
僕は当たり障りのない返事をした。
すごく闇が深そうな話なので、詳しく聞きたくなかったからだ。
そんな僕の気持ちを汲んでくれたのか、タナエル王子が話題を変える。
「で、そちらが手紙に書いていたジゼルか……ジゼル・フォグリアだということが分かる何かを言ってみろ」
僕の隣の椅子に座っているジゼルを、王子があごで指し示した。
名指しされたジゼルが、ビクリと背筋を伸ばす。
彼女は緊張した面持ちで言葉を絞り出した。
「ジゼル・フォグリアが…………その功績を讃えられて王宮に呼び出された時に、子供だったタナエル王子が話しかけてくれましたよね?」
ジゼルが大きく息を吸って続ける。
「……その時に、王子が盛大に噛んだのを覚えております」
ジゼルの発言を受けて、タナエル王子がピクリと眉を動かした。
そしてじっとりした目を僕に向ける。
「私の不名誉な出来事を握って、ゆするつもりか?」
「!! 滅相もございません!」
「……ふん」
顔をそむけた王子を盗み見ると、珍しく薄っすら頬を赤くしていた。
彼なりの照れの表現だったらしい。
いちいち怖い。
「こちらの女性が、ジゼル・フォグリアの記憶を宿すことは分かった。しかも彼女と同様に白の魔法が使えるのだろう?」
タナエル王子はそう言うと、もう1枚クッキーをつまんだ。
どうやら気に入ったらしい。
手作りですって言ったらどうなるんだろう?
定期的に作って献上しろ……とか?
パクパクと食べられることに一抹の不安を抱えながらも、僕はまた優雅にクッキーを食べている王子に向けて頷いた。
「そうです」
「……分かった。ではジゼルを蒼刻の魔術師として、私の専属に登録しよう」
「ありがとうございます! ジゼル、いい?」
僕がすぐさまジゼルを見ると、彼女は隣でポカンとしていた。
「…………私、蒼刻の魔術師でいいの?」
「うん。蒼刻の魔術師は適当な扱いだから、自分から申告するだけなんだ。ジゼルがこの前ケントの傷を治したのも、母親からの『息子を助けたい』思いを叶えたってことにすれば、蒼刻の魔術師なんだよ」
僕は目を細めて笑いながらジゼルに言った。
そして「でもちょっと無理矢理だから、タナエル王子の助けが必要だったんだけどね」と付け足した。
状況をジワジワと把握したジゼルが、重ねた両手で自分の口元を覆い感極まった。
「……ディラン、ありがとう」
そしてタナエル王子に向き直り、深々と頭を下げる。
「タナエル王子。お取り計らい下さり、誠にありがとうございます」
「このぐらい何てことない。……それよりもディラン」
王子が僕を鋭い目つきで射抜くと、口元を緩めて言葉を続けた。
「望みを聞いた代わりに、私との約束を守ってもらうぞ」
タナエル王子がそれはそれは楽しそうに笑った。
傍から見れば、天界の住人のように麗しい満面の笑みかもしれないが、僕にとっては黒い黒い悪魔の笑みだった。




