20:白の魔術師ホリー
「ただいま」
出かけ先から帰ってきた僕は家の玄関を閉めると、留守番しているジゼルに向かって声をかけた。
同時に美味しそうな匂いが鼻をつく。
「おかえり〜」
奥のキッチンからパタパタと、エプロン姿のジゼルが出迎えに来てくれた。
今日は少し高めの位置で髪を1つにまとめており、すっきりした輪郭がよく映えていた。
「美味しそうな匂いがするから、お腹がすいてきたよ」
僕は目の前に立つジゼルの頭をヨシヨシと撫でた。
ニコニコと目を閉じて笑う彼女が、頬を赤く染める。
「じゃあもうお昼にするね」
ジゼルがまたパタパタとキッチンへ戻った。
……家に帰ってくると、なんてホッとするんだろう。
緊張する用事を終えたばかりの僕は、ジゼルが作り出す家の暖かい雰囲気に、心底有り難みを感じていた。
ーー昨日の蒼い月の夜。
どこかの貴族が「ある人へ向けた強い願いを叶えて欲しい」と言って訪ねて来た。
僕は懇切丁寧に、願いを向けられている人の依頼しか受けないことと、願いを向ける対象者に会わないと、魔法に出来る程の強い思いなのか判断出来ないことを説明した。
けれどその貴族は逆上して叫ぶ。
「とにかく、あいつが失脚するように仕向けてくれ!!」
「…………」
僕は努めて冷静なフリをしながら、また無理だと説明して何とかその貴族に帰ってもらった。
けれど不穏な空気をひしひしと感じたため、タナエル王子宛に手紙を書き綴って報告することにした。
これは従来の蒼刻の魔術師の義務だった。
そもそも僕たちは、派閥争いなどに利用されないように、王族の管理下に置かれている。
だから、そんな裏の動きを察知してしまったら、彼らに伝える必要があった。
この前、タナエル王子に殺意を抱く人たちを炙り出してしまったし、何か黒い思惑が貴族たちの間で渦巻いているのかもしれない。
願わくば、その火の粉が降りかかりませんように……
僕はタナエル王子が穏便に解決することを祈った。
…………
穏便は無理かな……
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昼食を終えた僕とジゼルは一緒に片付けをし、何をするわけでもなく中庭のベンチでまったりとしていた。
隣に座るジゼルは、目を閉じて僕の腕に抱きついている。
彼女は元猫だからか、こうして日向ぼっこをしながら微睡むのが大好きだった。
僕も本を読みながらジゼルに付き合う。
どこまでも穏やかな時間が流れていた。
そんな僕らに、遠慮がちに声をかける人がいた。
「こんにちはー」
見ると、建物の角からひょこっと顔を覗かせた、白いローブ姿の女性がいた。
僕と目が合うと、バツの悪そうな表情を浮かべて近付いてくる。
「お店の前でいくら呼びかけても、誰も出てこないから入ってきちゃった……」
その声で目を覚ましたのか、ジゼルが瞼をゆっくりと持ち上げて女性を見た。
「……ホリー?」
「久しぶりだね……えーっと、猫のジゼル?」
ホリーと呼ばれた女性は首をかしげた。
ジゼルはピョンッと弾かれるように立ち上がると、ホリーに抱きついた。
「わぁ! 久しぶりだね!」
「うわっ。この感じは猫のジゼルだ」
ホリーは慣れた感じで、勢いの良いジゼルを受け止めていた。
それからホリーをお店の談話スペースへと案内し、ソファに座ってもらった。
向かいにはジゼルが座り、その隣に僕が座る。
おもてなし用の紅茶とクッキーを出すと、彼女は「美味しそう!」と喜んで早速クッキーに手をつけた。
ジゼルもニコニコしながら「そのクッキー、ディランと作ったんだよ」と答える。
ホリーはクッキーを1枚食べ終わってから一口紅茶を飲むと、改めて喋り始めた。
「久しぶりだね、ディラン」
「……??」
「覚えてないの!? 魔法学校で同じ学年だったじゃん!」
まあるい目をさらに丸めてホリーが驚く。
「……あー」
僕は思い出したフリをして宙を見た。
「その感じは覚えてないでしょ。まぁいいよ。ディランと違って私は有名じゃ無かったから……」
「…………」
ホリーの言う有名は悪い意味でだった。
僕は珍しい蒼刻の魔術師だから、魔法学校でも悪目立ちしていた。
1番の理由は、一般魔法が下手だからだった。
「なんで魔法学校に来たの?」と聞かれたこともある。
「なんでだろうね?」と返すと嫌な顔をされた。
今思うと、魔法学校に来ていたみんなは魔術に真剣だったから……
適当な蒼刻の魔術師は、浮いてしまうのが常なのかもしれない。
そして普通の魔術師は、それまでよく知らなかった蒼刻の魔術師について、授業で習って初めて知る。
〝人からの強い思い〟を読み取れる能力や、蒼い月の日にしか使えない『蒼願の魔法』について……
特殊過ぎるこの魔法に、畏怖の念を抱き距離を置かれた。
僕はホリーの反応に、学生時代のことをありありと思い出していた。
みんなから遠巻きに眺められていた当時を思い出して、胸が痛む。
突然黙りこくった僕に、ホリーが不思議そうに首をかしげた。
「どうしたの?」
その様子から、彼女は悪気があって言っているわけじゃ無いと思い直す。
「それで、僕に何か用?」
「ディランじゃなくて、ジゼルに用があって来たんだー。私はこの通り白の魔術師だから、卒業後にはウィリアム様のお屋敷でお世話になっていたの」
彼女がローブの袖口をそれぞれの手で掴んで、両袖をヒラヒラさせてから続けた。
「先輩たちに揉まれて魔法を研磨しつつ、社会に貢献してる感じ? それで猫のジゼルともよく遊んでて……ねー?」
ホリーがジゼルに同意を求めるように、大袈裟に首をかしげた。
「ねー?」
ジゼルも楽しそうに笑いながら首をかしげる。
「でもジゼル様になるなんてビックリしたんだから! ウィリアム様がお亡くなりになった部屋に、私もいたんだけど……」
「…………」
笑顔を無くしたジゼルが下を向いた。
「当時はみんな騒然としてたよね。ジゼル様を変わらずにお慕いしている人も多いから。その……死者に対する冒涜じゃないかって。でも時間が経った今では、みんな感謝してるんだよ! だってウィリアム様が、とても安らかな顔をしてたから」
ホリーがジゼルをじっと見つめた。
顔をゆっくりあげたジゼルが、ホリーの視線を受け止める。
するとそれを待っていたホリーが、ニッコリと笑って言った。
「だから安心して帰っておいで」
「「えっ?」」
ジゼルと僕が揃って声を出した。
2人してホリーの次の言葉を待つ。
「……この前ジゼルが、大通りで男の子に回復魔法を使ったよね? それでジゼルが白の魔術師の1人だと認識されてさ。私たち白の魔術師は、ウィリアム様……あ、今はハロルド様の元で初めは管理されるのが掟なんだ」
ホリーがクッキーをもう1枚手に取りながら続ける。
「半年ぐらいお屋敷で、白の魔術師としての行いや考えの基礎を学んで修行すれば、あとは自由にやっていけるよ」
そして説明し終わると、クッキーをポリポリと食べた。
「…………」
ジゼルがきょとんとした顔を僕に向ける。
僕もワンテンポ遅れて、彼女を見つめ返した。
僕が見守る中、ジゼルの口がゆっくりと〝い〟の形になって……
「……っい、嫌ー!! ディランと半年も離れたくないー!!」
ジゼルが僕の腕に抱きついて、ホリーにプイッと顔を背けた。




