2:蒼刻(そうこく)の魔術師
この国では、魔術師を系統ごとに色を当てはめて分けている。
蒼刻の魔術師は、蒼の魔法を扱う魔術師の総称だ。
けれど一般人にその呼び名の馴染みはなく、ある程度の教養を持つ人しかそう呼ぶことない。
そんな俗称である〝蒼刻の魔術師〟と僕を呼んだ男性は、怒り心頭でズカズカと店内に入ってきた。
僕は急いで記憶から彼の情報を探し出す。
たしかこの前、僕が扱える特別な魔法をかけてあげたお客様だ。
名前はグレッグ。
どこかの男爵の息子だ。
「何でしょうか?」
僕はソファから立ち上がって2、3歩彼に近付いた。
万が一のとき、ジゼルにまで危害が及ばないように彼女から離れる。
グレッグは僕に詰め寄って叫んだ。
「この呪いを解きやがれ!!」
「……解けませんと申し上げたはずです」
僕はニコッとほほ笑みながらも淡々と喋った。
「貴様っ!!」
逆上したグレッグは、腰に下げていたサーベルを鞘から引き抜き僕に向けた。
「ディラン!!」
驚いたジゼルが、ソファからピョンと飛び出て駆け寄った。
僕を守ろうとしてか、彼女が後ろから必死に抱きつく。
くっついているならジゼルは安全だと思い、僕は悠長にため息をついていた。
振り下ろされたグレッグのサーベルが、すぐ頭上に迫っているというのに。
「やっぱり契約内容をよく理解してなかったんだ」
「なっ!?」
僕のセリフと共に、サーベルが何かに弾き返された。
グレッグは目を白黒させて固まってしまっている。
僕は右手の上に、魔法で出来た契約書を出現させた。
黄金に光輝く文字が、まさに今書かれているかのように、上から順に浮かび上がっていく。
サラサラと文字が整列していく様は、繊細な模様が空中に描かれたようで美しかった。
そして最後の行には、ついこの前本人が書いたサインが。
僕は小さく息を吸うと、強めに言葉を発した。
「〝人から向けられた願い〟を叶える『蒼願の魔法』をかける際に、交わした契約書の内容を覚えていますか? お客様?」
冷ややかな目をした僕は、ズイッと右手をグレッグに押し出した。
それに合わせて宙に浮かぶ魔法の契約書も、彼の目の前に突きつけられる。
「…………っ」
「いろいろ交わしましたが、まずこの魔法はいかなる時も解けません。また術者に危害を加えることも一切出来なくなります」
「……けど、俺は恋人のジェシカが望むから、瞳を緑色に変える魔法をお前にかけてもらったんだ!」
グレッグが僕に向かって必死に訴える。
悲痛な表情を浮かべた彼が続けた。
「なのにジェシカは、俺より高位の貴族に乗り換えやがった! ……この瞳を見るたびに、彼女を思い出して辛いっ!!」
グレッグはその緑色の瞳に、薄っすら涙を浮かべていた。
気持ちを全て吐き出すと、下を向いて両手を力無くダランと垂らす。
握っていたサーベルも手から溢れて床に落ちた。
……グレッグも本当は、どうにもならないことが分かっているのだろう。
やるせなくなった僕は、お腹に回されているジゼルの小さな手に、自分の手をそっと重ねた。
僕は代々続く、蒼刻の魔術師の家系に生まれた。
特殊な魔法を扱う僕らは、それを知る人たちから好ましく思われていなかった。
なぜなら本人の望みではなく〝他人からの強い思い〟を魔法で具現化するからだ。
ある人は『神の祝福』と呼び、またある人はこう呼んだ。
ーーーー『呪い』と。
あれからグレッグを追いかけて、従者が店までやってきた。
迷惑をかけて申し訳ないと平謝りする従者の横で、グレッグは心配になるほど静かだった。
その様子に僕の胸も痛む。
2人が出て行き店の扉が閉められても、僕はしばらく呆然としていた。
するといつの間にか僕から離れたジゼルが、家の奥からホウキを取って来ていた。
「久しぶりに空を飛びたいな。連れてって?」
ジゼルがニコリと笑って首をかしげると、両手で持ったホウキを僕に差し出す。
「……いいよ」
「やったぁ♪」
弱々しく返す僕に、ジゼルは屈託のない笑みを向けてくれた。
蒼い月が浮かぶ夜。
その優しい月明かりを浴びながら、僕たちはホウキにまたがり空を飛んだ。
僕の腕の中には、すっぽりおさまっているジゼルがいる。
空を飛ぶ時は、ここが彼女の特等席だった。
こんな真夜中に家の外に出る人はおらず、ひっそりとした街の様子に、僕たち2人だけの夢の中かと錯覚しそうになる。
「綺麗なお月様だね〜」
ジゼルが月を見上げて楽しげに言った。
彼女の白いサラサラの髪の毛が、風に優しくなびいている。
「……本当だね」
「ディランの魔法をかける光と同じ、綺麗な蒼色だね」
「……そうだね」
僕は生半可な返事を続けていた。
店に来たお客様に、ああやって恨まれることはたまにあった。
まだまだ半人前な自分は、そのたびに今みたいにへこんでしまう。
僕はただ、この特別な魔法で人を幸せにしたいだけなのに……
そんな時は決まってホウキで空を飛んだ。
蒼い月の光を浴びると、不思議と気持ちが落ち着いたからだ。
それを分かっているジゼルは、僕をわざと連れ出してくれたのだった。
「ディラン、元気ないね」
ジゼルが僕を見上げるように振り返り、眉を下げた顔を見せてきた。
猫耳も伏せてしまっている。
僕がなかなか元気にならないものだから、とても心配しているのが分かった。
落ち込むと毎回気にかけてくれる彼女に、僕はいつものように心の内を素直に晒した。
「…………やっぱり、お客様に〝呪い〟って言われると、堪えるよね」
「でも……今日のお客さんに魔法をかける前に、ディランはあんなに反対してたよ。それでもかけたがったのは、あのお客さんだし……かけたあとは幸せそうだったよ」
「うん……」
「それに、前に来た優しいお姉さんは、とっても喜んでたよ。ずっと前にきたおじさんも……!」
ジゼルが必死に励ましてくれた。
真剣な目で僕を見つめながら続ける。
「ディランの魔法はね、かけてもらったらとっても暖かいの。心地よくって優しい気持ちになるんだよ」
彼女は頬を赤くして、幸せそうに笑いかけた。
「…………そっか」
僕は少し困ったような、切なげな笑みを浮かべた。
ジゼルの言葉は真っ直ぐで、僕以上に僕のことを信じてくれている。
純粋で優しい彼女の言葉に、いつも救われていた。
本当にありがとう。
年下の彼女に励まされる自分が、なんだか情けなくて、心の中で感謝を告げる。
そんな僕の気持ちを知らないジゼルは、ニコニコ顔のまま喋った。
「ウィリアムの次にだけどね。ウィリアムの魔法も暖かいんだけど、撫でてもらったら1番心地いいの!」
ジゼルは飼い主のウィリアムが大好きだった。
「あ、聞いて聞いて! この前もねぇーー」
それからジゼルのウィリアムトークに花が咲いた。
僕はコロコロ変わるジゼルの表情を見つめながら、ぼんやり考えていた。
こんなにペットと絆を育めるなら、飼うのもいいかもしれない。
可愛いし、心が落ち着くし。
そして癒されるし。
「……どうしたの?」
ジッと見つめる僕に気付いた彼女が、お喋りをやめて尋ねた。
「僕も何か飼おうかな」
「え? ダメー!!」
ジゼルが器用に僕に振り返ったまま抱きついてきた。
そしてグリグリ顔をこすりつける。
「あははっ」
甘えてくる猫のジゼルは可愛いのだけど、女の子の格好なのでちょっと照れてしまう。
僕は思わず、はにかんだ笑顔を浮かべた。
僕らのゆったりとした空の散歩は、しばらく続いた。
ジゼルと他愛もないお喋りをしながら、時折り笑い合う。
ーーそんな楽しそうな魔術師と猫を、蒼い月がいつまでも照らしていた。