19:幸せの魔法
ケントに回復魔法をかけたジゼルは、1人では立てないほど疲れてしまっていた。
僕たちは人だかりから離れ、1本隣の静かな通りに移動した。
その通りは水路に面しており、所々にベンチが設けられている。
フラフラなジゼルを支えながら空いているベンチに寄り添って座ると、2人してゆったりと流れていく運河を眺めていた。
そうしてしばらく過ごすと、僕はジゼルに振り向いて喋りかけた。
「ここで休むだけで本当に大丈夫?」
「ありがとう。もうちょっと休めば大丈夫だよ」
僕にもたれ掛かるジゼルが、ニコリとほほ笑んだ。
だいぶ元気そうになった彼女の様子に、僕も安心して笑みを返す。
「〝ジゼルさん〟の記憶があるから、白の魔法が使えたの?」
「そうみたい。上手く行くか分からなかったけど、ケントくんを助けたかったし……」
ジゼルが少し体を起こすと、僕の目を真っ直ぐ見て続けた。
「これ以上、ディランに傷付いて欲しくなかったから良かった。やっと私でも役に立てたね」
「…………」
僕は健気なジゼルに胸が締め付けられた。
同時にとてつもない喜びが溢れている。
正直な所、ケントが助かったことで僕の心はだいぶ救われていた。
命が助かって本当に良かった。
無力な自分に、これ以上苛まれずに済んだ。
そして頑張ってくれたジゼルが、心から大切に思えた。
「ありがとう」
僕はジゼルを抱きしめて、首元に顔を埋めた。
彼女の真似をして頬を擦り付けてみる。
「ひゃぁ!」
ジゼルが短い悲鳴をあげてクッタリした。
驚いた僕は、ジゼルが倒れないように抱きかかえてから、彼女の顔を覗き込んだ。
「大丈夫?」
「…………多分」
ジゼルは真っ赤になって、のぼせ上がっていた。
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それから次の蒼い月の夜。
僕の店にケントの父親が訪ねてきて、改めてお礼を言われた。
あれからケントは後遺症もなく、順調に回復しているらしい。
その事を嬉しそうに話していた父親が、不意に真剣な表情になった。
「ディランさん。妻が事故の現場で失礼なことを言ってしまい、本当に申し訳ありません」
彼は深々と頭を下げると、また僕をしっかり見据えてから続けた。
「本当なら本人が謝るべきですが、入院しているケントに付き添っているので、また日を改めて…」
「いえいえ、お気になさらずに。ケントくんを助けたい一心だったからと、分かっていますよ。だからケントくんのそばにいてあげて下さい」
僕は柔らかくほほ笑んだ。
けれど胸が少しだけチクリと痛む。
ケントの母親に言われた〝役立たず〟という言葉。
蒼い月の日じゃないと魔法が使えない事は〝役立たず〟だと自分でも思うからだ。
僕はそんな暗い気持ちを、おくびにも出さずに笑って喋り続けた。
それからケントの父親は、ジゼルにも丁寧にお礼を述べてから店を去っていった。
「……今日はもう、お客様は来なさそうだよね?」
ジゼルが僕に向かって笑顔で首をかしげると、いそいそとホウキを取りに行った。
どうやら僕が落ち込んでいるのを、察知したらしい。
本当に僕のことを、よく見てくれているなぁ。
思わず苦笑しながら彼女を待っていると、ニコニコ笑いながらホウキを持って来てくれた。
「空を飛びたいから連れてって?」
そしていつものように笑いながらお願いされた。
僕もニコッと笑い返す。
「ジゼルもホウキで飛ぶ魔法使えるよね? 回復魔法より簡単だし。ホウキならもう一本あるよ?」
「…………え?」
ジゼルは目をまん丸にして僕を見ると、ぐいっとホウキを僕に近付けて続けた。
「ディランと一緒がいい!」
「あははっ!」
僕は大笑いした。
ごめん、ジゼル。
そう言ってくれると思ってわざと言ったんだ。
僕を好きでいてくれる存在って、なんて心強いんだろう。
心の中で謝りながらも、僕は彼女のことを慈しみながら頭を撫でた。
少し欠けている蒼い月が浮かぶ夜空。
星たちが瞬く幻想的な風景の中を、2人が乗ったホウキが駆けていく。
緩くウェーブした白い髪をなびかせているジゼルと……その後ろには、青ざめた表情の僕がいた。
「わぁ! 飛べたよー!」
魔法を使って初めて飛べたことが楽しいのか、ジゼルがスピードを早める。
「もうちょっとゆっくりで! 後ろって案外怖い!」
僕はジゼルにしがみついた。
そして彼女の「ごめーん」という返事を聞きながらも、眼下に広がる町並みを見てしまった。
「っ!?」
もし落ちたらと思うとゾッとする高さだ。
自分の魔法で飛んでないって、心許なくてソワソワする。
「あ、ねぇねぇあれ何?」
スピードを緩めてくれたジゼルが、遠くに見える建物を指差した。
僕は体を少し傾けて、ジゼルの顔の横から前を見る。
「あぁ、あれはね……」
説明しようと僕が喋り出した時だった。
「ふわぁっ!」
「っえ!?」
力を無くしたホウキが、いきなりガクンと下がった。
僕はジゼルを抱きしめる力を強めながら、どうしようかと必死に考える。
けれどまたホウキはユラユラと浮き上がった。
「ごっ、ごめんね」
僕の腕の中で縮こまっているジゼルが謝った。
そして振り向きざまに僕を見る彼女の顔は、真っ赤になっていた。
眉を下げて潤んだ瞳を僕に向ける。
「耳元で囁かれると……こそばゆくって……」
ジゼルは消え入りそうな声で話すと、それ以上は喋れないと言うようにフィッと顔を前に向けた。
僕もジゼルの照れがうつってしまい顔が赤くなる。
けれど瞬時に思った。
こんな……いつ落ちるか分からない空の散歩は、もう充分なんだけど!!
「……そろそろ帰ろっか? 疲れたでしょ?」
「ありがとうディラン。まだ大丈夫だよ!」
僕と反してジゼルの弾んだ声が上がった。
しかも彼女が、柄を握る力を強めて意気込んだのが、後ろからでも分かった。
………………
僕は恐怖で体を固まらせながらも、ジゼルの気が済むまで、しがみついているしか無かった。




