159:総力戦
ミルシュ姫の血の匂いに誘われて、穴からおびただしい数の魔物が現れた。
さっきまで中型の獣だったのに、二足歩行の大型の獣も飛び出してきている。
「…………どうしよっかぁ」
僕はゲートを見つめながら、レシアの〝どうしよう?〟に返事をする気持ちで呟いた。
そんな呆然としている僕を、隣に寄り添うジゼルが叱咤する。
「まずは魔物をどうにかしようよ! ゲートを塞ぐのが1番だけど、みんなの安全を確保しないと……ディランは聖の魔法を連発して。魔力が底をついたら私のを使って!」
彼女の諦めない姿に勇気づけられた僕は、力強く頷いた。
「そうだね。最後まで出来るだけのことをやってみよう!」
そうして僕らが意気込んだ時だった。
熱風を浴びたと思ったら、空から炎の塊が落ちてきた。
黒い穴に向けて落下したそれは炎の海になり、穴付近にいた魔物たちが燃やし尽くされてしまった。
「空からの攻撃!? ……けどあれって……」
すぐさま頭上を仰ぐと、そこには黒いドラゴンの姿が。
滑空する姿を目で追っているうちに、もっと驚くものがその背に見えた。
「タナエル王子! と、セドリック!?」
思わず叫んだ声が届いたのか、2人を乗せたドラゴンがゆっくりと地上に舞い降りた。
地面に到着する前に、タナエル王子がドラゴンから飛び降りる。
壇上に着地すると、炎の攻撃で取りこぼした魔物と戦うミルシュ姫の元に駆けつけた。
タナエル王子は左腰の剣に右手を伸ばし、グリップを握りしめる。
駆け寄る勢いのまま強く踏み込むと、鞘から引き抜いた剣を斜め上へと魔物に叩きつけた。
後方へゆっくり倒れる魔物を、剣を両手で握り直した王子が振り下ろす一撃で薙ぎ払った。
そしてミルシュ姫に振り向く。
「遅くなってすまない」
「エル!」
ミルシュ姫が表情を崩し、王子の胸に飛び込んだ。
姫は毅然としていたけれど、魔物があふれる状況はさすがに不安だったのだろう。
タナエル王子の姿を見た瞬間、張りつめていた感情がこぼれ落ちた。
僕らがいる高台のすぐ隣の壇上に、ドラゴンに跨るセドリックが降り立った。
軽やかに飛び降りた彼は、公爵家に古くから伝わる赤の魔術師のローブを羽織っていた。
僕とジゼルはいそいそと高台から降りると、興奮気味に彼を迎えた。
「セドリック、ついに召喚したんだね!」
「すごいですね! これで立派な赤の魔術師ですね!」
何を隠そう、セドリックはタナエル王子の作戦という名の命令で、その血筋に眠る赤の魔法を開花されていた。
僕たち2人からの熱い思いを元にした、蒼願の魔法で。
セドリックがよっぽど疲れたのか、しゃがみ込んで深い深いため息をついた。
「召喚というか、まずはこのドラゴンと契約したんだけど…………聞いてくれるかい? このドラゴンが眠る洞窟の攻略を、タナエル王子に命じられたんだ……2日でって。2日だよ?? 流石に無茶振りじゃない? 間に合って良かったけど」
「今に始まったことじゃないだろう」
タナエル王子の身も蓋もない指摘が飛んできた。
僕もつい頷きそうになる顔を、どうにか静止させる。
するとドラゴンが、意気消沈したセドリックを片翼でバシバシ叩いた。
「うっ……いたた……あぁ、ありがとう……」
彼は手で制しつつ、弱々しく笑う。
どうやらドラゴンなりの慰めらしい。
一方、配下には無茶をさせるタナエル王子が、自分の妃は大事に抱え込んで語りかけていた。
「シナンシャ地区のゲートが、きちんと消失したのを確認してから、急いで駆けつけたんだ。よくここまで頑張ってくれたな」
「エルも無事で良かった。……けれど……こっちのゲートはどうするの?」
「それはもちろんーーーー」
穏やかな眼差しを姫に向けていたタナエル王子が、急にじっとりした視線を僕に向けた。
僕はそれを受け止めて苦笑する。
「…………やっぱり。タナエル王子ならそう言うと思ってました……」
…………
僕とタナエル王子の考えが一致した。
これは決して、王子の考えが先に読み取れるようになった訳じゃない。
そこまで知らないうちに訓練された訳ではない。
……と思う。
僕とジゼルは、ゲートがどんなものか確認しようと黒い穴へと近付いた。
けれどまたその穴から、魔物が出て来ようと頭を覗かせる。
「〝茨の檻!!〟」
いつの間にか壇上にいたフィロが、呪文を大声で叫んだ。
彼は恐怖で震えながらも、両手を黒い穴に向けて突き出している。
たちまち穴の縁から中央へと、緩いアーチ状に茨が生い茂り、魔物の侵入を阻害する蓋となった。
それでも魔物たちは穴から這い出そうと、次々に頭を押し出してきた。
けれど茨に一体が触れた途端、甲高い悲鳴が上がった。
次々と他の魔物たちも、慌てて後退していく。
異様な光景に言葉を失っていると、隣でジゼルがぽつりと呟いた。
「棘の先から何かが滴り落ちてる……毒かなぁ?」
「あー……なるほど。そうだろうね」
するとフィロが、タナエル王子に向かって叫んだ。
「う、上手くいきましたっ! これで少しは時間稼ぎ出来ます!」
そう言った彼のローブの背には、植物の蔓が絡み合う繊細な紋章が入っていた。
母さんが大事にしていた緑の魔術書の中で、あの模様を見た気がする。
今では見かけない古い図案を、王子があえて特別な意匠に仕立てたのかもしれない。
……あの風刺画に描かれていた奇妙な未来が、次々と現実になっている。
タナエル王子の見事な采配に、思わず背筋が震えた。
戦場の目まぐるしい変化に圧倒されていると、僕の肩にポンと手が置かれた。
「今のうちに蒼願の魔法をかけよう」
「!! ダレン!」
彼は今回、タナエル王子と共にシナンシャ地区で動いているはずだった。
驚いた僕が表情だけで〝いつ来たの?〟と聞くと、彼はゆるゆると肩から手を離してうつむいた。
「俺とキュロは、王子たちとは違うドラゴンでこっちに来たんだ…………ぅう゛……ちょっと酔った」
ダレンが顔をしかめながら口元を押さえる。
「乗り物酔いしやすい?」
「……まぁ。それより聞いてくれよ。俺が風刺画に描かれてないからって、敵にマークされてないと判断したタナエル王子が、こき使いまくりでーー」
地面に向かってダレンが愚痴をこぼし続ける。
ここにも無茶振りの被害者がいたようだ。
「お疲れ様。……えっと、蒼願の魔法をかけるね」
僕はアルテアの杖をローブの内ポケットから取り出した。
杖を黒い穴に向けて振ると、蒼い魔法陣が茨の蓋の上に展開された。
キラキラ輝きながらゆっくりと回るそれは、この場にそぐわず美しかった。
「…………」
僕は客席の方にくるりと振り返った。
ちょうど空には蒼い月が浮かんでおり、僕を優しく見守っている。
僕はその月に柔らかくほほ笑んでから、客席のみんなに目を向けた。




