157:反撃開始!
「…………食べてやる。お前のその美味しそうな首ごと、引きちぎってやる!!」
血に支配されたヴァシルクが吼えるように叫ぶと、荒々しく飛び出した。
そしてミルシュ姫の両肩を掴み、その白い首筋に噛みつこうとした瞬間ーー
「ぅぐあっ!?」
ヴァシルクが大きく体を反り、どさりと地面に倒れ込んだ。
その背中には、斜めの裂傷が走っていた。
焼けるようなひどい痛みに、床をのたうち回り絶叫し続ける。
ヴァシルクは、この痛みを与えた背後に立つ人物を睨みつけた。
「っ!? なぜお前が!?」
けれどすぐに驚きの表情へと変わった。
そこには、ムカレの戦いの服に身を包んだミルシュ姫が立っていた。
彼女が握る退魔の剣からは、赤黒い血が滴り落ちている。
ヴァシルクはさっき噛みつこうとした、ドレス姿のミルシュ姫をすぐさま見た。
「ふっ、2人いる!?」
やはりそこにも姫がいて、激しく揺れる彼の瞳には、ニッコリ笑ったドレス姿のミルシュ姫が映っていた。
すると彼女の体が一瞬光り、妖しくほほ笑むレシアが現れた。
「幻影魔法だよ」
レシアは手にしていたガラス瓶に、コルクの蓋を被せてから続けた。
「この中の綿に、ミルシュ姫の血を含ませていただけ。ここまで上手く誘い出されるなんて」
クスクスと美しく笑うレシア。
その様子は妖艶な魔女のようだった。
彼女が纏う紫のローブが、風でひらりと舞う。
背中には、属性のトップを表す紋章が入っていた。
対する本物のミルシュ姫は、地面に這いつくばっているヴァシルクの首元に、剣の刃先を当てがった。
彼女の持つ退魔の剣で傷付けられると、回復することが一切出来ない。
背中の傷から赤黒い血を流し続けるヴァシルクは、生まれて初めて感じる死の気配に、身を固くした。
そんな彼の様子に、もう反撃は出来ないと踏んだミルシュ姫は、一部始終を見守っている国民たちに向けて説いた。
「私の血に魔物が誘い出されるのを目の当たりにして、恐怖を感じていることでしょう。けれどそれは、魔物が私に向かってくるように仕向け、このように倒すためです!」
ミルシュ姫が大きく息を吸って続けた。
「これからもグランディ国の王太子妃として、この身を懸けて国民の皆様をお守りいたします!!」
「「「…………っわー!!!!」」」
国民たちが一斉に沸き、会場はたちまち、王太子妃を讃える熱気に包まれた。
それを合図に、壇上の壁面の扉が開け放たれ、王宮の騎士たちがなだれ込んできた。
ミルシュ姫がヴァシルクに剣を向けたまま、騎士に指示を出す。
「タナエル様は、シナンシャ地区で魔物と戦い続けておりますので、代理としてわたくしが命を出します。リヒリト王子および彼に加担した一行を、国家転覆罪として捕えて下さい!」
彼女の気高く清らかな声が、場内に響き渡った。
ーーその時だった。
「ぅうう……あぁぁあああ!!」
突然、リヒリト王子の隣にいた側近の彼が、胸を押さえて悶え始めた。
次第に断末魔のような叫び声をあげ、地面に崩れ落ちる。
「どうしたんだ!?」
「大丈夫か?」
ただならぬ様子に、騎士だけでなくリヒリト陣営の人たちも彼に群がる。
僕とジゼルは、嫌な魔力の高まりを感じ取り壇上に上がった。
外衣を脱ぎ去ると、揃いの蒼のローブが翻るようにたなびく。
「すぐに離れてっ!!」
「ヴァシルクと契約を交わしたのは彼ですね!?」
同時にヴァシルクの笑い声が、会場を突き抜けるように響いた。
「あっはっは!! もう遅いよ。彼を使ってゲートをここに開かせてもらう。どうせ俺は終わりだ。お前たちも巻き添えだ!!」
大の字になったヴァシルクが、夕暮れの空に向かって言い放った。
「なんてことをっ!?」
ミルシュ姫は急いで彼の胸に剣を刺した。
彼女は国民に残酷な場面を見せたくなくて、とどめを刺さずにいたのだ。
けれど時すでに遅く、倒れた側近の男性を中心に、床に黒い黒い穴が広がっていく。
「私の判断が遅かったせいで……」
剣を握りしめてヴァシルクを見下ろすミルシュ姫が、力なく呟いた。
そんな姫をヴァシルクが嘲笑う。
「無駄だよ…………オレ……を殺しても…………魂を使ったゲートは…………消え……な、い……」
ヴァシルクは最後にどうにか言い切ると事切れた。
頭からつま先まで、全身が黒く染まる。
すると灰のような黒い砂となり、ボロボロと崩れ落ちた。
時折り吹く風に乗って、それも徐々になくなっていった。
今回の作戦の目的を、見事果たしたミルシュ姫。
けれど思いがけない展開に悔しそうな姫を見ていると、僕の脳裏に数日前のタナエル王子との会話が蘇った。
『ーーいいか、今回の作戦はリヒリト達の流した噂を準える。粋な意匠返しをしようじゃないか』
『……なぞらえるとは?』
『まずはミルシュ。彼女の魔物を呼びよせる血の力で、ヴァシルクを国民たちに魔物だと見せつける。それからミルシュたっての希望で、真実を正しく告げる良い場にさせてもらおう』
『リヒリト王子たちが、魔物と手を組んでいることも示せますね』
『それからディランとジゼル。リヒリト達は一筋縄ではいかない。2人は不測の事態に迅速に動き……そうだな。壇上の端に、ちょうど壁がせり出した広い高台があるから登れ。そこから全体を冷静に見て、魔法をかけるんだ』
「ジゼル、あそこの高台へ!」
「うん!!」
僕らはタナエル王子に指示された場所へと移動した。
そこに立ってみると、言われた通り、壇上の様子がよく見渡せた。
『ーージゼルは無彩の魔法を駆使して味方を援護。呪文も時間短縮で言い方を変えろ』
『え!? 私が目立つ場所で、無彩の魔法を連発するんですか?』
『いいじゃないか。風刺画のジゼルのようで』
「ぅぅ……」
呪文を唱えようとしたジゼルが途端に赤面する。
「頑張って、ジゼル」
僕が励ますと、彼女は何とか口を開いた。
「ディスピナ様……力を貸して下さい……」
ジゼルが目を閉じて祈りを込め、右手を壇上の人たちに向けた。
「い、忌々しいリヒリト王子と、王子の味方をする人たちめ! 端っこで固まって邪魔しないで!!」
壇上にいたリヒリト陣営の人たちが、魔法の力で隅に押し固められた。
「うわっ! 押すなよ!」
「動けないんだってば」
「えぇ!? 何で俺まで??」
「あ、王宮の騎士まで何名か巻き込まれちゃったよ。ジゼル、あの人たちだけ解除して」
「…………無彩の魔法は便利だけど……不便……」
ジゼルがブツブツ言いながら、また呪文を叫んでいた。
そして「タナエル王子に呪文をアレンジされたから、余計に恥ずかしい……」と顔を真っ赤にさせる。
そうこうしている内に、黒い穴の中心で倒れていた側近の男性が、ゆっくりとそれに飲み込まれていった。
成長をやめて不気味に口を開けたその穴は、ただただ黒い空間としてそこに存在していた。
…………
ミルシュ姫と騎士たちが、その周りを陣取り身構える。
シンと静まり返った会場に、遠くから聞こえる獣たちの声が、不気味に反響した。




