155:反撃開始!
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『…………ッン。…………ラン』
フワフワとどこかに浮かんでいるような、ゆらぐ意識の中で、僕は誰かに呼ばれていた。
目を開けると、ほのかに青白く光る草原に立っていた。
近くには澄んだ湖が広がっており、その横には大きな木がそびえ立つように生えている。
来たことのある場所だと、僕はすぐに気付いた。
ここはーー
蒼い月だ。
ゆっくり辺りを見渡していると、女性の柔らかい声がした。
『……ディラン、フォティオスを幸せに導いてくれて、ありがとう』
僕の頬を撫でるように、ふわりと甘い風が吹いた。
「リンネアル……様?」
その風に紛れるように、見えない彼女が笑った気配がした。
『メアルフェザーも幸せにしてあげて。彼を解放してあげて。貴方になら……出来る』
優しい風が駆け抜けて、大木の枝を揺らした。
サワサワと擦れ合う葉の音が鳴り響く。
蒼の魔法が強まった僕は、リンネアル様の思いをありありと感じ取ってしまった。
彼女は、メアルフェザー様に与えた役目のせいで、彼をこの地に縛ってしまったことを深く悔やんでいた。
リンネアル様が願うのは、メアルフェザー様の解放……
「けどーー」
僕は言い淀んだ。
ずっとずっと悩んでた。
メアルフェザー様を幸せにする方法を。
それって、本当に役目からの解放なのかな?
言葉にならない迷いに、柔らかな風が応えるように吹いた。
『大丈夫。ディランは誰よりも強い蒼の魔法が発揮できる』
『貴方が魔法をかける時に抱く思いが、私の分け与えた力の源と一緒だから』
『それは…………』
リンネアル様が凛とした声で告げた。
『〝希望〟』
ーーーーーー
「!?」
ハッと気付いて目を覚ますと、自分の部屋の天井が見えた。
僕は自室のベッドにいた。
…………夢……かぁ。
僕の隣でジゼルがもぞりと動いた。
身を寄せて眠る彼女は、まだまだ幸せそうに眠り続けている。
僕は横向きになってジゼルと向き合うと、彼女を起こさないように優しく抱き込んだ。
柔らかくって暖かい、大切なジゼルとこうして触れ合っていると、すごく安心する。
〝幸せだなぁ〟と自然と笑みがあふれ、僕を幸せにしてくれているのは、間違いなくジゼルだと強く思った。
その瞬間、ようやく気付いた。
……メアルフェザー様を幸せにする方法って、リンネアル様が望む〝解放〟じゃなくて……
「ふわぁぁ……ディラン、起きてるの? おはよー」
腕の中にいるジゼルが、目を閉じたまま小さくあくびをした。
「おはようジゼル。まだ眠い?」
僕は彼女のおでこにキスを落とした。
「ううん、そろそろ起きるぅ」
くすぐったそうに笑うジゼルが、やっと目を開けて僕を見た。
その瞳に魅入っていると、彼女が頬を染めて言う。
「えへへ。朝からこうしていられるって幸せだね」
ジゼルがスッと顔を近付けて、鼻と鼻をちょんと触れ合わせた。
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結局、リヒリト王子と手を組んだ魔物がフォティオスではなかったため、タナエル王子の現状は何も変わらなかった。
絶え間なく魔物の襲来が続き、タナエル王子もまた、シナンシャ地区に長いこと足止めされてしまっている。
それをいいことに、リヒリト王子派の家臣たちが、王都で大々的に民を扇動し始めてしまった。
自分たちが魔物を呼び寄せているのに、解決出来ないタナエル王子は無能だと、声高らかに唱える。
誘導された人たちや、家族を兵士として駆り出された人たちが、鬱憤を晴らすように固まって同じ思想を掲げ始めた。
ーー負の連鎖だ。
一部の人たちが王太子を咎めだしたことで、いっそうグランディ国はよくない空気に包まれた。
国王様は沈黙を貫いていた。
戴冠式はまだだけれど、今ではもうタナエル王子に国の運営を任せており、今回の件に関してどう解決するのか静観していた。
あの国王様のことだから、国の一大事でさえも後継への試練にするのだろう。
王都に混乱が広がる頃、僕とジゼルは再びタナエル王子のいる、シナンシャ地区の砦を訪ねていた。
以前にも王子と話をした部屋で、机を挟んで座っている。
タナエル王子の隣にはセドリックが。
僕の隣にはジゼルが座っていた。
ピンと張り詰めた空気が漂う中、タナエル王子が重い口を開いた。
「……ディランから聞いたゲートを見つけたが……術者をどうにかしないと、塞ぐことが出来ないことが分かった。」
不機嫌そうに目を細め、ため息をつく。
王子の隣で苦笑を浮かべたセドリックが、続きを喋った。
「そこで、リヒリト王子と手を組んだ魔物について、徹底的に調べたんだ。名はヴァシルク。遠いフレウの国で暗躍していたそうで、噂を聞きつけたリヒリト陣営がスカウトしたらしい」
「…………」
第二王子派の悪どい行為に、僕は眉をひそめた。
その間にも、セドリックの説明が続く。
「魔物を手懐けることは出来ないけど、空間を自由に繋げられるそうだよ。人間の言うことを聞く場合は、魂を対価にして条件を呑むらしいけど……」
ジゼルが神妙な面持ちで聞いた。
「じゃあそのヴァシルクは、リヒリト王子や取り巻きの誰かと……?」
タナエル王子が彼女に向かって頷く。
「そうだ。近々そいつらが一同に集まって、国民たちに向けてお得意の演説を行うらしい。だからーー」
「…………だから?」
僕が続きを促すと、王子がニヤリと美しく笑った。
「その時ヴァシルクを倒してしまおう。このまま相手の出方を窺っているだけでは、埒が開かない。もちろん、国民達の被害は一切無しで」
「そんなことが出来るんですか??」
僕が思わず身を乗り出して尋ねると、タナエル王子が今度は楽しそうに笑った。
それから目をスッと細めて妖艶に笑う。
「あぁ。いいことを思いついたんだ。相手の思惑通りに動いてやろうじゃないか」
……怖い。
絶対、魔物の先祖であるフォティオスよりも怖いよね……
けれど同時に、いつものタナエル王子らしくて安心する。
僕が背もたれに体を預けて緊張の糸を解いていると、麗しい王太子様が無慈悲に言い放った。
「そこでディランたちの出番だ」
「…………」
僕は渋い表情で彼を見た。
実はちょっとだけ嫌な予感がしていたんだ。
だってわざわざ呼び出されたのだから……
「いいか、今回の作戦はーー」
タナエル王子が唇の端を上げ、不敵に笑った。
その笑みは、凄いイタズラを思いついた少年のようにも見えた。




