154:彼なりのお礼
池を覗いていた僕とジゼルは、リヒリト王子の登場に「あっ」と揃って声を上げた。
決定的な瞬間に、僕の心の声がもれる。
「リヒリト王子と手を組んでいるのは、この魔物……」
「こいつ自体は大したことなさそうだけど、ふーん」
フォティオスが何かに感心しながら、また池に向かって手をかざした。
すると景色が瞬時に変わり、どこかの草原を映し出す。
そこには、地面にぽっかりと黒い穴のようなものが開いていた。
真っ暗で奥行きも見えないその口を見つめていると、大きなヒョウのような魔物がヌッと這い出してきた。
困惑している僕らにフォティオスが説明する。
「さっきの若い人型の魔物は、ゲートを作れるようだ。この国の栄えている場所とお前たちの国にゲートで繋げて、すぐに行き来できるようにしているな」
「じゃあここはーー」
顔を上げた僕は、ジゼルを見て続けた。
「シナンシャ地区のどこか……!」
彼女はこくりと頷くと、フォティオスたちの方へ体を向けて尋ねた。
「このゲートを、閉じることは出来ませんか?」
僕もジゼルと向きを合わせて寄り添い、期待を込めて彼を見つめる。
「出来るけど……そこまでやってやる義理はない」
フォティオスはキッパリそう言うと、池に手を向けて水鏡を解いた。
「そんな……ディランがエイレーネさんを復活させたのに……あなたに神力を戻す時も、魔法陣を張ってあげたのに」
むくれたジゼルが食い下がった。
フォティオスがムスッとしながら、僕らに向き直った。
「俺が頼んだわけじゃない。そもそも今日ここに来たのだって、お前たちが俺をさっきの若い魔物だと早とちりしたんだろ?」
すると、フォティオスの正面にくっ付いているエイレーネが、右腕に引っ付き直してジゼルに目を向けた。
「あ、この感じは照れも混じってるんで、心配しないで下さい」
心情をバラされて更に不機嫌になったフォティオスが続ける。
「能力が高い魔物は、たいてい俺に似てるからな。蒼刻の魔術師だってネアルに似るし」
「そうですねー。私もネアル様に似てますし。そこの魔術師くんも似てますー」
「…………だいたいエイレーネを筆頭に変な奴が多いんだ。蒼刻の魔術師はーー」
フォティオスがブツブツと文句を言い始めた。
沢山の蒼刻の魔術師を知っていそうなフォティオスの物言いに、僕は思い切って尋ねてみた。
「……蒼刻の魔術師の女性の魂を奪っていたって……あれって本当の話?」
すると、フォティオスが何故だかすごくゲンナリした表情になった。
けれど彼じゃない甲高い声が上がる。
「本当にゃ! でもフォティオス様は案外優しいから、エイレーネちゃんに合わないと分かると返していたにゃ!」
いつの間にかそばに立っていたコレーが答えた。
そう言えば地下の部屋を出た時に、彼女とは会わなかった。
またたびをどこかに置きに行っていたのだろう。
今は何も持っておらず、姿も少女のものに変わっていた。
コレーの発言に、フォティオスがすぐさま否定を返す。
「違う。魂のなくなった人間の体を、処理するのが面倒だったからだ」
淡々と答える彼の言い分は、照れ隠しではなく本音のようだった。
けれどコレーはフォティオスのことなんか気にせず、勝手にペラペラと喋る。
「ある時なんか魂を戻したあとに、当時洋館に居た配下と駆け落ちした女の魔術師もいたにゃ〜」
「え?」
僕が驚いてコレーを見ると、彼女はケラケラと笑った。
そんな彼女に続けて聞く。
「じゃあ、死んだあとの魂で、試して失敗したって話は……」
「あー、そんなこともあったにゃ〜」
そこに、呆れた表情のフォティオスが口を挟んだ。
「蒼刻の魔術師の女がいるって聞いて見に行ってみたら、世界を点々と旅している奴で、ちょうど野垂れ死んでいたんだ」
それを聞いたジゼルがボソッともらす。
「ナフメディさん系だね……」
「…………」
僕は目を丸めて絶句した。
どうしよう。
蒼刻の魔術師の女性は、魂を取られて亡くなったわけじゃなかった。
女性のあとに家系図が続いていない問題は、書き忘れの可能性が濃厚に…………
でも確かに、女性だけが魂を取られて死んでいたら、いくら適当な蒼刻の魔術師でも、騒ぎになって語り継がれているはずだからーー
色々と盛大に勘違いしてたことに、僕はショックを受けていた。
ジゼルがチラチラと心配そうにこちらを見ながらも、遠慮がちにフォティオスに声をかけた。
「あの〜」
「何だ?」
「エイレーネさんに似た魂を探していたんですよね? 女性の蒼刻の魔術師は分かるのですが、何で私も適合するんですか? 前に〝魔力の高い動物が人間化することが良かった〟って言ってましたけど……」
「あぁ、それなら……」
フォティオスが腕にくっ付くエイレーネを見た。
「エイレーネは人間と魔物のハーフなんだ」
「……??」
まだよく分からないジゼルが、表情でそれを訴える。
「何だ、知らないのか? 魔力の高い動物は、獣の魔物から派生している。お前の遠い先祖は、ネコ科の類いの魔物だろう」
「…………えぇ」
衝撃の出自を知ったジゼルが、静かに青ざめた。
エイレーネが嬉しそうに、フォティオスに返事をする。
「確かに、この白猫さんからは蒼の魔力と魔物の魔力が混じり合った感じがしますね! けど私のフォティオス様への熱烈な愛は、誰にも再現出来ませんよー!」
僕は元気なエイレーネと、彼女のセリフなんか耳に入らないほど、しょげ返っているジゼルをゆっくりと見比べた。
……献身的な思いを貫くところも、似ているかも。
すっかり意気消沈した僕とジゼルに向けて、フォティオスが更に追い打ちをかける。
「もうそいつの魂はいらないから…………帰ってくれないか?」
僕は虚ろな顔を横に振った。
「もちろん帰りたいけど……魔力も底をついたし、帰る方法もなくて……」
「…………」
フォティオスが口をへの字にして目を細めた。
彼からの僕に向けられた〝早く帰れよ〟が強まったのをひしひしと感じる。
もういっそのこと、フォティオスのこの思いをエイレーネに叶えて貰おうかな。
彼女は蒼願の魔法が、1日に何回か使えるようだし。
そう思って、僕はフォティオスの腕に抱きついているエイレーネをチラリと見た。
彼女はフォティオスをうっとりと見つめ「私のために、いろいろしてくれてたんですね。感激です。嬉しすぎます。それにーー」と喋るのに忙しそうだ。
「…………」
当てにならないなと僕は肩を落とした。
それを見たフォティオスがため息をつく。
すると仕方なさそうにコレーに言った。
「……この2人を元の場所に転送してやれ」
「分かりましたにゃ♪」
コレーは言うが早いか、僕とジゼルの腕をそれぞれの手で掴んだ。
そっか。
僕が初めてここに来た時、コレーの魔法で来たんだったーー
「……って、え?」
彼女の転移魔法を思い出した時には、僕とジゼルは狭い路地の奥に立っていた。
月の光も届かない、建物の間の真っ暗なこの場所は、猫の溜まり場だったようで……
「「にゃ!?」」
突然現れた僕らに驚き、猫たちは散り散りに逃げ出した。
「…………」
僕たちは、猫がいなくなってもしばらく動けずにいた。
「……ここって、どこか分かる?」
僕はぼんやり遠くを見たままジゼルに尋ねた。
ジゼルも同じようにぼんやりしたまま、口だけを動かす。
「あ、うん。……家の近くだよ。猫の時の通り道だから……」
「……そうなんだ。それでコレーもこの場所を……」
「猫の感覚で……ここを選んじゃった?」
怒涛の展開が続いた衝撃が抜けない僕たちは、しばらくどうでもいい話ばかりをしていた。
こうして波乱の一夜は、あっけなく幕を下ろしたのだった。




