152:君に無償の愛を。
「エイレーネ、こっちへ来い」
「…………」
呼ばれたエイレーネは、ゆっくりとフォティオスに顔を向けた。
その表情からは、彼女が何を考えているのか読み取れなかった。
ただよろよろと歩き出したかと思うと、フォティオスに向かって駆け出す。
「フォティオス様!!」
顔をくしゃりと歪めた彼女が、座っているフォティオスの胸に飛び込んだ。
彼が残った片腕で抱き止めると、エイレーネは堰を切ったように大声で泣き始めた。
「ご、ごめんなさい、フォティオス様! 手足をっ……私の手足をあげてたのに……貴方を助けるって、約束……ぅぅ……したのに!!」
エイレーネが人目も憚らずに、わんわん泣き喚いた。
フォティオスは彼女の首元に顔を埋めると、初めて聞く優しい声色で告げた。
「エイレーネは悪くない。よく今まで貸してくれたな」
「〜〜っ! フォティオス様ぁ!!」
僕は、2人のそんな様子に困惑しきっていた。
いつの間にか隣に戻ってきたジゼルと、思わず顔を見合わせる。
フォティオスが、泣きじゃくるエイレーネの頭を優しく撫でた。
「ずっと仮死状態のエイレーネを、蘇らせたかったんだ。古の方法を調べたりして、一か八かで試していた。まさかあいつらが叶えるなんて……」
フォティオスがチラリと僕らを見ると、目を閉じてエイレーネの頭に顔を寄せる。
ーー何てことだ。
フォティオスはリンネアル様じゃなくて……
エイレーネ自身を蘇らせたかったんだ!
エイレーネが涙に濡れた顔を上げ、訴えるように叫んだ。
「でも、このままじゃフォティオス様が死んじゃいます!!」
彼女がボロボロと大粒の涙をこぼしながら、彼の頬に手を当てる。
よく見ると、フォティオスの頬が黒く変色しており、それがじわじわと広がっていた。
彼が自分の左手で、頬に添えられたエイレーネの手をそっと包む。
その左手もすでに黒くなっており、指先が砂のようにサラサラと崩れ始めた。
「いいんだ。また俺の名前を沢山呼んで欲しかったから。エイレーネに」
「フォティオス様!!」
エイレーネが、言葉にならない想いをすべて泣き声にぶつけた。
フォティオスは笑ってるかのように目を閉じて、崩れゆく左手をぱたりと下ろした。
エイレーネは消失していくフォティオスの体を、必死に抱きしめた。
彼女がずっとずっと彼に向けている思いが、膨れ上がっていくーー
『どうか、生きて』
その痛いほどの強烈な思いに、僕は嫌でも理解した。
エイレーネは洗脳されていたわけではなく……
2人が純粋に愛し合っていたことに。
寿命が尽きようとするフォティオスに、自分の手足をあげてまで、それを食い止めたエイレーネ。
死にゆく彼女を、時を止めてまで、それでも助けようとしていたフォティオス。
僕とジゼルが呆然と2人を見守るなかで、エイレーネの悲痛な懇願が続く。
「フォティオス様……お願いです。一緒に生きて下さい……」
「…………」
「愛してます、フォティオス様……」
「…………」
返事のないフォティオスの体は、サラサラと崩れていった。
僕はジゼルにそっと喋りかけた。
「フォティオスはたとえ敵だったとしても、エイレーネを僕の蒼願の魔法のせいで、不幸にはしたくないと思うんだ……」
「…………うん。私もエイレーネを、どうにかしてあげたい」
エイレーネを潤んだ瞳で見つめていたジゼルが、僕を見て眉を下げて笑った。
僕も彼女のように眉を下げて笑い返すと、ローブの内ポケットからアルテアの杖を取り出して、エイレーネに向ける。
するとエイレーネたちがいる床に、蒼く輝く魔法陣が展開された。
ゆっくり回転しながら2人を照らすそれに気付いたエイレーネが、僕らを振り返った。
「これは……」
「僕はもう魔力が残ってません。エイレーネさんが、フォティオスに蒼願の魔法をかけて下さい」
僕はゆっくりと彼女に歩み寄った。
「でも……生死に関わる思いはタブーですよ」
エイレーネが悔しそうに眉をひそめる。
彼女の瞳からは、僕らに対する敵意の色がすっかりなくなっていた。
「そうですね。けれど、生きることを願うんじゃなくて……例えば手足が回復するようなことを願うんです」
エイレーネのそばに立った僕は、穏やかに続けた。
「失ったものを元に戻す方向で」
「そんなっ……白の魔法を超える回復魔法なんて、かけられません!」
彼女が怪訝そうに僕を見る。
「やってみる価値はあると思います。大丈夫。リンネアル様もついてる」
僕の言葉に呼応するように、元始の魔法陣が外側にさらに展開された。
今日はフォティオスを拒絶するわけでもなく、2人を暖かく包み込む。
「!? これは…………」
エイレーネは魔法陣を愕然と見つめた。
きっと同じ蒼刻の魔術師だから、リンネアル様の力を感じ取ったのだろう。
そしてどこか納得したように頷くと、僕に向けて宣言した。
「神力……フォティオス様に神力を戻します。全てが戻らなくても、せめてご自身の体を再生させる神力を」
言うが早いか、エイレーネはフォティオスの体を抱き込んでギュッと目を閉じた。
力強くリズミカルに呪文を唱え始める。
フォティオスに向けての強い思いも、より具体性を帯びて輪郭がハッキリしたものに変わった。
『神力が戻りますように』ではなく『絶対に神力を戻す!』という、気迫を感じるほどの強い思いに。
エイレーネの思いに呼応して、魔法陣は蒼く蒼く美しく光り輝く。
彼女が謡うように呪文を唱え終わると、辺りが蒼一色で埋め尽くされた。
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