151:再戦
ベッドに眠るエイレーネを、ジゼルに手を貸してもらいながらそっと起こした。
それから子どもを抱くみたいに、僕は彼女の身体を真正面からしっかりと抱き寄せた。
抱き上げたエイレーネの髪が、僕の首元にふわりとかかる。
彼女は白のゆったりしたワンピースを着ていた。
その背中を眺めながら、慎重に歩みを進める。
スカートから覗く左足と、短い袖から伸びた左手が、僕の歩調に合わせてゆらゆらと揺れた。
……右の手足がない彼女の体は、想像以上に軽かった。
けれど初めて触れた彼女は暖かく、まだ生きてることに改めて安堵する。
そうして丁寧にエイレーネを運ぶと、魔法陣の上に優しく横たわらせた。
「じゃあ、魔法をかけるね」
僕は魔法陣のそばに立った。
「私の魔力もしっかり使ってね」
ジゼルも横に立ち、僕に手を差し出した。
「ありがとう」
僕はその手を優しく握りしめて、ゆっくりと下ろした。
今日2回目の蒼願の魔法。
僕1人でも何とか発動できる。
でもそのあとに、魔力切れで倒れてしまうかもしれない。
それは避けたいから、ジゼルの魔力をほんの少しだけ借りることにした。
ジゼルもこれから、最上級の回復魔法をエイレーネにかける。
おそらく、すべての魔法をかけ終えたころには、僕らの魔力は残りわずかになっているだろう。
けれど、どちらかが限界を迎えるより、2人に少しずつでも魔力が残るように、分け合うことを選んだ。
片方だけが無理をせずに、助け合う。
どうしても相手を優先してしまう、そんな僕らが決めた約束事を守るために。
僕がゆっくり目を閉じて詠唱を始めると、繋いだ手からジゼルの暖かい魔力が伝わってきた。
次第に僕の体を巡り、溶け込んでいく。
心地よさを全身で感じながら、呪文の1つ1つに心を込めた。
そこにジゼルの凛とした声が重なった。
蒼く輝く魔法陣の上に、白銀の魔法陣が淡く煌めきながら広がっていく。
2つの魔法陣が混じり合い、エイレーネを優しく包み込んでいった。
フォティオスに洗脳されてアルテアたちを攻撃した挙句、その手足を取られてもなお、生かされ続けている蒼刻の魔術師エイレーネ。
彼女は何を思っていたのだろう?
悔しさ?
憎しみ?
絶望?
そんな悲劇を味わい続けた彼女を、長い時を経てやっと救い出せる。
今、取られた手足を戻してあげるね。
僕とジゼルはエイレーネに、強い強い思いを向けた。
その願いが無事に蒼願の魔法になり、彼女を幸せに出来ると信じて…………
いつもより淡い蒼光が部屋を満たしていくなかで、ゼノンの声が聞こえた。
『へぇ〜。すごいね。君はネアルの意思を継ぐ者なんだ。でもどうして、フォティオスがやろうとしてたようなことをするの?? しかもその方法は……面白くなりそうだね〜』
クスクスクスと、彼は耳障りな笑い声をいつまでもあげる。
『フフフッ。魔法をかけ終わったら、時を流してあげるね』
ゼノンが楽しい遊びでも始めるかのように、無邪気に提案した。
彼の態度に胸騒ぎを覚える。
けれど気を引き締めて、もう一度エイレーネに意識を戻した。
蒼い光が徐々に収まるのに合わせて、僕は薄っすらと目を開けた。
ぼんやりと光る魔法陣から、やがて光が消えていく。
その上で眠るエイレーネには、手足が4つ、きちんと揃っていた。
「やったぁ!」
ジゼルが思わず手を合わせて喜ぶ。
僕はその肩を抱き、2人で成功を噛みしめた。
すると僕らの騒がしさに、エイレーネが目を覚ました。
パチパチと瞬きをした彼女は、ゆっくりと上半身を起こした。
無意識に右手を額に当てると、その手に驚きハッと目を見開く。
急いで両手を目の前に掲げ、指を広げてまじまじと見つめた。
呆然と手を眺め続けるエイレーネのそばに、僕はしゃがみ込んで声をかけた。
「蒼願の魔法で、あなたの手足を元に戻しました」
僕の言葉を受けて、彼女はそっと目線を下げた。
自分の足が戻っているのを見て、エイレーネの肩がビクリと震えた。
次の瞬間、彼女はその手足を小刻みに震わせながら、僕を鋭く睨みつける。
「っなんてことをしてくれたんですか!? せっかく…………せっかくフォティオス様にあげていたのに!!」
エイレーネが吠えるように叫んだ。
「えぇ!?」
「そのフォティオス様は?? あれ??」
面を食らっている僕からすぐに興味をなくしたエイレーネが、部屋をキョロキョロと見渡す。
「……っフォティオス様!!」
彼が居ないことが分かると、勢いよく立ち上がり、振り返りもせずに部屋を飛び出していってしまった。
「…………」
あまりにも急な出来事に、僕とジゼルは固まったままでいた。
僕の後ろに立つジゼルが、ポツリと呟く。
「洗脳が……解けてない?」
「追いかけよう!」
「っうん!」
僕らも慌ててエイレーネを追いかけた。
ーーーーーー
ついさっき走ったばかりの廊下を、今度は反対向きに駆け抜ける。
僕とジゼルは、フォティオスと対峙したホールへと慌ただしく戻った。
扉を開けて中に飛び込むと、そこには右手足を失い、うつ伏せに倒れているフォティオスがいた。
エイレーネはまだいない。
違う場所を探しているのかもしれない。
僕らの気配を感じたのか、じっとしていたフォティオスがモゾモゾと身じろぎする。
残った左腕で何とか体を起こすと、低く唸るような声をもらした。
「……貴様ら……あいつの手足をどこにやったんだ!?」
フォティオスの視線が僕を鋭く貫いた。
「っ!?」
その圧に反応するより先に、僕の体が動いていた。
呪文を唱えようと、手を突き出す。
けれどその時、ホールの反対側の両開き扉が「バンッ!」と勢いよく開け放たれた。
「フォティオス様!!」
エイレーネが、扉を両手で押し開けたままの格好で叫ぶ。
彼女はフォティオスの姿に目を見張ると、瞳を潤ませた。
けれどすぐに僕をキッと睨みつけ、こちらに迫ってくる。
「よくもフォティオス様を!?」
エイレーネが向かってくる勢いのまま体を捻ると、右足を大きく振り抜いた。
彼女の回し蹴りが空気を割く。
「ディラン! 危ないっ!!」
ジゼルが僕に飛びかかるように体当たりしてきた。
「うわ!?」
彼女に押し倒されるように転がると、間一髪で蹴りを避けた。
「ジゼル、ありが……」
僕が体を起こした時には、立ち上がったジゼルがすでにエイレーネと対峙していた。
エイレーネはそんなジゼルを射るような目で見ると、間合いを一気に詰めて右足を振り上げた。
無駄のない軌道で放たれた蹴りを、ジゼルはひょいとしゃがんで回避する。
それならと、エイレーネは床に手をついてかがみ込み、今度は低い蹴りを繰り出した。
ジゼルは後ろへクルリと回転し、さらに床を手のひらで押して飛び退いた。
と、いきなり熾烈な争いが繰り広げられた。
「ちょこまかと小賢しいですね」
エイレーネが攻撃の手を緩めずに器用に喋る。
彼女の鮮やかな蹴りが、たたみかけるようにジゼルの顔を襲った。
「…………わぁっ!?」
ジゼルはとっさに身を反らせたけれど、エイレーネの足が鼻先をかする。
……ジゼルが俊敏なのは分かるけど、エイレーネはまさかの打撃系!?
魔術師なのに?
蒼刻の魔術師なのに!?
予想外の肉弾戦に、僕は慌てて立ち上がった。
けれど、どう加勢していいものか分からず、ただオロオロしていた。
そんな彼女らの攻防を止めたのは、意外にも原因になっているフォティオスだった。
「エイレーネ!」
「!?」
彼が大声で呼ぶと、エイレーネがピタリと動きを止めた。




