150:再戦
今日は、蒼い半月がひときわ美しく、夜空に浮かんでいた。
その月に決まった周期はなく、なんとも気まぐれに現れては、世界を蒼く染めあげる。
だいたい週に1度くらいかなって感じで、予測はついても、きちんと把握出来るものはない。
そんな不思議な蒼い月の力を借りて、今から僕らは、フォティオスを倒しに行くーーーー
僕とジゼルは、店の魔法陣の上に向かい合って立ち、両方の手を繋ぎ合っていた。
屋根の窓から注ぐ蒼い月明かりを浴びて、2人だけの深海の世界にいるようだ。
「……ジゼルに向けられた、フォティオスからの『また会いたい』って気持ちを、蒼願の魔法で叶えるよ」
「うん。それで向こうに転移するんだよね」
僕らは不思議と、ゆったりした気持ちで見つめ合っていた。
ジゼルを慈しむように表情を崩した僕は、こくりと頷く。
「そうしたら、フォティオスのすぐそばに転移してしまうと思う。だから打ち合わせ通りに、すぐに仕掛けよう」
「分かったよ」
素直に返事をしてくれるジゼルのおでこに、僕は目を閉じながら自分のおでこをくっつけた。
「フォティオスがジゼルに『また会いたい』ってことは、魂を奪おうとしてくるから……それだけは絶対にさせないように」
「うん」
「僕を助けることより、自分の身を守ることが先だからね」
「……ディランも、どうにもいかなくなった時に、私だけを返そうとしないでね?」
「…………うん。2人で一緒に、最後まで立ち向かおう」
僕らは誓いのようなセリフのあとで、静かに口付けを交わした。
そしてジゼルを抱きしめると、僕はそのまま呪文を紡ぐ。
たちまち床の魔法陣が蒼く輝き始めた。
僕らはその優しい光に照らされながら、ずっと抱きしめ合っていた。
静かに目を閉じて、フォティオスからジゼルに向けられた思いを掬い取っていく。
フォティオスの思いは、相変わらず黒いもやのような曖昧さで包まれていて、蒼の魔法で捉えにくい。
けれどジゼルに向けたその一片だけは、ぼんやりと輪郭を結んでいた。
魂への執着と……手を伸ばしきれない、ためらいのようなものを何故か感じる。
その矛盾する思いは、昔の僕ならきっと強さが足りなかった。
けれど今の僕なら……蒼願の魔法にすることができる!
絶対に成功させる。
その一心で、僕は呪文の最後の一節を唱えた。
ーーーーーー
あれだけ溢れかえっていた蒼い光がなくなり、場の気配が一変した。
僕らはすぐに目を開けると、抱きしめ合っていた体を離し、周りを警戒した。
そこは、壁一面にガラス窓が並ぶホールだった。
窓際にはフォティオスの姿があり、蒼い月明かりを浴びながら外を眺めている。
憂えいを帯びたその表情は、一瞬泣き出しそうにも見えた。
けれど僕らに気付くと、その瞳に一気に殺気が灯る。
「なんだ? わざわざそっちから来たのか!?」
彼が凄むと、その威圧で体が縮み上がった。
「……っ〝魔法を封印せよ〟」
怯みながらも、僕はフォティオスに手をかざして、聖の魔法を唱えた。
これでジゼルの魂を奪おうとする魔法は、しばらく無効化できるはずだ。
『なんじゃなんじゃ? 最近出番が多いのぅ! むむ!? 白い髪の女子の雰囲気が変わっとる……こっちも凛としてて可愛いのぅ! 何やら頬を赤くして照れてる様子がーー』
いつもの事ながら、メイアス様がうるさく喋りかけてきた。
けれどジゼルの呪文が、それをかき消した。
「魂を奪おうとするフォティオスは大嫌い! そこから足を1歩も動かさないで!!」
彼女が無彩の魔法を発動させた。
まるで足が床に縫い付けられたかのように、フォティオスは動けなくなった。
混乱した彼が、自分の足を見下ろす。
「な、んだ? この魔法は……?」
忌々しげに彼がジゼルを睨みつける。
僕はすかさず呪文を叫んだ。
「〝聖なる光!〟」
「!? う゛ぅ…………」
強烈な光がフォティオスを襲い、咄嗟に左腕で顔を覆った。
僕とジゼルは、その一瞬の隙を突いてホールをあとにした。
廊下を足音を響かせながら駆け抜け、僕らは地下へと続く階段を目指した。
ジゼルが息を切らしながらも、嬉しそうに言った。
「うまくいったね!」
「うん。けどすぐに解けるから急ごう!」
僕の聖の魔法はそのうち解けてしまう。
イグリスの時にそうだったから、彼より格上のフォティオスなら尚更早い。
ジゼルの無彩の魔法も、威力を高めるために動けなくなる部分を足に集中させたけど、いつ解けるか分からない。
「あの階段だ!」
僕らは一気に階段を駆け降りると、エイレーネのいる部屋に勢いよく飛び込んだ。
『あれ? また来たのかい?』
時の神様であるゼノンが話しかけてきた。
けれどお喋りをする時間はない。
僕は乱れた息を軽く整えると、魔法のペンを呼び出して、床の中央に魔法陣を描き始めた。
黄金の光が絨毯を撫で、毛が綺麗に寝そべっていく。
やがて弱くなった光が消え、黒へと変わっていった。
『何をするの?』
ゼノンが興味津々で聞いてきた。
それにジゼルが答える。
「エイレーネに蒼願の魔法をかけるの」
『そうがん??』
その時、部屋の扉がバンッと開け放たれた。
ビクッとした僕が手を止めて扉を見ると、少女姿のコレーが立っていた。
耳も尻尾もピンと立て、僕を睨みつける。
「フォティオス様の大事なエイレーネちゃんに、何をするつもりにゃ!?」
激怒したコレーが僕に飛びかかってきた。
けれど彼女の目の前に、ジゼルが立ちはだかった。
「あなたには、これを持ってきたよ」
ニヤリと笑みを浮かべたジゼルが、コレーの鼻先に木の枝を差し出す。
それは『またたび』の木の枝だった。
「にゃにゃ!?」
興奮したコレーが、思わずボンッと猫の姿に戻った。
「ちょうだいにゃ〜ん♪」
黒猫はフラフラとジゼルに近寄り、足元に擦り寄った。
甘えるその姿は、普通の猫にしか見えない。
「いいよー」
ジゼルがそう言って歩き出すと、黒猫もひょこひょことついていく。
扉にたどり着いたジゼルが、部屋の外に顔だけ出すと、廊下の奥へとまたたびを投げた。
「にゃー!!」
コレーは夢中で追いかけて行った。
ジゼルがその様子を見てクスクス笑いながら扉を閉めた。
ちょうど魔法陣を描き終えた僕は、立ち上がって彼女に声をかける。
「準備ができたよ」
「ありがとうディラン」
「じゃあ……迎えにいこうか」
僕らは、薄く柔らかな天蓋に包まれたベッドへと近付いた。
そこには、長い時を眠り続ける蒼刻の魔術師ーー
エイレーネがいた。




