148:いつのまにか
ルークがあの風刺画を見せてくれたあと、またどこからともなく違う噂が、庶民の間に流れ始めた。
「ミルシュ姫様の血は、魔物を誘う怪しげな作用があるそうだよ!」
ーー今度はミルシュ姫に関することだった。
実際そうなんだけど、ミルシュ姫が血を流すことなんて今では滅多にない。
もし怪我をしてしまっても、グランディ国の外にいる魔物まで呼び寄せてしまうほど、彼女の血には効果がない。
けれどその噂では『姫がそこに存在するだけで、魔物を遠くから誘き寄せている』と囁かれていた。
「聞いたか? あの王太子妃様の噂を」
「あぁ。聞いたぜ! 今度はすごいお方が王妃様になりそうだな。さすがグランディ国ほどの大国は格が違うなぁ!」
「あっはっはっは!!」
世間の人たちは、それを面白おかしく伝え合った。
魔物なんてグランディ国にはほとんど現れないのだから、嘘だと分かっていた。
彼らにとって真相とかはどうでもよくて、近々行われるタナエル王子の戴冠式に向けての、一種の話題振りのようなものだった。
けれど……
しばらくすると、魔物が本当にシナンシャ地区に現れ始めたのだ。
襲ってくる魔物たちに対し、タナエル王子が指揮する王国軍が立ち向かう。
シナンシャ地区は戦場に早変わりした。
今までにない大規模な戦いに、戦闘経験の少ない兵士も出払い始めた。
王都で暮らす人たちの、かけがえのない家族や仲間が数多く戦地に旅立ってしまった。
残された人たちは、みな一様に暗い顔をして吉報を待ち侘びている。
そして王都は、一気に鬱々とした空気に包まれた。
「私たちに対する風当たりも、厳しくなったね」
隣を歩くジゼルが、僕に身を寄せてきた。
「そうだね」
僕はそんな彼女の手を握った。
指を交差させてしっかりと繋ぐ。
僕たち魔術師にはまだ招集がかかっていなかったから、こうして2人で家の近くの大通りを歩いていた。
時々すれ違う人たちに、睨まれたり舌打ちをされたりしながら。
酷い人はわざと肩をぶつけてくる。
僕らが原因じゃないのに、一部の人があの噂を信じていた。
ミルシュ姫が魔物を呼び寄せている。
そんな姫を選んだタナエル王子が悪いと。
王太子に力添えしている魔術師の僕らも、悪い存在だと……
けれど悪意を向け慣れてしまった僕は、大衆の冷たい視線なんか気にならなくなっていた。
それよりも僕が気を配っていたのは、この国の混乱に乗じて、いつ襲ってくるか分からないフォティオスの動きだった。
そしてもうひとつは、タナエル王子にここまで世間の批判を向けた、リヒリト王子の勢力。
彼らが何か仕掛けてこないかと、常に警戒していた。
ジゼルも同じようで、僕と手を繋いで歩きながらも、しっかりと前を見据えている。
さっき身を寄せてきたのは、怖がっているのではなく、出来るだけ僕のそばで守ろうとしてくれている。
……僕らは少しずつ成長していた。
魔術師が一堂に会した式典で、タナエル王子の専属だと名指しされた時とは違っていた。
好奇の目に晒されても、もう恐れ慄くことはない。
僕たちは、タナエル王子専属のーー
蒼刻の魔術師だ。
「ーージゼル。何かが起きようとしているよね? だから……待ってるだけじゃなくて、こっちからも動こうと思うんだ」
「……うん。私も一緒に行く」
「じゃあ聞きに行こうか。タナエル王子に直接」
僕たちは立ち止まってお互いに向き合った。
そして……
ジゼルが呪文を唱えた。
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「……で、早速会いに来たってわけか」
呆れ返っているタナエル王子が僕らに言った。
彼は作戦机の前にある重厚な椅子にもたれ、肘置きに頬杖をついていた。
重そうな防具をその机の端に脱ぎ捨て、シャツのボタンを上から2個ほど外している。
こんなラフな格好の王太子は初めて見た。
僕らがいるのは、シナンシャ地区にある砦の一室だった。
前線基地も兼ねているここは、長らく続く対魔物戦のためか、ピリピリした空気が漂っている。
そんな中、僕とジゼルはタナエル王子の前に揃って立っていた。
ジゼルの無彩の魔法で、空を飛ぶ能力を一時的に高めてもらい、シナンシャ地区まで一気に飛んで来たのだ。
馬車に乗らずに遠くに来れるって素晴らしい。
無彩の魔法様々だよね。
そして馬車酔いすることなく砦に到着した僕らは、わずかな高揚を引きずったままタナエル王子と面会し、事情をある程度話したところだった。
「……大変な時に申し訳ございません」
僕は労いも込めて頭を下げた。
「今のところ、魔物が現れては倒しているからそんなに戦況は厳しくない。魔物側は統率が取れておらず、個々の判断で動いている感じだ」
タナエル王子が淡々と説明を続けた。
「ただ、魔物の進攻が収まる気配がない。私とミルシュが交代して、常に戦場を見張っている状況だ。終わりの見えない戦いに、兵士たちも参ってきている……」
そう言った王子本人も流石に疲れているのか、大きく息をつき、窓から遠くを見た。
少し間を置いてゆっくり僕に目線を戻すと、再び口を開く。
「それで、何を知りたいんだ?」
「……王都に流れた噂、魔物の不自然な出現…………何が起こっているんですか? 今回の首謀者は誰ですか?」
「ふむ。首謀者はリヒリトだ」
重たい空気が室内に落ちる。
「私が魔物の魔法で眠らされた件から、奴が関わっていたらしい。第3王子のレイウェルは、リヒリトに踊らされただけのようだな」
やっぱり、リヒリト王子の仕業か。
予想していた通りで、僕はグッと歯を噛み締めた。
ジゼルが複雑そうに眉をひそめて、タナエル王子に尋ねた。
「リヒリト王子はもしかして、魔物と……」
「そうだ。魔物と手を組んでいる。奴と、黒い巻き毛に赤い瞳の青年が、たまにコンタクトをとっていることが確認出来た。我々はおそらくその青年が、人型タイプの魔物だろうと踏んでいる」
僕とジゼルは思わず見つめ合った。
そして同時に口を開く。
「「フォティオス!」」
「何だ、知っている奴なのか?」
タナエル王子の質問に、興奮気味なジゼルが返した。
「ディランがつれ攫われた時の犯人です!」
すると、王子の目つきが変わった。
「そうか……なら居場所は分かっているな?」
「……はい」
僕は嫌な予感がしつつも、神妙な面持ちで頷いた。
タナエル王子が鋭い視線のまま言い放つ。
「ディランとジゼルはそいつを倒せ」
「えぇ!?」
「魔物に指示を出しているのは、そいつだ。まずは立ち向かってくる魔物をどうにかしないと、リヒリト達を捕まえることも出来ない」
彼は、椅子にふんぞり返って余裕たっぷりに続けた。
「それに忘れた訳じゃないだろう? 魔物に攻められた時の対抗策である、蒼刻の魔術師よ」
「…………」
魔物よりも恐ろしい笑顔を浮かべるタナエル王子に、僕は何も言えなかった。
沈黙を肯定と受け取った王子が、満足そうに笑みを深める。
けれど次には遠い目をして、ポツリとこぼした。
「国民の命を脅かす、今回の奴のやり方は許せない」
そう言って目を伏せる王子が、僕には悲しそうに見えた。
「タナエル王子、失礼します」
部屋の外から声がかけられると、中にセドリックが入ってきた。
途端に部屋の空気が、ぱっと華やいだ。
「セドリック!」
「セドリックさん!」
久しぶりに彼に会った僕とジゼルは、思わず詰め寄って矢継ぎ早に聞く。
「赤の魔術師って本当?」
「もしそうなら、何が召喚出来るんですか?? やっぱりドラゴン!?」
威勢のいい僕らを、両手で制したセドリックが苦笑する。
「あの風刺画のことを言っているんだろう? ただぼくの公爵家が、たま〜に赤の魔術師を輩出した歴史があるからってだけなんだ」
「じゃぁ……」
「セドリックさんは……」
息ぴったりな僕とジゼルが、揃ってシュンとした。
「…………残念だけど、赤の魔術師じゃないよ」
セドリックの返事を聞いて、がっくりと肩を落とした僕らに、タナエル王子が声をかけた。
「……それほどの2人からの〝強い思い〟があるなら、蒼願の魔法でセドリックを赤の魔術師にしてしまえばいいのでは?」
「えぇ!?」
セドリックが悲鳴を上げた。
それから、僕らを呆れたようにジトリと見る。
「いや、ちょっと……ディランたちもそんなキラキラした目で見ないでくれよ」
セドリックの本気の苦情が続く。
「赤の魔術師のことで話しかけられた中で、だんとつで怖いんだけど」
あまり動じることのない彼が、珍しく心の底から迷惑していた。




