146:束の間の休息
僕は光が収まったのを感じて、恐る恐る目を開けた。
足元には見慣れた木の床がある。
目線をゆっくり上げた先には、馴染み深いカウンターが。
どうやらここは店内で、僕とジゼル、それにラフィナは、揃ってカウンター前のスペースに転移出来ていた。
暖を取り合う雛のように身を縮めてくっついていた僕たちは、ゆるゆるとその強張りを解いてお互いを見つめた。
「帰ってきた?」
「きた」
「きた」
「「「〜〜〜〜っ!!」」」
わぁ!っと歓声を上げて、僕らは無事に帰還できたことを手を取り合って喜んだ。
その時、ドアノッカーがけたたましく打ち鳴らされた。
「ラフィナ! そこに居るのか!?」
慌てたクライヴの声も聞こえる。
僕らのさっきの歓声が外まで漏れていたようで、クライヴが仕切りにラフィナに呼びかけていた。
僕が鍵を開けた途端、切羽詰まった表情のクライヴが飛び込んできた。
一息つく間もなく、ラフィナの前にズカズカと歩み寄る。
「どう言うこと? 仕事から帰ったら書き置きがしてあって〝実家に帰ります〟って……」
「実家に近い場所に遊びに行ってたんだよ。……建物があった東に真っ直ぐ行って、ピュンって上に進めば、天界の入り口の1つがあったんだけどなぁ〜」
ラフィナが宙を見つめて答える。
彼女はクライヴに心配かけないように、わざといつもの調子で言っているようにも見えた。
でも、その話がピンとこなくて、僕がクライヴと同じように首をかしげていると、隣に立ったジゼルがちょんちょんと袖を引っ張った。
そして自分の口元に手を添えて、内緒話をしてくれる。
「ラフィナはママがセイレーンだから、実家が天界なんだって」
「え?? ほんとに?」
僕が驚いてジゼルと見つめ合っているうちに、クライヴたちの話し合いが進む。
「行ってたって帰ってきたのか?」
「うん。ディランの魔法でひとっ飛びだったよ」
「…………はぁ。僕はてっきり家を出て行ったのかと……それにしては〝ジゼルと行ってきます〟とか書いてるものだから、よく分からなくって……」
「??」
クライヴがヘナヘナと目に見えて脱力した。
対するラフィナはきょとんとしている。
あー、あれは……
ラフィナは〝実家に帰ります〟が〝離婚します〟の意味を含んでいるのを知らないのだろう。
それをクライヴも今、理解したようだ。
魔物の国に行って数日帰れなくなる可能性もあったから、ラフィナは気を遣って書いたんだろうけど……
僕とジゼルは視線を交わすと、またラフィナたちを見つめた。
クライヴが呆れながらも、安堵からの苦笑を浮かべる。
「…………とりあえず、もう遅いから用が終わったのなら帰ろうか」
「うん」
ラフィナが嬉しそうに笑った。
帰ることにした2人を、僕とジゼルは店先で見送ることにした。
「ラフィナ、今日はありがとう」
「本当にありがとう」
帰り際に、僕とジゼルがそれぞれお礼を言う。
「ううん。2人に恩返しが出来て良かったよー。けど…………」
ラフィナがチラリとクライヴを見てから、僕とジゼルを見た。
「…………黒猫に気を付けてね」
「うん。気を付けるよ」
「ラフィナも……ね」
僕ら3人は頷きあった。
クライヴには詳細を濁したいラフィナが、僕らに含んだ言い方で伝えてくれた。
彼女も今回の件は、あれだけでは終わらないと感じているのだろう。
「え? 何のこと?」
クライヴが不思議そうにラフィナに聞く。
「怖〜い黒猫がいたの」
クスリと笑って答えるラフィナが、クライヴに手を引かれて歩き出す。
最後に彼女は振り返って、フリフリと僕らに手を振っていた。
僕とジゼルは、クライヴたちの後ろ姿をしばらく見守ったあとに、どちらからともなく動き出して店の中に入った。
そして横に並んで立ち、後ろ手で扉をパタンとしめると「はぁ〜〜」と深いため息をつく。
ズリズリと扉にもたれながら、揃って床に座り込んだ。
緊張の糸が一気に切れた僕たちは、お互いに寄り掛かって手を握る。
「疲れたね」
「……疲れたね」
自分の住み慣れた家で、ジゼルとくっ付いているとホッとした。
なのに、魔物の国での出来事がよみがえってしまい、途端に不安が襲ってくる。
フォティオスのあの様子だと、今度はジゼルを狙ってくるかもしれない……
最後に一瞬見せた彼の本気は、ものすごかった。
それまでは僕とまだ穏やかに接していたようで、全力の彼には、僕なんかじゃ到底かないそうにない。
けれど……
ジゼルだけは何があっても守るって決めてるから。
僕は彼女の手をギュッと握りしめた。
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久しぶりに自分のベッドで眠れた次の日の朝、ふと目を覚ますと、ジゼルの寝顔がすぐそばにあった。
いつものクセで、僕にくっ付いて眠る彼女をしっかりと抱き込み直す。
ジゼルの暖かさと柔らかさが心地よくて、微睡の世界から眠りの世界へと深く落ちていくーー
そのことに、どうしようもない幸福感を感じながら、僕は意識を手放していった。
…………と、幸せな2度寝を味わっていたのに、店先の騒がしさがここまで聞こえて来た。
「だからぁ、私が行くからルークは帰ってよ!」
「えぇ? 何でそんなに1人で行きたがるんだよ?」
「…………」
「あ、もしかしてホリーって……」
「……な、何よ?」
「ディランのこと好きだったのか? それでジゼルちゃんとついに結婚したものだから……」
「そんな訳ないでしょ!?」
何故かルークとホリーが、店の前で言い合いをしている。
「…………うるさいなぁ」
僕はムクリと起き上がると、サイドテーブルにある時計を眺めた。
ぼやけた視界が次第に輪郭を取り戻し、昼を過ぎていることに気付いた瞬間、眠気が一気に吹き飛んだ。
「……ジゼル。起きて、起きて」
僕は彼女の肩を優しく揺らした。
「うーん……」
こんな時は寝起きの悪いジゼルが、かろうじて返事をした。
彼女はもぞもぞと動いて仰向けになり、目を閉じたまま両手をぐーっと伸ばした。
「いたっ」
その1つが軽く僕の顔にぶつかった。
「フフッ」
思わず吹き出したジゼルが、そのままクスクス笑いながら目を開けた。
「ごめんね。手がぶつかっちゃったね」
しっかり目覚めたジゼルが、ゆっくりと起き上がった。
そしてブランケットがずり落ちないように、胸元を押さえながら僕に言う。
「ディラン、おはよう」
「おはよう」
僕は彼女の頬に手を添えてキスをした。
それから見つめ合って笑みをこぼしあうと、またルークたちの騒がしい声が聞こえ始めた。
「…………そうだった。ルークたちが訪ねて来てるんだった」
「それは急いで支度しないとっ」
オロオロし始めたジゼルが、目線を時計に向けて〝あっ〟と驚いた表情をした。
彼女もお昼を過ぎてしまっていることに、ビックリしたようだ。
それから顔を赤くさせて、照れ照れとうつむく。
「ひとまず店先で騒がしいと迷惑だから、お店の方に通してくるね」
僕はそんなジゼルの頭をひと撫ですると、シャツを羽織りながら部屋を抜け、ルークたちのもとへ向かった。




