144:フォティオスの目的
「ここで何をしている?」
フォティオスの不機嫌な低い声が、部屋に響いた。
僕を睨みつけ、静かに怒りを滲ませる。
けれど彼の圧を跳ね返すほどに、僕も腹を立てていた。
「彼女を…………助けに来た!」
僕の訴えに、フォティオスがその赤い瞳を見張った。
それからすぐに顔を歪め、不快感をあらわにする。
僕はその隙に呪文を唱えようと、手を掲げ息を吸った。
「ぅ……あっ…………!」
でも声が出せない。
突然のことに動揺しているそばから、体の力が抜けていきーー
視界いっぱいに、床が迫ってくるのを感じた。
そして気付いた時にはもう、どさりと倒れ込んでいた。
「偉そうなことを言うな!」
怒り狂ったフォティオスが、床に転がる僕を怒鳴りつける。
「あ、フォティオス様! やっと魂をいただくんですね♪ エイレーネちゃんのいる部屋ですし、ちょうどいいにゃ〜」
1人だけ呑気なコレーが、両手を胸の前でパンと合わせて笑顔を浮かべた。
朦朧とする僕は、彼女の発言のお陰で薄っすら理解する。
これは……
魂を吸い取ろうと……されて、いる?
フォティオスはそばに来ると、僕を蹴って仰向けにさせた。
僕の胸に向けて左手を突き出し、呪文を唱える。
その瞬間、中から何かが引きずり出される感覚が走った。
力も入らず半分意識もない僕は、フォティオスの魔法に抗う術もなく……
絶対絶命の時だった。
僕の隣で、蒼い小さな光が生まれた。
それは瞬く間に大きくなり、力強く輝きながら部屋を満たしていった。
美しい光がひときわ強く光ると、中からジゼルとラフィナが現れた。
仲良く手を繋いだ2人は、仲良く驚いた表情で固まっている。
「!?」
けれど、倒れた僕を見つけたジゼルの行動は早かった。
素早く目を動かし、敵の数や部屋の様子を確認する。
それからラフィナと繋いでいる手をクイッと引っ張って合図を送り、呪文を唱えた。
「〝魔力を高めろ!〟」
「〝防御力を高めろ!〟」
ジゼルの声が駆けるように響き、ラフィナの体が光に包まれた。
ラフィナはジゼルからそっと手を離すと、覚悟を決めてぐっと身構えた。
ジゼルはラフィナには目もくれず叫んだ。
「〝防ぎ守れ!〟」
僕と自分だけに素早く防御魔法を展開する。
同時に、ラフィナがわずかに喉を震わせながら歌い始めた。
状況にそぐわず、ゆったりとして穏やかで、どこまでも優しいその歌はーー
眠りを誘う子守唄だ。
僕とジゼルを包む魔法の膜が、歌に共鳴するように淡く光る。
一方、フォティオスはまだ僕の魂に手をかけたままで、反応が遅れた。
「くっ……何だ? これ……は…………」
ラフィナへと伸ばした左手が宙を彷徨う。
けれど届く前に、彼の体から力が抜けていき、膝を折って崩れ落ちた。
「寝っむぅ……」
コレーも猫のように床で丸まると、すぐに寝息を立てる。
彼らが眠りに落ちると、僕にかかっていたフォティオスの魔法も解けた。
「っ!!」
意識も鮮明になった僕は、すぐに体を起こすと思わず胸を押さえた。
今になって、心臓がドキドキと痛いほど脈打つ。
「ディラン!!」
ジゼルが僕に駆け寄りしゃがみ込んだ。
「大丈夫??」
ほろほろと大粒の涙をこぼす彼女が、僕の顔を覗き込む。
僕は彼女の涙を指でそっと拭った。
「うん。ありがとうジゼル」
一瞬、僕の動きに合わせて片目を閉じたジゼルが、再び潤んだ両目を開いて僕に向ける。
そしてすぐにガバッと抱きついて来た。
「良かったぁ!!」
肩を震わせて泣くジゼルが、僕の胸元に頬を擦り寄せた。
服が濡れる感触に、以前もこんなことがあったなと苦笑する。
けれど何とも言えない安らぎに包まれ、僕はジゼルを優しく抱きしめ返した。
駆けつけてくれたのが嬉しくて、彼女の頭に頬をくっつけて顔を綻ばせる。
「感動の再会のところ、悪いけど……」
その時、ラフィナの弱々しい声が僕らにかけられた。
「あ、ラフィナも助けに来てくれて、ありが……とう?」
抱き合ったまま少しだけ体を離し、僕らはラフィナの方を見た。
彼女はへたり込んで、両手を床についてしまっていた。
うつむく姿に僕が心配しかけたその時、キッと顔を上げたラフィナが涙目で叫ぶ。
「早くこの部屋を出ようよ! 猫が……黒猫が増えてる!!」
「…………そこ?」
僕とジゼルは呆れ顔で視線を交わした。
ラフィナはただコレーに怯えているだけだった。
足がガクガクしているラフィナの手をジゼルが引き、彼女たちの前を僕が先導して洋館内を歩いた。
フォティオスとコレーはぐっすり眠っており、もう誰とも鉢合わせることはなさそうだ。
ちなみに地下の部屋を去る前にゼノンに話しかけてみたけれど、彼も眠ってしまったのか返事はなかった。
「……子守唄が効いて良かったぁ」
ラフィナが「ふぅ」と息を吐きながら安堵した。
「ねー。もし転移してすぐに魔物に囲まれてたらと思って、対策練ってて良かったよ」
ジゼルがそう返してから、僕に喋りかけた。
「それに、そのフォティオス?が、今日まで魂を取らずにいたおかげで、ギリギリ間に合ったね」
「…………うん」
僕は小さく返事をした。
「…………」
ジゼルの気掛かりそうな視線を、背中に感じる。
けれど優しい彼女は、それ以上は聞かなかった。
僕はここで起こったことや、あらかたの事情をつい先ほどジゼルに説明した。
……ラフィナも聞いていたけれど、後半はぼんやりとして明らかに上の空だった。
あの小難しい説明好きなクライヴの奥さんなのに、長い話は聞かないなんて……
と、少し驚きながらも、手足を無くしたまま生き続けるしかない蒼刻の魔術師の彼女を紹介した。
コレーに『エイレーネちゃん』と呼ばれていた、ベッドに横たわる彼女を。
本当はどうにかしてあげたかったけれど、時の止まったあの部屋から出すと、彼女は死んでしまう。
だから今はエイレーネを……置いてくるしか無かった。
そのことに僕が心を痛めていることを、ジゼルも分かっていた。
エイレーネのことを考えて暗くなってしまった空気を、明るいラフィナの一声が変えてくれた。
「でも、どうやって帰るの?」
「私がディランに向けている『一緒に家に帰りたい』っていう思いを、蒼願の魔法で叶えてもらうの」
ジゼルに続いて僕もラフィナに説明する。
「それで、どこか安全な場所で魔法陣を描きたいんだけど……」
ハッとしたジゼルが慌てて声を上げた。
「そうだった! 私持って来たんだった!」
「?? 何を?」
「はい、アルテアの杖」
振り向いて立ち止まった僕に、ジゼルが木の枝みたいな杖を差し出した。
「ありがとう。けどこれは……魔法陣はすぐ出るけど、蒼い月の光をいっぱい浴びる必要があるから、外で使うっていう制限があるよね?」
僕は杖を受け取りながらジゼルに確認した。
コレーに拉致された前回の蒼い月の夜、僕らはこの杖をいろいろ調べるために店を閉めていたのだった。
その時、月明かりが届かない室内では使用できなかったはずだ。
「うん。だから外で使えばいいんじゃない?」
ジゼルが首をかしげる。
「…………外に出ると、森にいる獣の魔物がすぐに寄ってくるんだ」
「あぁ、それなら」
納得したジゼルが、何故かラフィナを見た。
僕も彼女の視線を辿ってラフィナを見る。
僕らからの注目を浴びて、彼女はきょとんとしながらも平然と返事をした。
「私が居れば、獣タイプは寄ってこないよー」
「どうして?」
「セイレーンだから。私の魔物度階級が、獣タイプよりは上みたい」
ラフィナが得意げに胸を張った。
「すごいや。これで全部うまくいくね。だったら……」
僕は窓から見える外に目を向けた。
「あそこで行おうか」
そこには、おあつらえ向きの開けた場所があった。




