143:フォティオスの目的
僕が魔物の国に拉致されてから数日後。
また蒼い月の夜が巡ってきた。
蒼願の魔法が使える夜だ。
そんな逃げ出すには絶好のチャンスなのに、僕は何も出来ずにいた。
魔法のペンを出すと、必ずあの黒猫の少女が、どこからともなく現れる。
どうやら魔法を使う空気を察知しているようで、魔法陣を描く隙がないのだ。
黒猫の名前はコレー。
他の魔力が高い動物とは違い、自分の好きな時に少女の姿に変化することが出来た。
彼女は僕を見張るのと同時に、食事を運ぶといった必要最低限の世話をしてくれていた。
夕食を乗せたトレイを、部屋の机にぽんと置いた彼女が言う。
「ごめんにゃ。フォティオス様の踏ん切りがつかないから、ディランの魂が取れないにゃ。もうちょっと待っててくれにゃ〜」
いつものように、コレーはすまなそうに眉を下げた。
僕としては魂を取られたくないから、フォティオスにはこのままでいて欲しいんだけど……
コレーに謝られるたびに、僕はよく分からないまま頷いてみせるしかなかった。
それに、どうにか逃げれないかと毎日考えてはいた。
けれど外に出られないことと、魔法が使えないことが重なり、今のところ手立てがない。
どうしようかと考えあぐねているうちに、蒼い月の夜を迎えてしまったのだ。
ランプを片手にした僕は廊下に佇み、窓からのぞく美しい月を悔しげに睨んだ。
その時、不思議な感覚が僕を襲った。
誰かに呼ばれているような……
懐かしい気配を感じる。
僕は遠くまで伸びる廊下の奥を見つめた。
その暗闇の中から、確かに気配がしている。
「……誰かが居るのかな?」
僕は誘われるままに、フラフラと歩き始めた。
フォティオスとコレーが暮らすこの洋館で、僕は他の存在に会ったことがなかった。
フォティオスが魔物たちの起源であり、彼が遥か昔に人型の魔物を生み出した存在なのに、なぜかこの洋館には2人きりだ。
1度だけコレーが〝自分が支える前は、沢山の配下を従えて暮らしていた〟と言っていた。
それなのに、今はこの広い洋館が不気味なほど静まり返っている。
僕は拉致されたというのに、フォティオスは興味を示す様子もなく、ほどよく放置されていた。
だから魔法さえ使わなければ、洋館内を自由に歩き回っても何も言われなかった。
逃げる方法を探して何度も練り歩いた廊下を、手に持ったランプで照らしながら進んでいく。
すると角の床に、地下へと続く階段があった。
「あれ? こんなのあったっけ?」
僕は階段の奥を覗き込みながら首をかしげた。
しかも不思議な気配は、そこから漂ってきている。
「…………」
人のいない洋館の雰囲気も相まって、地下の空間は、そこはかとなく怖かった。
けれど僕はキュッと口を引き結び、そっと階段を下り始めた。
階段を半分ほど過ぎた所で、変な感じがした。
何かがフッと軽くなったような……
いや、その反対のような……?
僕は思わず後ろを振り返ったけれど、何も変わった様子はなかった。
……進んじゃダメな空気をひしひしと感じる。
けどこの懐かしい感じは、決して悪いものじゃないから……
僕は再び前を向き、怖々と歩みを進めた。
そうして、階段を下りた先にある扉の前に着くと、ゆっくりと押し開ける。
「…………」
僕は息をひそめて、辺りを見渡した。
部屋の中は広く、四隅にあるランプの光で意外と明るかった。
けれど違和感を感じる。
なんだろうと思い、そばにあるランプの1つをジッと見てみると、炎の揺らぎが全くなかった。
その静止している炎はまるでーー
「時間が止まっているみたい……」
『その通り』
「え!?」
突然、やけに反響する声が聞こえた。
『この空間は時を止めているんだ』
小さな子供のような高い声が、僕に話しかけていた。
僕はハッとして、自分の持っているランプを目の高さに掲げた。
思ったとおり、僕のもピタリと止まっている。
階段の途中で感じた違和感。
あれは……時が止まった空間に入ったからだ!
僕はランプをゆっくり下ろしながら、部屋の奥を見据えて尋ねる。
「…………何のために?」
『フォティオスに頼まれたんだよね。神様時代の彼に大きな貸しがあったから』
僕の目線の先には、豪華で大きな天蓋付きのベッドがあった。
薄い布の幕の奥に、誰かが横たわっているシルエットが見える。
「…………あなたは?」
『フフッ。僕はゼノン。時を司どる神様だよ〜』
ゼノンが冗談でも言ったかのように、ケラケラ笑った。
そしてとても愉快そうに続ける。
『そこに眠る子のね、時間を止めて欲しいって言われたんだ。そうしないと今すぐ死んじゃうから。あははっ』
何が楽しいのかと呆れるほど、ゼノンはクスクスと笑い続けた。
懐かしい……蒼の魔法の気配。
時間を止めた部屋。
嫌な予感がした僕は、ベッドに近付いて幕を払いのけるように開けた。
そこには、薄い寝具に丁寧にくるまれた女性が、肩までの髪を枕に広げて横たわっていた。
正確には、静止していた。
呼吸をしておらず、生きているのか死んでいるのか分からない彼女は…………
右腕が無かった。
左手は整った姿勢でお腹に添えられていたが、反対の袖口からは何も伸びていない。
「もしかして…………」
ブランケットを被っている彼女の右足に目を移すと、どこにも膨らみがなかった。
「う゛っ…………」
僕は込み上げる吐き気を感じて、思わず口を手で塞いだ。
なんてことだ。
彼女は……
フォティオスに手足を奪われた蒼刻の魔術師だ!
痛々し過ぎて僕の瞳に涙が滲む。
罪悪感に似た何かを感じ、彼女から目を逸らした。
『手足がないしさー、おまけに体の中に酷い怪我をしてるんだよ。それでもこうして生かされてるなんて、随分気に入られてるよねー、その子』
相変わらずゼノンがクスクス笑っている。
その高い声が煩わしくなってきた。
『フォティオスはその器に魂を入れて、復活させたいみたいだよー。愛しい人をね』
「…………は??」
僕はとうとう怒りが込み上げてきた。
「魂を入れるって……」
目の前の女性に意識を向けると、フォティオスからの強い思いが向けられていた。
けれど黒いモヤのようなものがかかり、輪郭がつかめなかった。
フォティオスは元々神様だったから、僕の蒼の魔法では、上手く読み取れないのかもしれない。
『そうなんだよ。似たような輝きをもつ魂を媒体にすることで、本人を蘇らせるとか…………本当に出来るのかなぁ?? プフフッ。あはははははっ!』
しまいにはゼノンが大笑いする。
フォティオスがしようとしていることが純粋に楽しいのが、それとも滑稽だと嘲笑っているのか……
彼のふざけた態度では、どちらか分からない。
けれど1つだけハッキリしたのは、フォティオスの目的だ。
彼はリンネアル様を蘇らせようとしている。
まずは器に適した彼女をここで生き延びさせて、魂を探し続けていたんだ。
だから……
蒼刻の魔術師として生まれた女性は、若くして亡くなった。
…………許せない。
僕は手足のない彼女を見つめて、両手をギリギリと握りしめた。
爪が食い込んで手に痛みが走る。
けれどそれよりも、怒りの感情が爆発しないように必死だった。
『それほど、フォティオスにとってはその子がとても大切なんだ。だからすぐに来るよ』
ゼノンが喋っているあいだに、部屋の中央に黒い霧が発生し始めた。
それがどんどん濃くなっていき、ついには真っ黒になる。
『ほらね』
ゼノンの声が合図だったかのように、黒い空間の中からフォティオスとコレーが現れた。




