142:蒼刻の魔術師ジゼルとセイレーンのラフィナ
蒼い月が雲から覗く静かな夜。
今日はディランを助け出すための、作戦決行日だった。
ジゼルとラフィナは、ある大きな屋敷の前に立っていた。
「ラフィナ……寒そうだね」
ジゼルは、隣に立つラフィナを見ながら言った。
彼女は背中ががっつり開いた、ロング丈のワンピース姿だった。
どこかのパーティに歌いに行くかのような格好だ。
「背中に何もない方が、翼を出しやすいからねっ。本気でセイレーン化すると、下半身も羽毛に覆われて足も鳥タイプになるし」
張り切って説明したラフィナだったけれど「……やっぱり寒いや」と言って、腕にかけていた上着を羽織り始めた。
そんなやりとりとしていると、屋敷の中からダレンが出てきた。
「久しぶりだな」
「いきなりでごめんね」
「こんばんわ」
各自が軽く挨拶を交わすと、初対面のダレンとラフィナは互いに会釈を交わした。
そのあとで、ダレンは〝こんな夜にどうしたんだろう?〟と言うように、きょとんとしながらラフィナとジゼルを順に見る。
「…………ディランは居ないのか?」
やがて、いつもジゼルの隣にいるはずのディランの姿がないことに気付き、眉をひそめて視線をジゼルに戻した。
「今日はそのディランを助けるために、ダレンに蒼願の魔法をかけて欲しいの」
「ディランを助ける?」
ダレンがますます困惑した。
ジゼルたちはひとまず屋敷に通され、奥の部屋へ案内された。
ジゼルとダレンが並んで歩き、その後ろをラフィナがついて、広い廊下をぞろぞろと進んだ。
ラフィナは屋敷の中の豪華さに驚いて、キョロキョロしていた。
「すごーい。貴族の立派な家みたい〜」
少しはしゃいでいる声を背中で聞きながら、ジゼルはダレンに説明した。
ディランが攫われてしまったこと。
おそらく彼は、魔物の国にいること。
そこにラフィナと2人で助けに行きたいこと……
前を真っ直ぐ向いたジゼルが、足早に歩きながら一気に喋った。
話が終わると、タイミングよく大きな部屋へとついた。
窓際の床には魔法陣が描かれており、蒼い月明かりを煌々と浴びている。
格式高い部屋に佇むその魔法陣は、厳かで美しかった。
……ディランの魔法陣と、随分雰囲気が違うなぁ。
ジゼルはつい、いつもの店の景色を思い浮かべてしまった。
優しく笑うディランと一緒に。
「…………」
込み上げてくる感情をグッと抑え込んだところに、ダレンが話しかけてきた。
「事情は分かったけど、蒼願の魔法でどうやって魔物の国に行くんだ?」
ジゼルは、ダレンにしっかり向き直って返事をする。
「会いたい気持ちを使って、転移魔法をかけて欲しいの」
「……??」
「ほら、ディランが私に向けて何か思ってるでしょ? 『ジゼル助けて』とか『ジゼルに会いたい』とか!」
ジゼルがじりじりと詰め寄った。
そんな彼女の勢いに、たじろいだダレンが返す。
「分かった分かった。まずはジゼルに向けられている思いを探ってみるから……」
「キールホルツ国の王子に捕まった時も、私に向けられたディランの思いを使って、ここに帰って来たんだよ。ナフメディさんとっーー」
ジゼルはそこまで説明すると、静かになった。
ダレンが目を閉じて集中したからだ。
けれどすぐに目を開けると、彼は気の毒そうに重い口を開いた。
「…………ディランがジゼルに会いたいとは思っているけど……こんな弱い思いじゃ無理だ」
ちょっと離れた所で見守っていたラフィナが、思わず声を上げる。
「えー……」
「俺は普通の蒼刻の魔術師だからな。ディランみたいに能力が高くないんだ」
ラフィナを横目で見たダレンが肩をすくめる。
ジゼルは伏し目がちに眉を寄せ、ほんの少しだけ、恨めしそうな視線をダレンに向けた。
……思いが弱いのかぁ。
でも、ダレンのあの言いようだと、ディランなら蒼願の魔法に出来る……?
それならーー
閃いたジゼルが叫んだ。
「蒼の魔法の能力が低いダレンは、大っ嫌い! 今だけ最上位の蒼刻の魔術師になって!!」
「「…………」」
ダレンとラフィナが固まった。
ジゼルが無彩の魔法を発動したのだけれど、魔法がかかる様子や変化が目に見えない。
けれど能力が高まったことを肌で感じたダレンが、呆れた目でジゼルを見た。
「あのさぁ、魔法をかけるなら事前に言ってくれよ。本気ぎみの〝大嫌い〟だったよな?」
「あはは。ディランを助けに行きたくて必死なの」
ジゼルがニコリと笑みを浮かべた。
笑っては見せたけど、彼女の心の中は穏やかではなかった。
早くディランのそばに行きたくて、気持ちだけが先走る。
フクロウのココには、ディランの心音に変化があれば教えてくれるように頼んでいた。
まだ何も知らせがないし、私に会いたいって思ってくれてるから、ディランは生きてるはずだけど……
目の奥がツンとして、ジゼルの瞳にじわりと涙が浮かぶ。
彼女は常に泣きたいのを我慢して、今も必死に立っていた。
ジゼルの硬い表情を見て、何かを察したダレンが優しく声をかける。
「これなら蒼願の魔法をかけれるよ。魔法陣の上に立ってくれるか?」
ジゼルはゆっくり頷くと、まだ呆然としているラフィナの手を引っ張って移動した。
ラフィナは素直について来ながらも、消え入りそうな小さな声で聞いた。
「ジゼルが魔法をかけたんだよね?」
「うん。無彩の魔法っていって、目に見えないの。〝嫌い〟とか〝嫌〟とかの言葉がトリガーだから。魔物の国でも使うと思うし……慣れてね」
「…………」
ラフィナが驚いた目で訴えかけるも、言葉は飲み込まれた。
「……ね?」
ジゼルが、今度はわざとらしくほほ笑んで念を押した。
魔法陣のそばに来たジゼルは、その中央に足を踏み入れた。
手を繋いだまま、ラフィナも横に寄り添ってもらう。
今回、蒼願の魔法をかける主体はジゼル自身だ。
足元の魔法陣をひとしきり眺めると、彼女はゆっくりとダレンに視線を向けた。
「準備出来たよ」
「…………本当は俺も行きたい所なんだけど」
「分かってる。私の無彩の魔法は一般魔法レベルだから……言葉を盛ってはみたけれど、蒼願の魔法だけでも、ダレンに無理をさせてしまうし」
ジゼルは気の毒そうに笑った。
蒼願の魔法は1日に1回。
しかも無彩の魔法で無理やり能力を引き上げて行うため、ダレンの魔力は残らないだろう。
元々蒼刻の魔術師は蒼の魔法以外が苦手だし、魔力がなくなった彼がついてくると、足手まといになる。
それが分かっているダレンとジゼルは、静かに頷き合った。
「じゃあ、蒼願の魔法を始めるぞ。ディランを頼む」
「うん。必ず助けてくるから」
ジゼルは自分に言い聞かせるように、強く言い切った。
ダレンが穏やかに笑ってから目を閉じ、呪文を唱え始めた。
ディランとは違って、力強い芯のある声。
静かに研ぎ澄まされた空気の中、魔法陣も蒼く美しく光り輝く。
その強い光に包まれながらもーー
ジゼルはやっぱり、ディランのあの優しい詩が恋しくなった。




