141:奪還大作戦
静まり返った執務室に、重たい空気が漂っていた。
そこには、執務机に向かって座るタナエル王子と、その正面に立つスラッとした無愛想な男性がいた。
王子は適度に開いた両肘を机につき、組んだ手を額に当てながら深いため息をつく。
「そちらの地区でもか……」
「はい。幸い騒動はすぐに収まりましたが」
男性が間を置かずに答えた。
王子よりも少し年上の彼は、信頼できる配下の1人だった。
「まったく。私が王位継承するまでの最後の足掻き……と言った所か。リヒリトは……」
タナエル王子が椅子に深く座り込んだ。
体を片側に預けて肘をつき、虚空を眺める。
「…………」
そばにいる男性は愛想笑いを浮かべる訳でもなく、王子をジッと見つめた。
その時、部屋の外から扉がノックされた。
続いて聞き慣れた声がする。
「タナエル王子、ジゼル・オーリック夫人が面会を求めています」
セドリックの声だった。
「お願い! 凄く急を要することなの! 通して!」
「待ってジゼルちゃん。ちゃんと段取り踏もう? 一応、王太子様なんだから!」
ジゼルの切迫詰まった声のあとに、護衛の失礼なセリフも聞こえた。
タナエル王子は、扉を半ば睨みつけながら返事をする。
「……通してよい」
王子の許可とほぼ同時に、ジゼルが扉を開け放った。
そして目にも止まらぬ速さで王太子に近づくと、両手でバンと執務机を叩く。
「タナエル王子! ディランが攫われました!!」
勢いのよいジゼルに怯むことなく、タナエル王子は詰め寄る彼女と視線を合わせた。
「誰にだ?」
「おそらく魔物です。黒猫の姿でディランに近付くと、人型に変身して2人で消えました」
そうしてジゼルは、事のあらましを必死に伝えた。
タナエル王子は熱心に聞いてくれていたけれど、最後に少しだけ……ほんの少〜しだけ、申し訳なさそうにジゼルを見た。
「起こった事態は全て推測の域を出ない。すまないが、それだけで私が動くことは出来ない」
タナエル王子は、それ以上の言葉をかけることなく、静かに断った。
……やっぱり……ね。
ジゼルは想定していた結果に落胆したけれど、すぐに自分を奮い立たせて言う。
「それは分かってます! だから私1人で助けに行ってきます! でも、魔物の国はちょっと武が悪いから……例えば、味方になってくれる合法的な魔物とか知りませんか?」
意気込んでいたジゼルが、途端に縮こまって眉を下げた。
「ふむ……カイル知っているか? 犯罪者とか、悪質な貴族が囲っているとかないのか?」
タナエル王子が、無愛想な男性に話を振った。
カイルと呼ばれた仏頂面の男性は、少しだけ瞳に動揺の色を浮かべる。
その様子に、彼が知っていると踏んだタナエル王子が、ニヤリと笑った。
「非常事態だから、聞かなかったことにしてやる」
「…………じゃあ教えてあげよう」
カイルが涼しい顔でジゼルの方に向いた。
「1人だけ思い当たる奴がいる」
「それは?」
ジゼルが続きを促した。
カイルが勿体ぶったかのように、ゆっくりと口を開いた。
「それは…………」
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「で、紹介されたのが私?」
ジゼルの目の前には、玄関扉から顔だけをひょこっと出し、悪態をつくラフィナがいた。
「うん。それにしても、すごい偶然だね! まさか、ラフィナとカイルさんが親戚だなんて……」
ジゼルはカイルに紹介されて、ラフィナの住む家を訪ねていた。
……本当にすごい偶然。
タナエル王子のそばにいたカイルさんが、誰かに似ているなぁって思ってたら、クライヴさんのお兄さんだったんだよね。
ジゼルは、クライヴに比べて表情が乏しいカイルのことを思い返していた。
けれど彼も、クライヴと同じように親切で優しかった。
ラフィナは、まだ元猫だったジゼルのことがちょっと怖いのか、玄関扉にしがみついたまま喋る。
「合法的な魔物って……カイル酷くない? 私は魔物じゃないのに」
「じゃあ何なの?」
ジゼルが首をかしげる。
「魔物よりすごい存在? …………怪物?」
ラフィナも首をかしげた。
「「…………」」
2人して物言いたげに見つめ合う。
それから、ラフィナが宙を見上げて言った。
「んー……確かに私の近くにいれば、下位の魔物は寄って来ないかも」
地上に来る前のラフィナは天界に居た。
その時に、気晴らしに下界に遊びに行くこともあり、魔物の国に行ったこともあった。
彼女はふと、特に襲われる訳でもなく過ごせていたことを思い出す。
下位の魔物である獣の魔物は、ラフィナがセイレーンだと本能で感じ取り襲ってこない。
そんな魔物避けのようなラフィナの近くにいると、ジゼルも襲われる心配が減る。
「お願い! ディランを助けるのに力を貸してくれない?」
ジゼルは、思いの強さをぶつけるように頭を下げた。
「うーん……ディランには、普通に歌えるようになった恩を返したいけど……私、戦えないよ?」
「大丈夫、私が戦うから!」
ジゼルはぐっと顔を上げ、迷いのない瞳で強く言い切った。
「…………」
ラフィナは〝戦えるの?〟と思ったけれど、その言葉を胸にしまった。
どうしても愛する人を取り戻したいジゼルにとって、そうするしかないことも分かっていたからだ。
ラフィナが隠れていた扉から出てきて、ジゼルの前にちゃんと立つ。
「歌の種類によってはセイレーンの能力が残っているから、私も役に立つかも」
ラフィナが柔らかく笑った。
「!! ……ありがとう!」
「心配性のクライヴには内緒ね。ディランを助けに行くことは反対しないと思うけど、ついてきそうだから……」
ラフィナが彼を思って苦笑する。
そしてあることに気付いて質問した。
「どうやってディランの所に行くの? まさか私が飛んで連れてくとか考えてた?? 飛ぶのは下手くそだから無理だよ」
「そこはちゃんと策があるから大丈夫」
いい考えが浮かんでいるジゼルは、得意げにニコリと笑った。
彼女は同時に、ラフィナの背中から翼が生えた、あの時の光景を思い出す。
それでつい、ジゼルはラフィナにもらした。
「飛ぶと言えば、ココちゃんは私のこと平気なのになー」
「ココちゃんって?」
「フクロウ」
ジゼルの返答を聞いたラフィナが、次第に目を細めてジト目になる。
「……私は猛禽類じゃないのに」
「じゃあ何なの?」
ジゼルが首をかしげた。
「……小鳥?」
ラフィナも首をかしげる。
「ほら、小鳥のさえずりっていうから、美しい歌声とかけて…………」
言ってから自分でおかしくなって、ラフィナは耳まで赤くなった。




