14:2人暮らし
「ディラン起きてー。もうお昼時だよー」
柔らかいジゼルの声が聞こえたかと思うと、肩を揺さぶられる感覚がした。
それと共に僕の意識が浮上し、ゆっくりと重たい瞼を押し上げる。
目の前には、心配そうに僕を覗き込むジゼルがいた。
彼女はシンプルなシャツとスカートに着替えており、その上には僕がキッチンで使っているエプロンをつけていた。
白くて長い髪は、緩く編んでサイドに流されている。
「……おはよう。ふわぁ」
僕は体を起こしてアクビをした。
そして少しだけ涙が滲んだ目でジゼルを見る。
「服、着替えたんだ」
「うん。ディランのママのを借りちゃった。勝手にごめんね」
「いいよ。……服、買いに行こっか」
僕はベッドから立ち上がると、ジゼルの頭をひと撫でしてから部屋を出た。
寝起きでぼんやりしている僕は、猫のジゼルにしていたクセがついつい出てしまう。
「それは嬉しいけど、なんだか悪いな」
ジゼルが後ろからパタパタとついてきた。
2人して階段を降りて一階の廊下を歩く。
僕はチラリと後ろのジゼルの様子を見ると、顔を洗いに洗面所がある奥へと向かった。
二度寝する前は起きたら気恥ずかしいって思ってたけど、案外普通に話せてよかった。
僕は人知れず安堵しながらジゼルに返事をした。
「大丈夫。服が無いと不便でしょ? 他にも何か必要な物があったら言って。……あれ? 美味しそうな匂いがする」
「お昼ご飯を作ってみたんだ。何もせずにお世話になるのは悪いから……支度が出来たらダイニングに来てね」
ジゼルがニコニコ笑いながら、キッチンへと向かっていった。
洗面所についた僕は、タオルをとって蛇口をひねった。
屈んで手に水を貯めながら、ジゼルのさっきの言葉を思い出す。
誰かの手料理なんて久しぶりだ。
でも猫だったジゼルが、料理なんて出来るのかな?
僕はクスリと笑みを浮かべてから顔を洗った。
なんだかんだで、ジゼルの料理を楽しみにしているのに僕は気付いた。
着替えてからダイニングへ行くと、テーブルの上にちょうど良く料理が配膳された所だった。
そこにはパスタとサラダとスープが並んでおり、想像以上にきちんとした食事だった。
「家にあった食材で作ってみたから、たいしたものじゃないんだけど……」
ジゼルが照れながらも、カトラリーを並べてくれた。
「え、すごく美味しそうだし、これだけ料理出来るなんてビックリしてるんだけど」
僕は素直な感想を述べながら席についた。
「えへへ。そう言ってもらえると嬉しいな」
ジゼルが柔らかく笑うと、僕の向かいの席についた。
ーーーーーー
「……美味しい!」
パスタを口に運んだ僕は、驚いて目を見張った。
「良かったぁ!〝ジゼルさん〟の記憶から、レシピとか料理の仕方とかを学ばせてもらったんだけど、作るのは初めてだったから……」
ジゼルがキッチンの方に顔を向けた。
釣られて僕も視線を向けると、流しに調理器具が積まれていたり、作業台も少し荒れていたりで、苦戦したあとがあった。
頑張ってくれたんだなぁとジーンとしながらジゼルに視線を戻すと、彼女はフォークでパスタを巻き取るのに苦労していた。
なんとか無事に巻き取れると、それをパクッと食べてニコリと笑みを浮かべる。
そのあとに、ジゼルをじっと見ていた僕と目が合ったものだから、赤くなって照れてしまった。
「……パスタを食べるのも初めてだから……」
まごついている所を見られて恥ずかしかったらしい。
僕は「フフッ」とつい吹き出した。
そんな僕の様子に「むぅ」と不貞腐れるジゼル。
ますます笑いながら、僕は彼女に聞いた。
「〝ジゼルさん〟の記憶って、頭の中にある感じで、体が勝手に覚えてるとかじゃないんだ?」
「……そうなの。記憶を見て知ることは出来るけど、それが〝ジゼルさん〟みたいに上手く出来る訳じゃないんだ」
「じゃあやっぱり大元は猫のジゼルなんだね……気になってたんだけど、なんで若い姿の〝ジゼルさん〟なんだろ?」
僕はスープカップに口をつけた。
うん、これも優しい味で美味しい。
「ウィリアムと初めて出会った時の〝ジゼルさん〟のようだよ。ウィリアムにとって1番忘れられない思い出だったのかな……」
サラダにフォークを伸ばしていたジゼルが、暗い顔をして俯いた。
途端にしんみりした空気が流れる。
「……そうかもしれないね」
僕が静かに返事をすると、ジゼルがパッと顔を上げた。
「けど、おばあさんの姿とかじゃなくて良かったかも。ディランのお嫁さんになれないもんね!」
元気を出そうと明るく振る舞う彼女が、ニコリと笑う。
けれど、今度は赤面した僕が俯いた。
彼女からの強い思い『ディランのお嫁さんになりたい!』を意識してしまったからだ。
こんなに女の子から明け透けな好意を向けられるのは、初めてかもしれない。
思えばジゼルはずっと、猫なりに僕への好意を示してくれていた。
彼女はただ純粋に、気持ちを言葉と行動で伝えてくる。
僕は何だかむず痒くて、狼狽えた。
「あ、でもディランにとって私は猫なんだったよねー? 猫ならお嫁さんになれないなー」
僕からの返事が何も無くてむくれたのか、ジゼルが遠くを見ながら声を張った。
彼女からのアプローチに、僕はますます返事ができなくなった。
ーーーーーー
食事が終わった僕たちは、キッチンに並んで一緒に片付けをした。
僕が食器や調理器具を洗い、ジゼルが布巾で拭いて元の場所に戻していく。
「ねぇねぇディラン、これ、こっち?」
食器を片手にしたジゼルが、棚を開けながら聞いてきた。
「そうそう、そこの右側」
小鍋を洗い終えた僕が返事をする。
2人でする片付けは、とても早く終わったように感じた。
次に僕らは買い物に出かけた。
言っていたようにジゼルの服を買ってあげたり、足りない生活用品を買い足していった。
……さすがに下着類は、ジゼルにお金を渡して1人で買って来てもらった。
こんな時に〝ジゼルさん〟の記憶はありがたい。
あらかた買い出しも済んだ家への帰り道。
僕は両手に袋を持ち、ジゼルは片手に軽めの袋を持って並んで歩いていた。
「沢山買ってもらってありがとう。……ごめんね。私がお金持ってないから、支払いを全部お願いしちゃって」
ジゼルは〝ジゼルさん〟の記憶から、人間の常識も理解してしまったからか、ただの同居人になることに引け目を感じていた。
それを少しでも補うために、一生懸命僕の役に立とうとしてくれている。
蒼願の魔法は儲かるから、お金のことは気にしなくていいのに。
家も家族用に広いから、ジゼルが増えるぐらいどうってこと無いのになぁ。
けれどこのことを伝えても、ジゼルは納得しないし……
僕は恐縮しているジゼルに向かって、優しく語りかけた。
「店に1人で立ち始めた時、よく分かっていない僕はとても不安だったんだ。ちょうどその時から、猫のジゼルが遊びに来てくれて……」
「…………」
ジゼルは歩きながらも、じっと聞き入っていた。
「それからずっと、ジゼルはそばにいて見守ってくれたよね。僕が落ち込む時は必ず励ましてくれた。ジゼルがいたから沢山のことを乗り越えて来れた。だから……僕のお店は2人でやってきたみたいなものだと思ってる」
「…………」
「それで得たお金だから、ジゼルにも使う権利があるんだよ」
僕は立ち止まってジゼルに向き直った。
ジゼルも足を止めると、頬を赤く染めて潤んだ目を僕に向けた。
「ディラン……」
「今までありがとう。これからも僕を支えてくれる?」
僕は優しくほほ笑んで首を傾げた。
「うん!!」
ジゼルが勢いよく僕に飛びついてきた。
「うわっ」
僕はよろけながらも、どうにか彼女を受け止めた。
両手に持っていた荷物を地面に落としながら。
慌てる僕をよそに、ジゼルが僕の胸元にスリスリ顔をこすりつけた。
ーーグリグリするのは猫の愛情表現。
早速ジゼルからの素直な好意を浴びて〝こんな往来で!?〟と焦った僕は、すぐさま通りをキョロキョロと見渡す。
幸い近くには誰もおらず、ドキドキとうるさい心臓をひとまず落ちつかせた。
けれど前みたいに彼女に「やめて」と言う気は起きず、幸せそうに笑うジゼルの頭を、自然と撫でている僕がいた。




