137:黒猫
ポカポカ陽気のある日の昼下がり。
今日は珍しく、僕ひとりで陽だまりの中に身を置いていた。
中庭のベンチに座って、ぼんやりと景色を眺める。
ジゼルは外に用事があるらしい。
僕はというと、このところの疲れを癒やすために、家でゆっくりさせてもらっていた。
……原因は分かっている。
タナエル王子に共鳴魔法をかけた、あの晩の出来事だ。
…………
エグかったなぁ。
王子たちは慣れてるのかもしれないけど、魔物を惨殺するシーンをまざまざとあんなに見たのは初めてだ。
同じく非戦闘タイプのレシアは、勝ちが確定した途中から離れた場所に避難していたし。
僕も離れればよかった……
なんなら、どうにか先に僕だけでも目覚めて、タナエル王子の深層意識から帰ればよかった。
僕は当時を思い出して、がっくり肩を落とした。
心に大きな衝撃を受けた僕には、気持ちを整理する時間が必要なほどだった。
けれど、ただ何もせずに過ごしていると、こうしてあの時のことを思い返してしまう。
…………
気を逸らすように、アルテアの杖の在処を考えてみることにした。
「……杖って言っても、どのぐらいの大きさなんだろう?」
僕は腕組みをしながら呟いた。
ピクシーがアルテアを見せてくれてた時、杖を持っているなんて気付かなかった。
けれどいきなり特大級の魔法陣が展開されたから、事前に書いていたものじゃない。
「杖とは気付かずに、暖炉に焚べたご先祖様とかいそう……」
僕がめちゃくちゃあり得そうな可能性をブツブツ言っていると、不意に声をかけられた。
「こ、こんにちは……」
家の角から、ヒョコッと子供が顔を出した。
「あれ? キュロ?? どうしたの? あ、すみません。僕の方が年下なのに」
僕は慌てて姿勢を正した。
少し精霊に近く、僕らより長く生きているキュロ。
どうしてもその幼い見た目に、子供に対する喋り方になってしまう。
「いいよ。僕もそっちの方が慣れてるから」
キュロがニコッと無邪気に笑うと、中庭に入ってきた。
そして辺りを見渡して歓声を上げる。
「ふわぁ! ここはいい空気が流れてるねぇ!」
嬉しそうに目を細めて木々や草花を眺めると、深く息を吸い込んだ。
「僕の母さんが緑の魔術師なんだよ。長いこと手入れされてないけど、母さんが心を込めて育てた庭だからかな?」
僕も柔らかく笑いながら首をかしげた。
するとキュロが、ひょいっとジャンプするように僕の隣に座る。
「それもあるけど……ディランからも不思議と心地のよいオーラを感じるよ。きょうはそれを確かめに来たんだ。……うん、やっぱり何か感じる!」
キュロが目をキラキラさせて僕を見上げた。
「にゃーん」
不意に可愛らしい鳴き声がして、僕は足元に視線を落とした。
「あれ? いつの間に?」
そこには、1匹の黒猫が座っていた。
「あ、さっき見かけた猫さんだ。ぼくについて来ちゃったのかな?」
キュロがそう言うと、黒猫がピョンと僕の膝の上に飛び上がってきた。
そして器用に丸まり、ぺたんと伏せてすっかりくつろいでしまった。
「人懐っこい猫だね」
僕は優しく黒猫を撫でた。
猫は気持ちよさそうに「ゴロゴロ」と鳴く。
ほんわかした気持ちでそれを眺めてから、キュロとの話に戻った。
「キュロが僕に何か感じるのは……僕の中にあるリンネアル様の力を感じ取っているのかもね」
「リンネアル様!?」
キュロが目をまん丸にして続けた。
「もう亡くなったとされるリンネアル様が、生きているの!?」
「うん。魂だけで、蒼い月にある湖のそばにいるよ」
「…………」
絶句したキュロが、間を置いてからボソボソと言った。
「だから……その地に魂を縛りつけているから……生まれ変わらないんだ。魂が巡ってないんだ……」
「え? キュロ、それってーー」
その時、家の裏口のあたりから声がした。
「ただいまぁ。あ、キュロが来てる。いらっしゃい」
ジゼルが帰ってきたようで、家の中から裏口を開けて中庭に現れた彼女は、スタスタとこちらに向かって来た。
けれど僕らを見つめてピタリと止まると、何故かわなわな震え始める。
「お、おかえりジゼル……」
いつもと違う様子のジゼルに、僕は恐る恐る声をかけた。
キュロは怪しい雲行きに押し黙っている。
すると、ジゼルはきりっと眉を寄せて、ビシッと指をさしてきた。
僕の膝の上に向かって。
「ディラン! その馴れ馴れしい猫は何!?」
彼女の大声に驚いた黒猫が、ビクッと体を起こし耳をピンと立てた。
僕はぽかんとしながら返事をした。
「……た、たまたま遊びに来た猫だよ」
「怪しい。何が邪悪なものを感じるーー」
目の座ったジゼルが、黒猫に顔を近付ける。
その様子は、威嚇する猫そのものだった。
怯んだ黒猫が僕の膝からピョンと降りると、あろうことか開いていた窓から家の中へと逃げ込んでしまった。
「あ、待てー!!」
ジゼルも黒猫に負けない俊敏さで追いかけていく。
軽やかにジャンプすると、腰の高さほどの窓に手をかけ、そのまま体を滑り込ませた。
キュロがそんな1匹と1人が消えていった窓を眺めながら言った。
「ジゼルが元猫だってすごく実感したよ……猫同士のディランの取り合い?」
「……猫が落ち着くオーラでも、出てるのかもしれないね」
僕の冗談にキュロがクスリと笑った。
「フフッ。そうかもねー」
それからキュロと一緒に、中庭でのんびり過ごしていると、時たまジゼルの叫び声と黒猫の鳴き声が聞こえてきた。
ドタン、バタン、ガチャンという音がしたかと思えば、挙句の果てには猫とジゼルが屋根を駆け抜けていく……
僕とキュロは屋根を見つめながら、ポツリポツリと言葉を交わした。
「ねぇディラン…………あれも猫だったから?」
「うん。多分、そう……」
ジゼルは身体能力が凄く高い。
たまに人間離れした動きを見ることが出来る。
普段の本人は抑えているようだけれど、追いかけっこに夢中なジゼルは全力を出していた。
しばらくすると、頭に綿埃を乗せたジゼルが、息を切らしながら僕らの前に現れた。
「……逃げられちゃった」
ジゼルが眉をひそめてむくれている。
「まだ悪さはされてないし、ジゼルが追い払ってくれたからいいんじゃない?」
僕はどうにか彼女を宥めた。
本当にジゼルだけが感じる、何か怪しい黒猫だったのかもしれない。
猫に対するただの嫉妬かもしれないけど。
ジゼルがキュロとは反対側の僕の隣に、ぽすんと座った。
僕は苦笑を浮かべて、頭の綿埃をそっと取ってあげる。
するとキュロが前屈みになり、ジゼルの手元を覗き込んだ。
「ジゼルが持ってるその枝は? 何か特別なものを感じるよ」
「……これ? あぁ、さっきの黒猫を追いかけてたら、棚から落ちてきたの。私も不思議な感じがしたから、思わず持ってきたんだった」
ジゼルが手に持っていた、細い木の枝のようなものを掲げた。
僕は目を見開いてジゼルを見た。
「まさか、それって……」
彼女も〝あっ〟という顔をする。
そして2人で声を揃えた。
「「アルテアの杖!?」」
…………
こんなに小さくて細いなんて、アルテアを見た時に持ってたとしても、気付かないな。
僕はそこら辺に落ちてる木の枝にしか見えない杖を、呆然と見つめた。
こうして『家のどこかで杖が眠っていたりしないのか?』と言った王子の予想通り、僕の家から杖が出てきてしまった。




