135:蒼刻の魔術師ディランと紫の魔術師レシア
蒼い月がぽっかりと浮かぶ晩。
僕とジゼルは、タナエル王子の寝室に早めに来ていた。
レシアが来る前に、魔法陣を描いていたからだ。
タナエル王子のベッドの真横で膝をついた僕は、床にサラサラと文様を記していった。
フカフカの絨毯の上でペン先を滑らせると、毛並みが撫でたように一様に倒れ、淡い光が次第に黒く定着していく。
ミルシュ姫は王子の枕元に寄り添って立ち、静かに見守っていた。
その時、僕の隣でしゃがみ込んでいたジゼルが、ポツリとつぶやいた。
「私……ディランについて行かずに、こっちで待ってるね」
「あれ? どうしたの? ついて来てくれると思ったのに……」
僕は思わず顔を上げて、心細い気持ちを素直に伝えた。
ジゼルなら〝私もついて行く!〟って言ってくれると思ったのにな。
…………
僕の中で、いつも一緒にいるのが当たり前になっていた。
こんなにも支えられていたなんて。
ジゼルがどれほど大きな存在かを改めて感じて、僕は苦笑にも似た笑みを浮かべた。
対して彼女は、僕を恨ましげに見つめて言う。
「だって、もしどうしようもなくなったら、ディランはまだ自分の命をかける気でいるでしょ?」
「…………」
「そうならないように、こっちでちゃんと準備してるから……ディランだけでも助けるからねっ!」
「!?」
僕が唖然としていると、ジゼルがますます不機嫌になって続けた。
「無彩の魔法でも何でも使ってやるんだからっ!!」
「いい判断だと思うよ。ディランは変な所で頑固だから」
到着したレシアが、こちらへ歩み寄りながら会話に入ってきた。
ニコニコと笑う彼女が、さっき僕にわりと失礼なことを言った。
けれどなかったかのように、僕に目を向けて続ける。
「タナエル王子の意識の中は……どんな悪夢か分からない。それこそ命に関わるかも。だから気を引き締めましょう」
「うん。そうだね。……こっちの準備は出来たよ」
僕は魔法陣を一瞥してから立ち上がった。
「ミルシュ姫、お願いします」
「分かったわ」
出来たばかりの魔法陣の上に、ミルシュ姫に立ってもらった。
今回の蒼願の魔法は、彼女の『タナエル王子を助けに行きたい』という強い思いをベースにさせてもらう。
そこに僕らの思いも乗せて。
ミルシュ姫が眠るタナエル王子に目を向けた。
「エル……待っててね」
キュッと口を引き結んで覚悟を決めた彼女が、魔法陣の上に背筋を伸ばして凛と立つ。
レシアがすっと歩み寄り、ミルシュ姫の隣に並び立った。
共鳴魔法の発動時と同じ状況を再現するために、さっそくタナエル王子に睡眠魔法がかけられる。
王子を中心とした床に、紫色に輝く魔法陣が広がった。
それを見届けてから、僕はゆっくりと目を閉じた。
静かに深呼吸をし、蒼願の魔法の呪文を紡ぐ。
ーーレイウェル王子の卑怯な罠に嵌り、目覚めなくなってしまった王太子様。
王位継承が認められそうだと、あんなに喜んでいたところなのに。
あ、だから余計に命が狙われた?
…………
僕は詠唱の合間に薄っすら目を開けた。
ミルシュ姫の足元の魔法陣が蒼く光り、さらにその外側に元始の魔法陣が浮かび上がった。
ますます部屋が、深い蒼色で満ちていく。
僕はタナエル王子の横顔をチラリと見てから、また目を閉じた。
呪文の続きに集中する。
目覚めなくなってから数日経つのに、彼の持つ高貴なオーラは何も変わっていない。
死に向かっているはずなのに、その眠る姿は生気すら帯びていた。
…………
あれ?
落ち着いて考えてみれば、ちょっとそこおかしくない?
僕の頭の中にレシアの言葉が浮かんだ。
『ディラン、呼ばれてるよ』
…………まさか…………
僕が顔を引きつらせた時だった。
グンッと凄まじい圧が体にかかる。
「!!」
僕は両足を踏ん張って、床に崩れそうになる体を持ち堪えた。
心臓がドクドクと波打ち始めたのを、嫌なほど感じる。
「くっ…………」
これは……1度目の共鳴魔法より、かなり、きつい。
ギュッと閉じている瞼の裏で、群青色の強い光を感じた。
かろうじて立っている僕の足元に、魔法陣が展開されたのだ。
僕は苦しさを跳ね返すように、声を張り上げて最後の一節を詠唱した。
その直後、床に敷き詰められた蒼、紫、群青の魔法陣たちが、互いに強く光り合い、まるで呼応しあうかのように輝き始めた。
光に意識が溶けていく中、少し離れた場所にいるジゼルに声をかけた。
「行ってくるね」
すると、柔らかい彼女の声が返ってきた。
「気をつけてね、ディラン」
胸の奥がふっと温かなり、僕は人知れず笑みを浮かべた。
ーーーーーー
場所が変わったことを肌で感じ、目をそっと開けてみると、僕はずいぶん薄暗い場所に立っていた。
頭上には、雨が降り出す直前のような灰色の空が広がっている。
地面も灰色の土で覆われており、どこまでも続く不毛の大地があった。
ここは……
見渡す限りの灰色の濃淡の世界。
僕の目の前に立つミルシュ姫も、視線を素早く巡らせて周囲を探っていた。
少し遠くの小高い丘には、レシアの姿が見える。
彼女はゆっくりと右手を上げて、見つめている先を指差した。
「タナエル王子がいるよ」
「えっ!?」
驚いたミルシュ姫が、弾かれたようにレシアの元へと駆け出した。
僕もそれに続いて丘の上に登る。
視線を巡らせると、確かにその姿があった。
「本当だ……」
息を呑むように言葉がこぼれた。
僕の目線の先には、しっかり目を開いて遠くを見つめるタナエル王子がいた。




