132:僕に出来ること
朝日が顔を出し、空が美しい朝焼けに染まり始めたころ。
僕とジゼルはぐっすりと眠っていた。
朝は遅めに起きる僕らにとっては、まだまだ寝ている時間だったからだ。
カン! カン! カン!
ーーにも関わらず、お店のドアノッカーを力強く叩く音がする。
「…………タナエル王子? こんな朝早くに何だろう?」
むくっと起き上がった僕は、ひとつあくびをしてから窓の外を眺めた。
黄金色の光の眩しさに思わず目を閉じると、また夢の世界へと引き戻されそうになる。
けれど絶え間なく続くノッカーの音に、またハッと意識を戻した。
ベッドから降りようとシーツからそっと抜け出すと、隣で丸まっているジゼルがモゾモゾと動く。
僕は〝まだ寝てていいよ〟という思いを込めて彼女の頭をひとなですると、静かに部屋を出た。
「はーい」
パジャマ姿だったけど、取り敢えず中に入ってもらおうと扉に向かった。
さっきから、ドアノッカーがぶつかる金属音が鳴り止まない。
何だか今日はやけに急かされているなぁ、と思いながら、扉を開けた。
「あれ? セドリック1人なの? 珍しいねー」
瞼を重たげにしながら、僕は呑気にそう言った。
緊迫した声でセドリックが返す。
「すぐに城に来てくれないか!? タナエル王子が大変なんだ!」
「!?」
僕は一気に目が覚めた。
ーーーーーー
あのあと急いでジゼルを起こし、僕たちはすぐに支度を済ませて城へと出発した。
到着すると、普段は入れない王太子夫婦の寝室へ、緊急事態だからと通された。
恐れをなすほど煌びやかな空間に入った僕は、気後れして立ち尽くした。
けれど落ち着いて中を見ると、広々とした部屋の中央には、これまた広い重厚なベッドが陣取っている。
そしてその上では……人形のような精巧な顔立ちの男性が眠っていた。
窓から降り注ぐ太陽の光を浴びて、負けじとその金色の髪が輝きーー
長い睫毛が整然と並んだ瞼がしっかり閉じられた様子が、より作り物感を増長していた。
息をしているのかと心配になるほど、動かずに横たわっているは……
タナエル王子だった。
傍には、浮かない表情のミルシュ姫が椅子に座っている。
彼女は自分の膝の上で折り重ねた手を、ただ見つめていた。
「タナエル王子……」
僕は呆然としたまま、ふらつく足取りで眠っている彼に近付く。
ジゼルもそっと、僕のあとからついてきた。
そして何度もセドリックから聞かされた言葉を、今度はミルシュ姫にも確かめてしまう。
「……本当に、目覚めないんですか?」
掠れた僕の声に、ミルシュ姫がポツリと告げる。
「もう3日目になるの……エルが倒れてから」
隣にいたジゼルが息を呑んだ。
「そんなっ……」
「…………っ」
衝撃で言葉をなくした僕は、王子の枕元へ立った。
どんなに彼を眺めても、目覚めないのは変わらない。
分かっているはずなのに、僕はそれをやめることが出来なかった。
タナエル王子は、第3王子レイウェルの策略に嵌り……意識が戻らなくなっていた。
不可思議な魔法がかかった食べ物を口にしてしまい、その途端に倒れたらしい。
それから彼は、こんこんと眠り続けている。
「……このまま意識が戻らなければ、タナエル王子は……」
僕は誰に向かってでもなく呟いた。
すると部屋の隅で声が上がった。
「うぅぅ……ぅわーん!!!!」
見ると、空を仰いでわんわん泣いている男の子が立っていた。
「大丈夫?」
ジゼルがそっと近付くと、しゃがみ込んで男の子の背中に手を当てた。
僕もそばに行き、エグエグとしゃっくり上げる彼を落ち着くまで見守った。
不思議と初対面な感じがしない男の子に〝どこで会ったっけ?〟と探りながら話しかける。
「君は……?」
「ひっくひっく……ぼくっは、キュロ。緑の魔術師……です」
「緑の魔術師?」
「は、い……グスッ。ぼくは……タナエル王子の、解毒魔法をかける……係です」
キュロは小さな拳で目元をごしごしと拭った。
僕は思わず叫んだ。
「解毒のスペシャリスト!? だから見たことあったんだ……」
キュロが顔を上げ、うるうるしながらこくりと頷く。
彼はタナエル王子の行く先々に極力ついてきては、邪魔にならない距離で待機していた。
僕はそのたびに、彼を視界の端に捉えていたのだ。
膝の上の手を見つめたまま、ミルシュ姫がぽつりとつぶやいた。
「キュロは少し精霊に近い種族らしいの。子供のように見えても、私たちより年上よ。エルとは、幼いころからの付き合いだったと聞いているわ」
「ひっく……タナエル王子には、棲家の森が焼かれて彷徨っているところをっ、拾っていただきました。なのに……今回の毒は、ぼくにはどうしようもなく……ぅぅ」
キュロが悔しそうに唇を噛むと、また涙を流し始めた。
そんな彼の様子に、ジゼルがオロオロしながらも話しかける。
「毒なの? タナエル王子は毒を飲んだの??」
するとキュロが眉を思い切り下げながら、涙でぐちゃぐちゃな顔をジゼルに向けた。
「はい。……毒のように致死性のある、悪い物を摂取しました……」
そこにミルシュ姫のセリフも続く。
「あろうことか、ムカレの国からの贈り物のお菓子に混入されていたわ」
静かに前を見据える姫の表情には、怒りが滲んでいた。
僕も相手の卑劣な手に思わず眉をひそめる。
ジゼルが不安そうに、キュロに尋ねた。
「何で今回の毒は、キュロの解毒魔法が効かないの?」
「…………ほとんどの毒は植物性由来なんだ。だからっ、普通の毒なら、ぼくが解毒できる……けど今回は、魔物の魔力を帯びた毒だから……」
「魔物の魔力!? レイウェル王子は魔物と手を組んでるってこと!?」
驚いたジゼルが目を丸めて叫んだ。
すると、彼女にゆっくりと視線を向けたミルシュ姫が答えた。
「……お菓子にその毒を含ませた者を探し出し、レイウェル王子の仕業だとハッキリ掴んだわ。魔物と通じていることも。だから半殺しにして……そんなに仲が良いならと、魔物の国に王子の配下もろとも送ってあげたの」
見た目は無表情で冷静な姫が、怒りにかられて物騒なことを言い始めた。
最愛の人をこんな状態にされたのだから、無理もない……のか……な?
僕が恐ろしさで神妙な顔をしていると、心配していると勘違いしたミルシュ姫が、ニッコリと笑った。
「安心して。王妃様……タナエル王子のお母様に許可は取ったわ。レイウェル王子を叩きのめす前にね」
「…………そう……ですか」
僕は言葉を絞り出した。
彼女の言いようから、直々に痛めつけたのはミルシュ姫だ。
……強い。
しかもタナエル王子と考え方が一緒だ。
やられたら付け入る隙を与えないほど、完膚なきまでに叩きのめす……
僕が静かに引いているうちに、笑っていたミルシュ姫が次第に暗い表情になり、眠るタナエル王子を見つめた。
「でも……エルを起こす術がないの。無理を承知でお願いしたいのだけどーー」
そう言って、また僕を見た。
赤い瞳に涙を滲ませて。
「蒼願の魔法で……助けてくれませんか?」
姫の瞳からポロリと涙が一雫流れた。
そして王族の一員である、誇り高きミルシュ姫が頭を下げた。
「どうか……お願いします」
「ミルシュ姫……」
僕はすぐに〝はい〟と返事が出来なかった。




