131:未属性の魔術師クライヴとセイレーンのラフィナ
「そうなんだけど……」
クライヴがそう言うと、ラフィナと顔を見合わせた。
2人が視線で何かを語り合ったあと、彼が僕を見て続ける。
「ラフィナが踏ん切りつかなくって……けど、僕は早くした方がいいと思うんだ」
それを聞いたラフィナが、目に見えてしゅんとした。
萎れてしまったような彼女が心配になり、僕は声をかける。
「ラフィナさんは、どうしたいの?」
するとゆっくり顔を上げた彼女が、真っ直ぐ僕に向かって告げた。
「私も、普通に歌えるようになりたい」
すかさずクライヴが答える。
「じゃあーー」
「でもそれは……私が普通になってしまうと言うことだから……」
真剣に語るラフィナが、クライヴの方を向いて続ける。
「私たちの楽しみが一つ減ってしまうけど……いいの?」
「しょうがないよね。それよりもラフィナが歌えることの方が大事だから……」
「でも何でそれを急ぐの? まさかっ、最近控えてると思ったら……私のに飽きたんでしょ!? 普通の人間に戻して放り出す気? そんなの雇用条件……最初にした約束と違う!!」
「そんなこと無い! 飽きたとかは絶対に無い! 何度も言うけど、君のは極上で他のどんなものにも変え難いからーーーー」
2人が言い合いを始めた。
何だか非常に濃密な会話を始めた2人に、僕はついていきたくなかった。
立ち上がると、ジゼルを連れて一旦生活スペースに避難した。
彼女の耳を僕の両手で塞ぎながら。
「……ディラン?」
「これ以上、変な知識をジゼルに入れたくない……せっかく今は真っ直ぐなんだから」
僕はブツブツ呟くと、ジゼルを先導させて歩いた。
「……?」
耳を塞がれているジゼルは、僕の文句もよく聞こえずに不思議そうにしていた。
ただ弱い耳を触られているものだから、この状況から逃れたくて足早に歩く。
「こうやって相談を受けて行くうちに……また普通が分からなくなったら困る……」
ジゼルには声も顔も届かないのをいいことに、僕は露骨に顔をしかめて、ぶつぶつと文句をこぼし続けた。
僕らがキッチンで作業をしていると、扉をノックする音が聞こえた。
しっかり閉めていた、お店へと繋がる扉からだ。
僕はクライヴだろうと思って、返事をする。
「終わったー?」
するとガチャリと扉が開けられて、やっぱり彼が顔を覗かせた。
「うん。ごめん。無事にまとまったから」
「ちょうどこっちも紅茶の準備が出来たよ。クライヴが淹れてくれるものと、美味しさでは負けると思うけど……」
僕とジゼルは、茶器のセットとクッキーをトレイに乗せた所だった。
「ありがとう。せっかくあっちに空のお皿を用意してくれてたのに、振る舞うのを忘れててごめん」
クライヴがチラリと談話スペースに目を向けた。
「いいよ。ラフィナさんが怯えてたから、それどころじゃなかったし」
僕とジゼルはクライヴと一緒に、その談話スペースに戻った。
そこには1人かしこまって座るラフィナが居た。
真っ赤な顔で、自分の膝をただ見つめている。
僕とジゼルは、ラフィナの様子にきょとんと目を見合わせてから、持ってきた紅茶とクッキーをテーブルに並べた。
「……っあ、ありがとう」
上の空のラフィナが、反射的に紅茶に手を伸ばす。
それを見たジゼルがそっと声をかけた。
「お口に合えば良いんだけど」
「…………っ」
ラフィナはビクリと肩を跳ねさせ、手を引っ込めた。
けれどほほ笑んでいるジゼルを見ると、ニヘラッと笑い返す。
紅茶を配り終えた僕とジゼルが席についても、ラフィナはニヨニヨし続けていた。
何かよっぽど嬉しいことを、クライヴから言われたみたいだ。
彼女の周りに、さっきまで飛んでなかったお花が見える……気がする。
ジゼルは、自分に慣れてきたラフィナに嬉しそうに話しかけた。
「悩んでたことがスッキリしたみたいだね」
ラフィナが両手をパンッと合わせて顔を綻ばせた。
「そうなの。最近クライヴが大人しいなぁって思ってたら、将来の子供のことまで考えてたみたいで……」
熱でのぼせ上がったかのように、フワフワしたラフィナが語り続ける。
「妊娠した時に私が倒れてしまわないように、控えていたらしいの。フフッ。あんなに好きなのにねー。私のーーっもごもご!」
クライヴが素早くラフィナの口を塞いだ。
そして僕をキッと見る。
「さっそく蒼願の魔法をかけて貰えるかな!? 思いの強さは十分なんだよな!?」
「うん! バッチリだよ! じゃあまずは契約書の話だね!!」
僕たちは声を張り合って喋った。
ーーーーーー
ラフィナはソファの上で、ももに両手をついて前屈みになっていた。
目の前に浮かぶ黄金の文字を、上から下へと熱心に眺めていく。
「へぇーこれが契約魔法かぁ。初めて見た」
好奇心旺盛な彼女が、その文字の一つに触れようと手を伸ばした。
けれど魔法で出来たそれは、指をすり抜けて瞬くだけだった。
隣のクライヴも、興味深そうに身を乗り出して眺めている。
僕は、がっかりしたように手を下ろしたラフィナに言った。
「魔術師なら誰でも出来る魔法だよ。仕事で魔法を使う時に、トラブルを防ぐために作られたらしいよ」
ラフィナとクライヴが揃って「ふーん」と答える。
彼らの様子を微笑ましく見ながらも、ずっと考え込んでいるクライヴにひやひやしていた。
彼ももちろん、やり方を聞いてしまえば扱えるはずだ。
……悪用しようと、考えてなければいいけど。
僕は苦笑を浮かべて、魔法で出来たペンを出現させた。
「じゃあこちらの内容でよかったら、サインをお願いします」
いつものクセで少し丁寧に喋りながら、ラフィナにペンを差し出す。
彼女はそれを受け取ると、空中のサイン欄にサラサラと名前を書いた。
その黄金に輝く文字は、いくら僕からは反転して見えると言っても、しっかり読めてしまった。
……わぁ。
僕でも知ってる、一流貴族の苗字だ。
籍を入れたって言ったから、クライヴの家名かぁ。
ーー見なかったことにしよう。
「これでいいのかな?」
書き終えたラフィナが、魔法のペンを僕に差し出した。
「ありがとう」
僕はペンを受け取ると、それと一緒に契約書も消した。
宙に浮かぶ文字が、じわりと溶けるように消えていった。
それから支払いについてもやり取りをし、あとはいよいよ蒼願の魔法をかけるだけとなった。
「こちらの魔法陣の上に立って下さい」
ラフィナが僕に誘導された通り、床に描かれた魔法陣の上に立った。
蒼い月明りを浴びて、彼女は嬉しそうにニコニコと笑っている。
「クライヴは魔法陣の外側で、ラフィナさんの前に立ってくれる?」
「分かった」
クライヴも穏やかに笑いながら、ラフィナの向かいに立つ。
彼らは見つめ合い、本当に幸せそうに笑い合っていた。
こんなに蒼願の魔法を……強い思いを信じ合っている2人は初めてだった。
そこには一切の恐れや迷いはない。
ただひたすらに、お互いへの優しい愛情で満ちていた。
僕もこんなに喜ばしい気持ちで、魔法をかけるのは初めてだ。
2人に釣られて僕もニッコリと表情を緩める。
「……じゃあ、魔法をかけるね」
僕の呼びかけに、笑顔の2人が揃って大きく頷いた。




