130:未属性の魔術師クライヴとセイレーンのラフィナ
夜の帳が下りるころ、僕は小洒落た料理店の前に来ていた。
先にクライヴとラフィナが到着していた所に、ついさっき僕も合流した。
ここはラフィナが今夜歌う店で、立て看板にはその告知がされている。
「えーっと、ラフィナさん?」
僕は目の前の、穏やかな空気をまとう女性に笑顔で話しかけた。
「……はい」
まだ事情が半分ほどしか飲み込めてないラフィナが、恐る恐るといった感じで返事をする。
サプライズでここに連れてこられた彼女は、サンゴのようなピンク色のイヴニングドレスに身を包み、煌びやかに着飾っていた。
その隣で〝綺麗な奥さんだろ?〟とでも言うように、クライヴが誇らしげに笑っている。
僕はそれを横目で見て苦笑しながら、ラフィナに説明した。
「事情はクライヴから聞いてるよ。今日は僕がお店の人たちに防御魔法をかけるから、思う存分歌ってね」
「…………」
これから何をしようとしているのかハッキリ理解したラフィナが、泣き出しそうな顔をした。
ーーーーーー
何とか泣くのを我慢したラフィナをクライヴが優しくエスコートし、お店の中の小さなステージに立たせた。
店内には食事と音楽を楽しむための客席が整然と並び、そのすべてがお客で埋め尽くされていた。
僕とクライヴは厨房前のカウンター席に座った。
振り返ると、ステージに立つラフィナの姿がよく見える。
はにかみながらも彼女が簡単に挨拶すると、これから始まる歌を歓迎する拍手が送られた。
僕は手のひらを客席に向け、防御魔法の呪文を唱えた。
手がほわりと光ったかと思うと、それが光の粒になってサラサラと流れていき、店内にいる一人一人にくっついた。
するとその人を膜で包むような、透明な防御壁が展開される……
誰も気付かないようにそっと。
そうして防御魔法が無事に行き渡るころ、ラフィナの歌が始まった。
…………上手くいってよかった。
大きなため息と共に、体の強張りを解いていく。
大事な役目が終わった僕は、安心してラフィナの歌を聴き入った。
初めは緊張していた彼女だったけれど、自然と笑みがあふれ、楽しそうに歌い上げている。
ふと隣のクライヴを見ると、彼はラフィナ以上に幸せそうな笑顔を浮かべていた。
相手を想い合う2人に、僕も和やかな気分に浸る。
すると脳内のジゼルが騒ぎ立てた。
『私も素敵な歌声聴きたかったー!』
頬を膨らませて怒っているジゼルの様子が、ありありと思い浮かんだ。
今日は防御魔法の万が一の失敗が怖くて、ジゼルを連れて来れなかった。
今ごろ家でむくれているだろう。
……けれど、すぐに会うことになるんじゃないかな?
ラフィナたちが店に来た時にーー
このステージのあとに、クライヴは蒼願の魔法のことをラフィナに相談するつもりだ。
彼女のあの様子だと、魔法をかけることを願う気がする。
僕はそんなことを思いながら、満面の笑みを浮かべる歌姫を優しく見つめた。
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数日経った蒼い月夜の晩。
僕のお店にはお客様が来ていた。
いつもは1人で来るからカウンターで対応していたけれど、今日は2人だから談話スペースのソファに案内する。
僕の目の前にはクライヴと……
彼の腕に必死にしがみつく、背中を向けたラフィナがいた。
ラフィナは肘掛けを乗り越える勢いで身を乗り出し、クライヴにぴったりとくっついていた。
さらに彼と背もたれの隙間に潜り込みたいのか、すっぽりとそこに顔をうずめている。
僕とジゼル、そしてクライヴは、ラフィナを唖然と見つめるしかなかった。
「……どうした?」
クライヴが縮こまるラフィナに優しく聞いた。
その声に彼女がガバッと顔を上げる。
「その人、猫だよね? 私の鳥の本能が警告するの……食べられるって!!」
そうクライヴに向かって叫ぶと「ひーん」とまた顔を伏せた。
「「「…………」」」
ラフィナ以外の3人が絶句したあと、クライヴがゆっくりと僕を見た。
その視線が無言で〝猫なの?〟と聞いている。
「え、あ、うん。ジゼルは猫だったよ」
僕の返事にジゼルも続く。
「けど今はもう人間だから、大丈夫だよっ」
「え? 本当に猫だったの? もしかして蒼願の魔法で?」
「わー! やっぱり猫だ! どうしようクライヴ? 人間だと分かってても危険を感じちゃう!!」
その時、ラフィナの背中の服がモコモコッと膨らんだ。
襟ぐりから茶色の羽先がのぞいたかと思うと、真上に無理矢理飛び出し、対の羽が左右に大きく開いた。
「うぅ、ちょっと苦しい……」
立派な翼を生やしたラフィナがうめく。
胸元がゆったり開いたブラウスが、後ろ側へと引っ張られて首元が詰まっていた。
「ラフィナ。こんな所でセイレーン化しないでよ」
「だって……飛んで逃げたいんだもん」
もうクライヴに乗り上げてしまっているラフィナを、彼は仕方なく抱き上げて落ち着かせようとする。
セイレーンを初めて見たジゼルが、思わず弾んだ声を出した。
「わぁすごい! 本当にセイレーンなんだ。翼まで生えてる!」
「ギャー!?」
少し身を乗り出したジゼルに、激しく驚いたラフィナが羽ばたき始めた。
「「「わー!!」」」
バッサバッサと羽が当たるものだから、周りの人も思わず叫ぶ。
「ラフィナ! 落ち着いて! 上手く飛べないんだから怪我するぞ!!」
クライヴがラフィナを、押さえ込むように抱きしめて続ける。
「大丈夫だから。ここに本物の猫はいないから。仮にいたとしても、ラフィナの方が大きいから食べられないだろ?」
そしてヨシヨシと頭を撫でた。
何だかその姿は……
興奮した犬を落ち着かせている、飼い主のようだった。
「たしかにそうだけど……」
「…………まずは羽をしまおっか?」
クライヴが宥め続けると、ピンとしていたラフィナの羽から力が抜けて、折り畳まれた。
そしてスッと消えていく。
少し落ち着いたラフィナに、クライヴが優しく言い聞かせていた。
こくりと小さく頷いたラフィナが、振り返ってじっとジゼルを見つめる。
涙の浮かぶ瞳で。
「…………」
しばらくその視線に耐えていたジゼルが、僕の方に顔を向けた。
すごく困った顔をしている。
僕もどうしていいか分からずに、困った表情を返した。
そんな僕らにラフィナが声をかけた。
「……ごめんなさい。取り乱して」
彼女は素直に謝ると、クライヴからゆっくり離れて元の席に戻った。
プルプル震えながら。
クライヴがふうっと息をつく。
「いやー、ビックリしたよ。ラフィナがセイレーン化したの初めてみた」
「え? それにしては随分落ち着いてたね」
僕は驚いて彼を見つめた。
「まぁ……ね」
クライヴが遠くに視線を向けて、小さく笑う。
……すっごい場慣れしてる感がある!
不測の事態に慣れてる!?
やっぱりこの2人はどこか変わってるなと動揺しながらも、僕は話を切り出した。
「それで、今日は蒼願の魔法をかけにきたの?」
それぞれ別の方を見ていたクライヴとラフィナが、そろって僕をじっと見た。




