128:歌を届けるために
太陽が沈み始めた夕暮れどき。
反対側の空では、薄っすらと蒼く光る月が顔を出していた。
お店を開く日だと分かった僕とジゼルは、いつもより早めの夕食をいただく。
それから店に移動し、開店の準備に勤しんでいた。
キィィィィ。
すると早速、店先の扉が開く音がする。
「久しぶり!」
扉が完全に開かない内に、クライヴが身を滑らせるように中に入ってきた。
カウンター内に立っている僕とジゼルは、揃って彼に振り向く。
「いらっしゃい。元気そうだね」
「いらっしゃいませ」
「あ、その子が病気で寝込んでたって子? 元気になったようで良かったね」
クライヴがスタスタとカウンターまで歩いてきて、僕の向かいの席に座った。
隣のイスには、持っていたカバンをどさりと置く。
僕はそれを見届けてから、彼に笑いかけた。
「あの時は本当にありがとう。クライヴも前に比べたら元気そうだね」
僕らが談笑を始めると、ジゼルが紅茶を準備するために生活スペースへと下がろうとした。
そんな彼女の腕を捕まえて、耳元で伝える。
「空のお皿とカップを3人分持ってきて」
「ひゃあ!」
ジゼルが両耳を押さえてすぐさま身を縮めた。
こすばかったのか、そのまま僕にちょっとむくれた表情を向ける。
「あ、ごめん」
僕は無意識に耳打ちしてしまったことを、素直に謝った。
「ぅぅ……ビックリした。それで、空のお皿とカップ? でいいの?」
気を取り直したジゼルが、耳からそっと手を離しながら聞いてきた。
「うん。あとはカトラリーかな」
「??」
ジゼルは不思議そうにしながらも、僕の笑顔を信じて準備をしにいった。
隣の部屋に消えていく彼女を、ぼんやりと見送りながらクライヴが喋る。
「店の手伝いまでしてくれてるんだ。良い彼女だな」
「……実は教会で登録したんだ」
「!! そっか。僕も籍を入れたんだ」
驚いて彼は振り向くと、優しく笑って何気なく報告してくれた。
けれど、その発言で僕は気付いてしまう。
そして思わずと言ったように、ぽつりとこぼした。
「……薄々感じてたけど、クライヴって貴族だったんだ」
「ーーーーっ!」
彼は〝あっ〟と目を見張った。
結婚することを『籍を入れる』と表現するのは貴族の証だ。
一般市民はそう言わない。
教会で登録するのが普通で、籍を入れる作業はないからだ。
「……まぁ、そんな所」
気まずそうにクライヴが目を逸らす。
その様子に、あまり触れて欲しくなさそうだと感じた。
僕も深掘りしたいわけじゃない。
やばい仕事に片足突っ込んでいる貴族なんて……詳しく知るべきじゃないと思う。
僕は心の中で大いに頷き、話題を変えた。
「それで、今日はどうしたの?」
ちょうどその時、トレイを持ったジゼルが戻ってきた。
彼女が「これでいいのかな?」と言いながら、カウンターにお皿やカップを並べてくれる。
クライヴはニコリとほほ笑むと、並べ終わったジゼルに席につくように勧めた。
「ありがとう、僕はクライヴ。リックの昔からの友人だから気軽にして。えぇっと……?」
僕の隣の椅子に座ったジゼルも、ニコッと笑い返しながら答えた。
「ジゼルです。私が倒れている時に、お見舞いで美味しいリンゴをくれた人?」
そこに僕も参加する。
「うん、そうだよ。ジゼルはあれから、リンゴがすっかりお気に入りなんだよね?」
クライヴが嬉しそうに目を細めた。
「それは良かった。じゃあ今から出すのも気に入って貰えるかな?」
彼が手をサラリと振ると、呪文がふっと空気にとける。
次の瞬間、目の前のお皿には、切り分けられたタルトタタンが現れた。
「紅茶はフルーツに合うように、渋みが少ない物にしたよ」
クライブに言われてカップに目を向けると、明るい赤茶色の紅茶が注がれていた。
「わぁ! すごい!! 魔法でお菓子や紅茶が出せるんだ!!」
初めて彼の魔法を目の当たりにしたジゼルが、歓声を上げた。
クライヴは、ニコニコとその様子を眺めている。
美味しいものを振る舞うのが大好きな彼は、ジゼルの反応に満足そうだ。
「どうぞ召し上がれ」
「ありがとう。いただきます」
大はしゃぎのジゼルが、飛びつくようにタルトタタンにフォークを伸ばした。
僕もその様子を横目で見ながら、紅茶をゆっくり味わう。
……良かった。
ジゼルが魔法の仕組みを聞かなくて。
クライヴの長い説明が始まらないことに安堵していると、彼が僕に話しかけてきた。
「それで、今日ここに来たのは、またリックに防御魔法をかけて欲しいんだ」
「……またって、新婚なのに奥さんとケンカでもしたの?」
僕が冗談っぽく聞くと、クライヴは苦笑を浮かべた。
「実はその奥さん……彼女はラフィナって言うんだけど、セイレーンの血が入っているんだ」
「セイレーンってあの??」
驚いて目を見開く僕の隣で、ジゼルもフォークごと頬張ったまま動きを止めた。
セイレーン。
美しい歌声で船乗り達を惑わせる、海の怪物。
言い伝えの中だけの存在。
ーーけど、本当にいたんだ。
「そうなんだ。ラフィナの歌声を聞くと、魔法が勝手にかかって惑わされてしまう。けれど彼女は歌うことが好きなんだ」
クライヴが眉を下げて弱々しく笑った。
その泣き出しそうな表情を見て、心を痛めているのが手に取るように分かった。
クライヴは小さく息をついて続ける。
「この前ラフィナとディナーを楽しんだお店で、セイレーンとは知らないオーナーから、今度店で歌わないかって誘われたんだ。けど……彼女は悲しそうに断っていた」
「それで、防御魔法を?」
「あぁ。ラフィナを歌わせてあげたいんだ」
僕を真っ直ぐ見つめたクライヴが、深々と頭を下げた。
「だから、店に来るお客たちに防御魔法をかけて欲しい。出来れば気付かれないように」
「うーん、難しそうだけど……分かった。やってみるよ」
僕の返事を聞くや否や、クライヴがバッと顔を上げた。
「ありがとう!」
そして何とも嬉しそうに破顔した。
僕も釣られて笑みをこぼす。
……思ってたより純粋なお願いで良かった。
もっとヤバい依頼が来るのかと思った。
人知れずホッとしていると「私も手伝うよ」とジゼルが可愛らしく声を上げた。
「…………」
僕は思わず無言で彼女を見つめる。
クライヴの素性がハッキリせず、その点についてはまだ安心しきれてない僕は、ジゼルを関わらせても大丈夫かどうか考えていた。
「……?」
ジゼルが不思議そうに首を傾げる。
そこにクライヴが割り込んだ。
「で、今日は反射魔法をかけて欲しいんだけど」
「え? 魔法を跳ね返すやつ? 何で??」
僕がすぐさまクライヴを見ると、彼は不敵に笑っていた。
「ラフィナの歌声の魔法が、防御魔法で防げることは分かったから……次は反射魔法が効くか内緒で試したいんだ」
「それって…………」
僕は徐々に瞼を下げ、怪訝そうにクライブを見た。
セイレーンの歌声を聞くと、魅惑魔法がかかると言われている。
それを反射するってことは、ラフィナにかかると言うことで……
しかも本人には内緒って……
「…………まぁね。いろいろあるんだよ」
クライヴがチラリとジゼルを見てからフッと笑った。
まるで〝これ以上詳しく聞くのは野暮だよ〟とでも言うように。
幸い、彼女はタルトタタンの最後の一口に夢中で、僕らの話は聞いていなかった。
「…………」
僕はクライヴにジト目を向けたまま、押し黙った。




