122:ダレンの思い
牢獄をあとにした僕とジゼルは、家へ帰る途中の川沿いの道を、ゆっくり歩いていた。
人通りのまばらなここは、読み取る思いの量に酔ってしまう僕が、まだ普通に歩ける場所だった。
だから1人で歩けるのだけど……僕らは手を繋いだまま肩を並べて歩いていた。
暖かい日差しを受けて、川の水面がキラキラと輝く。
心地の良い水の流れる音と、遠くの喧騒が微かに聞こえていた。
「ジゼル……ごめん」
僕がおもむろに話しかけると、彼女が小首をかしげながらこちらを見た。
そのクリっとした瞳をじっと僕に向け、静かに続きを待っている。
「ダレンのことだけど……ジゼルにあんなことをした彼だけどーー」
「分かってるよ。助けたいんだよね?」
ジゼルがクスリと笑った。
そして前を向いて語り始めた。
「……クロエの人格を入れられて、ディランを私の手で殺そうとさせられた時は……嫌だった。悲しかったし、憎んでた」
「…………」
「けれど全てが上手くまとまって、落ち着いて考えてみると……」
ジゼルが宙を見上げてからニッコリと笑い、僕を優しく見つめた。
「猫の私に対するダレンの態度は……優しかったよ。猫用のご飯がいいのか、人のご飯がいいのか聞いてくれたりして」
当時を思い出してか、ジゼルがクスクス笑った。
僕も釣られて少しだけ頬を緩める。
「足元が覚束ないクロエが転ばないように、手を握って先導してくれたのも、薄っすら覚えてる……」
思わず目を伏せたジゼルだったけど、また真っ直ぐに僕を見た。
「きっと、そっちが本来のダレンだったんだね」
「…………そうだね」
僕は切なげにほほ笑んだ。
「だから私もダレンを助けてあげたい。それに、みんなを幸せにするんだよねっ!」
ジゼルが飛びっ切りの笑顔を見せた。
その彼女の様子が……川を背にして笑うジゼルが、湖のそばに佇むリンネアル様の姿と重なった。
〝みんなを幸せにしてあげて〟
僕ら蒼刻の魔術師の魂に刻まれた、彼女の願い。
それが静かに呼び起こされる。
「ありがとう、ジゼル」
ニコニコと笑う彼女を僕は抱きしめた。
ジゼルも背中に手を回して、優しく抱きしめ返してくれる。
幸せそうに目を閉じて笑う彼女は、僕の胸元に頬をスリスリと擦り付けた。
僕も彼女が愛おしくって、更にギュッと抱きしめる。
お互いのぬくもりを充分に確かめ合うと、少しだけ体を離して見つめ合う。
するとジゼルが不思議そうに聞いた。
「でも……どうするの? 蒼願の魔法は、解けないんじゃ……」
「そうだね。けど方法はある」
「それってーー」
僕の言いたいことが分かった彼女が、不安そうに眉をひそめる。
「うん。『ダレンがどんな時でも、彼らしくいれますように』というような願いを重ねがけするんだ。それには強い思いが必要だから……」
僕は青い空のようなジゼルの瞳を見つめた。
その目に、不思議なほど落ち着いて話す僕が映っていた。
ダレンに助けると宣言した時から、覚悟を決めていたからだろう。
真っ直ぐにその気持ちを彼女に伝える。
「ダレンのお母さんに、協力してもらおうと思うんだ」
僕の言葉に、ジゼルがその青い瞳を大きく見開いた。
**===========**
数日後。
僕らはダレンの実家にあたる、大きなお屋敷を訪れていた。
ここに住むダレンの母、マリアさんに会うために。
僕は母さんからマリアさんに事前に手紙を書いてもらい、今日の約束を取り付けていた。
蒼刻の魔術師だったダレンの父親は早くに亡くなっており、ここはマリアさんの生家になるらしい。
彼女は元々裕福な市民の娘だったそうだ。
お手伝いさんに応接室に通されると、そこにはすでにマリアさんが待機していた。
ダレンの母親なだけあって、彼女も容姿端麗な美女だった。
輝く金髪に緑色の瞳。
ダレンは母親似なのだろう。
それに貴族が住むような豪華な家……
本当に、ダレンは僕なんか気にせず生きていけば、順風満帆な人生だったのに。
僕は部屋に置かれた調度品、王宮にあるような立派なテーブルとソファ、そして金のラインに縁取られた小花模様のティーカップに視線を移し、最後にそれを手に持つマリアさんを捉えた。
「お久しぶりです」
僕はペコリと頭を下げた。
マリアさんは僕を訝しげに見ると、しおらしく喋った。
「……ダレンが貴方に迷惑をかけたのは知っています。親の私にも謝罪を求めに来たのかしら? それだったらごめんなさい。本当に申し訳ないことをしたと思ってるわ」
口ではそう言ったけれど、マリアさんの目の奥は冷め切っていた。
これは……どういった感情からなんだろう?
彼女の真意が掴めていない僕は、おずおずと切り出した。
「……いいえ。マリアさんに謝って欲しくて来たんじゃありません。ダレンを一緒に救って欲しくて……」
「……救う?」
彼女の片方の眉がピクリと動いた。
それから怒りをあらわにして反論する。
「私の言うことを聞かないダレンをどうやって? 正直、あの子は私の手に負えないわ。年相応に落ち着いて欲しいだけなのに〝蒼刻の魔術師として1番になるんだ!〟って言って出て行ってしまうし……」
マリアさんが深い深いため息をついた。
…………
彼女は、ダレンが幼いころに『誰よりも優れた蒼刻の魔術師になりますように』という願いを叶えたことに、気付いてないようだ。
子供の幸せな将来を思っての、無意識な母の願いだったのだろう。
そしてそれを自分にかけてしまったダレンも、事情を誰にも言えずにいたんだ。
もしかしたら、蒼願の魔法に対して泣き言をいう行為が、その願いの影響で制限されていたのかもしれない。
……酷い。
けれど今のマリアさんが、ダレンに落ち着いて欲しいと思っていることは、僕にとって都合が良い。
今でもかつての願いに縛られているとしたら、協力を仰げないだろうから。
僕はチラリとジゼルを見た。
その視線に気付いた彼女が、穏やかにほほ笑む。
ジゼルの笑顔に今日も勇気をもらった僕は、機嫌の悪さを隠そうとしなくなったマリアさんを見据えた。
「ダレンは、誰よりもマリアさんの言うことを聞いていたんです」
「……どう言うことかしら?」
マリアさんが怪訝な表情を向ける。
……ごめんなさい、マリアさん。
僕はあえて嫌な言い方をします。
ダレンの母親である貴女に、強く思ってもらわないといけないから……
『ダレンがどんな時でも、彼らしくいれますように』と。
僕はそんな思いを微塵も悟らせずに、彼女とまっすぐ向き合った。




