121:ダレンの思い
「めちゃくちゃ恥ずかしい……」
僕はうつむいていた顔をますます伏せた。
「けどこうしないと、今のディランは外を歩けないよね? もう少しで着くから頑張って!」
前を行くジゼルから、どことなく楽しそうな声が聞こえた。
僕らは国の監視下にある牢獄施設に向かっていた。
人ゴミを歩くと酔って倒れてしまう僕は、常に足元だけを見て歩いていた。
ジゼルに手を引かれて。
ずっと目を閉じての移動は無理だったから、苦肉の策だった。
傍から見たら、僕はジゼルに手を引かれないと歩けないほど、しょげかえっているようだろう。
うつむくと、人の思いを読むのはマシになるけれど、僕の頭の後ろにすれ違う人の視線が集まっているようでならなかった。
「フフ〜ン♪」
僕を連れて前を歩くジゼルは、鼻歌まで歌ってご機嫌だった。
「すごく楽しそうだけど……どうしたの?」
「だって、苦しそうなディランに何もしてあげられなくて、悔しかったんだもん。少しでも助けてあげられるから、嬉しくって」
彼女の弾んだ声が僕にかけられる。
ジゼルの明るさに照らされて、恥ずかしさの中にも嬉しい気持ちが小さく灯る。
僕は地面に向かって、照れ笑いを浮かべた。
そうしているうちに、僕たちは牢獄のある建物の前についた。
ジゼルが辺りを見回して、人の少なさを確認する。
「ここなら顔を上げても大丈夫そうだよ」
彼女の声に、僕はゆっくりと顔を上げた。
すると目の前には、要塞のように重厚で、いかにも頑丈そうな石造りの建物がそびえ立っていた。
まっすぐと奥まで伸びる壁には、細長い窓が規則正しく並んでいる。
そのひとつひとつが牢屋であり、いったいどれほどの数があるのだろうと、圧倒されるばかりだった。
視線を巡らせると、建物の正面には立派な鉄製の扉が構えている。
この建物を象徴するような強固な扉の前で、レックスが立っていた。
僕らの視線に気づいた彼が、柔らかく笑う。
「今日は来てくれてありがとう」
ジゼルと繋いでいた手をそっと離して、僕は姿勢を正した。
「こちらこそ、ありがとうございます」
一通りの挨拶を終えると、僕らはさっそく建物の中へと入っていった。
レックスが廊下を颯爽と歩いた。
「ダレンは罪が軽い方で、普段は他の囚人と一緒の牢にいるんだ。だけど今日は君たちと面会するから、一時的に独房に移ってもらっている」
彼の声が、背中越しに僕たちへと届く。
「……そうなんですね……」
僕は相槌を打ちながら、そわそわと辺りを見た。
まだ人気のない場所だけど〝嫌な思い〟を感じる……
そしていよいよ牢屋の並ぶ一角に入ると、僕は肩をピクリと跳ねさせて思わず立ち止まった。
隣を歩くジゼルも、僕に合わせてそっと足を止める。
「ごめんねジゼル。覚悟はしてたけど、ここの人たちに向けられる思いは、澱んだものが多いから……」
青ざめながらそう訴えると、ジゼルが心配そうに手を差し出した。
「……うん、仕方ないよ。一緒に行こう?」
「ありがとう」
僕はどうにかダレンの元に行くために、またジゼルに手を引っ張って貰った。
なのに、足元を見ていても僕を囲んでくる仄暗い思い。
そのほとんどは、被害者から犯罪者への憎しみーー
牢屋の前を手を繋いで歩く僕らに、囚人からの野次が飛ぶ。
けれどそれが耳に入らないほどに、澱んだ思いは重く深く僕にのしかかる。
レックスは先で立ち止まり、僕らの様子を見守っていた。
「どうしたんだ?」
ジゼルが彼の元へと進めながら答える。
「お待たせしてすみません。ディランは得意の蒼の魔法で、人の思いを……ここにいる囚人に向けられた被害者からの恨みを、読み取ってしまうんです。成長の過渡期なんで、以前よりも過剰に」
成長の過渡期……
彼女が僕の今の状態を、優しく表現してくれた。
それがストンと胸に落ちて、すごくしっくりする。
同時に、僕の中で〝ずっとこのままだったらどうしよう〟という不安が、ゆっくりと溶けていく。
僕がもっと成長すると、事態が快方に向かうと信じてくれるジゼルに、感謝があふれた。
レックスが気の毒そうな笑みを浮かべる。
「思いを読み取る……か。話には聞いていたけれど、大変そうだな。……あともう少しだから」
「はい」
ジゼルは返事をすると、僕と繋いだ手に優しく力を込めた。
まもなくしてダレンのいる独房に到着すると、僕とジゼルはその前に静かに並んで立った。
彼女の合図を受けてから顔をゆっくりと上げ、鉄格子の間から中の様子を見る。
右側の奥に向かって簡素なベッドが置かれており、左側には小さな机と椅子があった。
ダレンはベッドに座って、その机を見つめるようにジッとしていた。
僕から見える彼の横顔は、落ち着いているように見える。
「ダレン…………」
僕はそっと呼びかけた。
すると彼は、ゆっくりとこちらに顔を向けて、鋭く睨みつける。
「貴様、何でここに来たんだ。無様な俺の姿を笑いに来たのか!?」
僕を見た途端にダレンが豹変し、立ち上がると掴みかかる勢いで柵越しの僕に詰め寄った。
掴めない代わりに、邪魔な柵を両手で力強く握りしめる。
「そんなんじゃないよ。ただ話をしに…………」
ダレンの勢いに身をすくめながらも、彼と目を合わせた。
その途端に、僕の中に何かが流れ込んでくる。
どこまでも暖かい、穏やかな愛情とーー
悲痛な叫び声。
その瞬間、僕の胸にある感情が込み上げた。
止めることも出来ずに、行き場を無くしたその思いは、瞳から外へとあふれていく。
「…………っ!?」
僕を見たダレンが、驚いて息を呑んだ。
隣にいるジゼルも、僕の腕に優しく触れて顔を覗き込む。
「……貴様……何で泣いているんだ……?」
ダレンが動揺して揺れる声を発した。
「だって…………」
僕の瞳からは、涙があとからあとから流れていた。
瞬きをすると、ポロポロと頬を伝って落ちていく。
そしてそのままダレンに頭を下げた。
「気付かずにごめん! ダレンはずっとずっと前から……!」
感情が込み上げた僕は涙が止まらなくなり、思わず腕で両目を押さえた。
僕の震える息づかいが、静かに響いた。
他の囚人たちも異様な空気を察して口を閉じ、周囲はシンと静まり返る。
一歩後ろで見守っていたレックスも、心配して僕の背中に手を添えた。
「ディラン、大丈夫か?」
僕は泣き濡れた顔を彼に向けて、どうにか声を絞り出した。
「ダレンは……蒼願の魔法が……かかっています。『誰よりも優れた蒼刻の魔術師になりますように』という魔法が……」
「!?」
「え?」
ジゼルとレックスが驚きに目を見張る。
「チッ……」
ダレンが舌打ちをして顔を背けた。
「……おそらく……これはダレンの母親からの願い。彼は子供の時に、その〝思い〟を自分にかけてしまったんだ……僕に妙に突っかかってくるようになったのも、その時だから」
少し落ち着いた僕は涙を拭うと、まだ涙声のまま続けた。
「でも……僕にあんな態度を取っていたのには、もう一つ理由があって……」
僕はゆるゆると視線をダレンに合わす。
そっぽを向く彼から、僕に向けられている思いを感じた。
今の僕なら、ありありと……
「心の奥では、僕に対して思ってたんだ……『この魔法をどうにかして』って」
そう告げた僕の瞳に、また涙が込み上げて来た。
ダレンの横顔が滲んでしまう。
ーー彼はずっと僕に助けを求めていた。
僕と敵対しながらも。
それは、僕が蒼の魔法に秀でていると、ダレンが認めてくれていた証だった。
しかも僕ならどうにか出来ると、信頼してくれてもいたんだ。
ジゼルにした仕打ちは許せないけれど、もし彼にとって、長年の母親からの思いのせいだったのなら……
そんなの、悲しすぎて居た堪れない。
僕からの憐れむような視線に、我慢が出来なくなったダレンが叫ぶ。
「そんなわけないだろ!? 貴様が居なければ、俺が1番優れた蒼刻の魔術師になれるのに、ことごとく邪魔しやがって!!」
柵越しにダレンが僕を責め立てる。
吼えるような彼の勢いに、僕は思わず目をギュッと閉じた。
それでも感じる、彼の思い。
【……苦しい。こんな気持ち抱えたくない……】
ジゼルが僕に聞いてきた。
「……これは……蒼願の魔法がそうさせているの?」
「…………」
僕は弱々しく頷いた。
そして痛ましそうにダレンを見る。
「っ!! そんな目で俺を見るな! 見下すな!!」
【……助けて……】
僕はダレンを真っ直ぐに見据えた。
「絶対、助けるからっ!!!!」
僕は彼の中にいる、本当のダレンに初めて返事をした。




