118 :子ども思いの母親
僕の隣にいるジゼルが、驚きを隠せない様子でケティに尋ねた。
「……性格を変える?」
「はい。もう少し穏やかで、落ち着いた性格に……」
「…………」
ジゼルは言葉をなくしてしまった。
彼女の戸惑いの視線から逃げるように、ケティは僕に目を向けた。
「出来ます……よね? ディランさんは、王太子様も認めるぐらいすごい方だと聞きました。だから藁にもすがる思いで……ここを訪ねたんです」
うつむいた彼女が、膝にのせていた手をギュッと握りしめた。
ケティの気持ちは分かる。
分かるけど……
僕はゆっくりと口を開いた。
「出来ます。ケティさんのジョンに向けられた思いは強いから、叶えようと思えば出来ます。けど……」
ケティがビクッとして僕を見た。
そんな彼女の目をしっかり見つめ返して続ける。
「僕はたくさんの〝子どもに向けた思い〟を見てきました……叶えてきました。だから何となく分かるんです。ケティさんのその願いは……後悔する時がくると思いますよ?」
僕は努めて穏やかに言った。
やんわりとやめる選択へと誘導する。
「…………そう、かもしれません。でも、今のままでジョンは大丈夫なんでしょうか? あんなに言うことを聞かず、人に迷惑をかけて……」
ケティがジョンを見つめて思わず涙ぐむ。
それでも必死に訴え続けた。
「私の……私が母親として至らないからですが……あの子はこのままで幸せになれるんでしょうか?」
うつむいて心情を吐露した彼女は、ポタポタと涙をこぼした。
ジゼルが痛ましそうに彼女を見る。
「……ケティさん。あなたが至らないなんて、そんなことないです。とても立派なお母さんだと思います。ジョンくんがあんなに元気で、スクスクと育っているから分かりますよ」
そこまで言ったジゼルは、ハッとして両手を〝いやいや〟と振ってみせた。
「あのっ、歳の離れた弟がいたんで、私も半分子育てしたみたいな気持ちで……偉そうなことを言ってごめんなさいっ」
「いいえっ、嬉しいです。ありがとうございます!」
2人が照れ照れしながら、謙遜しあった。
それが落ち着くと、僕はあえて静かに口を開いた。
「ケティさん。将来幸せになるかどうかは、ジョン君の受け取り次第です。今穏やかな子でも、大人になった時に、必ず幸せになれるかなんて分かりません」
「…………」
「性格を変えることは、考え直した方がいいですよ」
「……みんな、似たようなことを言うんです。どれだけ私が苦労しているか、心を痛めているか、分からずにーー」
「ケティさんは自分が楽になりたいから、ジョン君の性格を変えたいんですか?」
「違うっ!! 私は……私はっ!!」
ジゼルが慌てて僕を止めた。
「ディラン落ち着いて。どうしたの? らしくないよ??」
彼女の青い瞳に見つめられて、僕はようやく気付いた。
いつになく、過剰に反論してしまっている自分に。
つい感情的になってしまった。
悩みを抱えたお客様に、まずは寄り添わなくてはいけないのに……
「ママァ? どしたのー? 痛い痛いのー?」
遊んでいたジョンも、ケティの様子を心配してそばに来た。
そんなジョンを、ケティがギュッと抱きしめる。
僕は気持ちを落ち着かせようと、息をゆっくり吐いた。
「……ありがとうジゼル。申し訳ございません、ケティさん。ジョン君からあなたに向けられた強い思いに、つい肩入れしてしまって……」
「え?」
ケティが目をまん丸にして僕を見つめた。
ジョンは眠くなってきたのか、ケティの膝の上によじ登り、がっしり胴にしがみついてジッとしている。
「…………ジョンは、息子は私に何て思っているんですか?」
彼女が声を震わせながら聞いた。
恐る恐る聞く様子から、何か悪いことでも思われていると考えていそうだ。
けれどその様子に、僕はやっと思い違いに気付いた。
…………そうか。
母親ならみんな分かっていると思い込んでいた。
ほとんどの母親が子供に惜しみない愛を注ぐように、子供からもまた愛情を向けているものだった。
その親子間の思いを当たり前のように読み取っていたから、それが普通だと思ってしまっていた。
僕は穏やかにほほ笑むと、ケティに優しく語りかけた。
「ジョン君は……『大好きなママが、毎日笑顔になりますように』って思っていますよ」
「…………」
「ジョン君に落ち着きがないのは、彼なりに楽しい物を見つけて、ママに笑って欲しいんでしょうね」
僕の話を聞いて、ジゼルが弾んだ声を上げた。
「だからどんな時でも周りを見てるんだ! いつもママを喜ばすことを考えて。それって凄いことだと思いますよ」
「…………」
ケティが抱きかかえているジョンに目線を落とした。
彼は目を閉じて、スゥスゥと寝息を立てている。
僕は続けてケティに話しかけた。
「それにジョン君には、たくさんの人から『元気に大きくなりますように』という思いが……愛情が向けられています。将来は分かりませんが、ジョン君は今、幸せです」
「っ!! ……うぅぅ」
泣くのを我慢してしかめっ面になったケティが、腕の中のジョンに顔を伏せるようにして泣き崩れた。
あふれた涙は留まることを知らず、とめどなく彼女の頬を流れる。
ケティは声を押し殺して泣き続けた。
その横にジゼルが慌てて移動し、そっと背中を撫でてあげていた。
ーーーーーー
蒼い月が柔らかく照らす通りを、眠ったジョンを抱っこしたケティが立っていた。
彼女は星が煌めく夜空に優しい眼差しを向けると、背後にいる僕らに振り返り、目を細めてニッコリと笑った。
「ありがとうございました」
あれからケティは、ジョンに蒼願の魔法をかけることはしなかった。
何とか思い直してくれてよかったと、僕は安堵しながら返事をする。
「とんでもないです。現状を変えたくて、勇気を出して来てくださったのに、何も出来ておらず申し訳ございません」
「いいえ、今のままでいいんだと気付かせてくれました。本当に感謝しています。ディランさんが言うように、大人しくなったジョンは、何だかジョンじゃないように感じたかもしれせん」
ケティが愛情たっぷりの目でジョンを見つめた。
息子の気持ちを知った彼女は、どこか吹っ切れたように、晴れやかな表情を浮かべていた
その姿を見ただけで、もうケティたち親子は大丈夫だと感じるほどに。
「そろそろ帰らないと、仕事から家に帰ってきた主人が探してるかも」
ケティはそう言って、明るく笑いながら帰っていった。
僕とジゼルは、親子が立ち去る様子をしばらく見守っていた。
2人の姿が見えなくなるころに、僕は隣に立つジゼルの手をそっと握った。
「ジゼルありがとう。言い過ぎた僕を止めてくれて」
「ううん。……ディランは、性格を変えたことがあるの?」
「うーん……ないとは思うんだけど……」
僕は記憶を掘り起こしながら答えた。
「そっか。もし変えられてしまったら……本人は気付くのかな?」
「……どうだろう? 思いの内容によるかもしれない」
「…………」
僕は黙り込んだジゼルを見た。
彼女はケティ達が去って行った方向を、ただ真っ直ぐに見ていた。
「気になるの?」
「…………魔法で変えられた性格のその人は、本物なのかなって思って……」
ジゼルが沈んだ顔をしてうつむいた。
彼女が何を言おうとしているのか、僕には何となく分かった。
人格を入れ込まれたことのあるジゼルなら、なおさら思う所があるのかもしれない。
「……そうだね。もし、魔法で作られた性格を保つために、本人が言いたいことや、したいことに制限がかかっているのなら……」
僕はひと息ついてから続けた。
「それは、その人にとって〝呪い〟だろうね」
ジゼルが僕の方に振り向くと、眉を下げて笑った。
「蒼願の魔法は素敵な魔法だけど……」
「呪いをかけてしまわないように、気をつけたいよね」
「うん……」
僕らは揃って、蒼い月を見上げた。




