113:祝福を受けに
「結局あれは、何だったのかなぁ?」
リミーノの街を歩くジゼルが、手を繋いでいる僕に向かって喋りかけてきた。
彼女が不思議そうに顔を傾けると、白い髪の毛がサラサラ流れていく。
「何だったんだろうね? 蒼願の魔法を使った時のことだし、不思議なことが起きてもおかしくないんだけど……」
ジゼルと見つめ合いながら、僕も首をかしげた。
ーークロエの記憶から戻った僕たちは、しばらく青い花畑の真ん中で、夢見心地のまま立ち尽くしていた。
クロエが女神ディスピナになったこと。
蒼願の魔法が生み出す世界なのに、女神ディスピナが話しかけてきたこと。
そして最後に見た、リンネアル様たち……
情報が多すぎて、頭が真っ白になっていた。
星の瞬く美しい夜空に、しんとした空気の中を優しく揺れ続ける花の群れ。
何となく景色を眺めていた僕らは、どちらともなく「帰ろうか」と口にして、ホウキに乗って宿屋へ戻った。
一晩経って、やっと正気に戻った僕とジゼルは、再びリミーノの街へと帰ってきていた。
今は旅行の1番の目的である結婚の登録をしに、シュシュリノ教会へ向かう途中だった。
ここは観光地なだけあって、大通りから少し入った路地にもたくさんの路面店が並び、ディスピナ様関連の雑貨も多く扱っていた。
ジゼルが店に並ぶタペストリーを、ぼんやりと眺めながら言った。
「実際はそんなことないのに〝ディスピナ様はツンツンしている女神〟だとか〝常にわがままを恋人に言う〟って……無彩の魔法の特徴が飛躍したのかな?」
「魔法の世界で会ったディスピナ様の話だと、そんな感じだったよね」
僕は苦笑を返した。
ジゼルが宙を見て考え込む。
「うーん……『嫌いになっちゃうから、これこれして』とか言わなきゃいけないのかな?」
「……それはツンツンしている女神様だね。ディスピナ様の絵がムスッとしながらも照れてるのも、それが理由かな?」
「フフッ。そうかも。でも、純愛の女神じゃなかったよね。後世で脚色されたのかな?」
「もしそうだとしたら……登録する教会を変えたい?」
僕は優しくジゼルに笑いかけた。
「ううん。クロエがディスピナ様になったんだもん。ますますシュシュリノ教会がいい!」
ジゼルが繋いでいる手を大きく振ると、嬉しそうに目を細めた。
「そうだね。縁の深いディスピナ様から祝福を受けられるなら、すごいのが貰えそうだよね」
僕も冗談っぽく笑いながら返した。
まさかーー
本当にそうなるとは思わずに。
**===========**
シュシュリノ教会につくと、入り口のすぐそばには、結婚の登録を行うための受付が設けられていた。
僕たちはさっそく受付を済ませると、教会の庭にあるベンチでそわそわと順番を待った。
しばらくすると、案内役の修道士に呼ばれて、礼拝堂の中へと通される。
「わぁ。綺麗で可愛らしい所だね!」
はしゃぐジゼルが、頬を緩ませながら礼拝堂の中を進んだ。
白色の壁や天井には、淡いピンクのステンドグラス。
外から差し込む光が神々しくも、甘い雰囲気で部屋を包んでいた。
中央に敷かれたベージュ色の絨毯を進んだ先に、神父様の待つ祭壇があった。
祭壇の上には、神への誓いを記すための台帳が開かれており、そこに2人の名前を書き込むことで結婚の登録が完了する。
神聖な儀式を終えると、晴れて夫婦になった2人に神父様から祝福の言葉がかけられた。
それは形式とはいえ「女神ディスピナ様からの祝福」として、この街に古くから伝えられてきたものだ。
僕らもその慣習に倣い、名前を書き込もうとした。
けれどペンを持ったジゼルが、一瞬止まって眉を下げる。
「……私って、ジゼル……〝フォグリア〟って書いていいのかな?」
台帳にはフルネームを書く欄があり、苗字を持たないジゼルは、どう書いていいか迷っているようだった。
「いいんじゃない? 飼い主……えっと、ジゼルを育ててくれたお父さんが、ウィリアム・フォグリアさんなんだから同じ苗字で」
神父様の前だから、僕は言葉を濁しながら伝えた。
「そっか、そうだよね」
ジゼルがほっと息をつきながら笑うと、台帳にペンを走らせた。
それまで僕らを穏やかに見守っていた神父様が、祝福の言葉をかけるために口を開いた。
「確かに、ディラン・オーリックさんと、ジゼル・フォグリアさんの名前を、ここシュシュリノ教会に刻み留めました。2人には誓いを交わした女神ディスピナ様から、大いなるーーーー」
神父様の言葉が不意に止まり、僕はハッとして隣を見た。
「え? ジゼル……?」
気付くと天井から光が降り注ぎ、彼女がその光に包まれていた。
「わぁ!?」
ジゼルが〝祝福を授かる途中なのに、どうしよう?〟と困惑したまま動けずにいると、光はより一層強まり、彼女自身が輝きを放っているように見えた。
そしてジゼルの頭上には薄っすらと……見間違いかと思うほど淡い、たなびく髪先と彼女に差し伸べた腕が見えた。
何かを手渡しているようなその人の髪は、ピンクがかって見えた気がした。
けれど、まばゆい光にすぐかき消されてしまい、何も見えなくなった。
「…………ジゼル、大丈夫?」
僕が声をかけると、止まっていた場の空気がやっと動き出した。
固まっていたみんなが、体の強張りをゆっくり解く。
「っえ、あ、うん。さっきのーー」
ひどく動揺しているジゼルが何かを喋ろうとした時、神父様の声が被さった。
「無事に祝福を授かり終えたようですね。2人のこれからが、幸多からんことを祈ります」
「「…………」」
僕たちは開いた口が塞がらなかった。
……強引にまとめちゃった。この神父様。
絶対何か起こったのに、ディスピナ様からの祝福だと言い切った…………
そうして神父様の図太さに絶句しているうちに、いつの間にか儀式は結びの挨拶まで終わっていた。
ーーーーーー
登録が無事に終わった僕たちは、シュシュリノ教会を出て、あてもなく歩き回っていた。
手を繋ぐジゼルの歩調に合わせて、少しゆっくりと足を運ぶ。
すると遠くに、大きな川沿いの道が見えてきた。
家の近くの道に雰囲気がよく似ていたからか、僕たちの足が自然とそちらへ向く。
しばらくその道を歩いてから、僕はジゼルにそっと聞いた。
「……それで、何が起こったの?」
彼女は不思議な現象が起きてから、心ここに在らずといった様子だった。
今もぼんやりと、川に目を向けている。
「実は……ディスピナ様が渡してくれたの」
「何を? ……まさか……」
僕は思わず立ち止まった。
ジゼルの横顔をじっと見つめる。
僕に合わせて歩くのを止めたジゼルが、ぱっとこっちを振り向いた。
「……うん。無彩の魔法の力の一部を」
「…………」
やっぱりあれは、ディスピナ様だったんだ。
蒼願の魔法の世界で、彼女がジゼルに説明してきたのは、こうなる事が分かっていたから?
あのとき知らないうちに、ディスピナ様の力も介入していたのかも知れない。
僕があれこれ考えを巡らせている間も、ジゼルは沈んだままだった。
そんな彼女に気付いた僕は、なんとか元気づけようとした。
「じゃあジゼルも、ツンツンした感じで呪文を唱えるんだね」
「!? っ私が1番、気にしてることなのにー!!」
ジゼルが半泣きで叫んだ。
……どうやらジゼルは、その事をさっきから気に病んでいたようだった。




