112:歴史に名を残したあとは……
クロエとルカが女神ララシェルンの手を取った瞬間、淡い光に包まれ、世界が白一色になった。
その光が徐々に収まると、僕とジゼルはまた違う場所に立っていた。
地面には薄いモヤのようなものがかかっており、自分の靴の輪郭が薄っすらとしか見えない。
遠くにもモヤがかかっているのか、周りの景色がハッキリとは見えず、何もかもがぼやけた世界だった。
すぐそばには、僕と同じようにきょとんとしているジゼルがいた。
彼女に囁くように僕は問いかけた。
「ここは、どこだろう?」
そして首を左右に動かして、辺りを窺う。
「……あ、あそこにクロエ……ディスピナ様がいるよ」
ジゼルが遠くを指差した。
その方向に目を凝らすと、モヤの向こうにピンク色の髪がかすかに揺れている。
見ているうちに、次第にそこだけモヤが晴れていき、ディスピナとルカの姿が浮かび上がった。
2人は地面に空いた大きな穴の縁に、寄り添って座っていた。
ぽっかりと開いた切れ目の中へ足を垂らし、時折り見つめ合っては何かを楽しげに喋っている。
「行ってみようか」
「うん」
僕とジゼルは綿のような地面をゆっくりと踏みしめ、2人に近付いた。
モヤの切れ目は意外と大きく、川のように深い溝が僕らとディスピナ達の間に横たわっていた。
溝の端に立って下を覗き込むと、広大な緑の大地と、所々に小さな四角や丸の模様が見える。
よく見るとその模様は建物の屋根で、眼下には人々の住む世界が広がっていた。
「僕たちが雲の上にいるってことは……」
「ここは天界……?」
一緒に眼下の世界を眺めていた僕らは、ゾクリとしながら思わず身を引いた。
ディスピナが、自分の座るすぐ脇の縁に両手をつき、前かがみになって下界を眺める。
『やっと終わったね。私が消してしまった人達の魂を、輪廻転生の流れに戻す作業が。ちょっとでも罪が償えたかな……』
ほっと息をついたディスピナは、体を横に傾けてルカにもたれかかった。
『あぁ。これからどこかで生まれ変わって、その人なりの人生を歩むだろうから、きっと大丈夫』
ルカがディスピナの肩を抱いて、ピンクの頭にキスを落とす。
それからフッと笑って続けた。
『それにしても随分変わったな。普通に喋れるようになったし、力を使う時はやけに可愛いし』
『…………うぅ、改めて言われると恥ずかしいな。負の感情の言葉をくっつけなきゃいけないから、どうしても、とげとげしい言い回しになるよね。それが今だに慣れなくて照れちゃって……』
ディスピナが頬を染めがなら不平を言った。
そしてルカに預けていた体をそっと起こす。
『しかも負の感情の言葉をつければ、すぐに解除も出来るって分かったし。だから喋ることも怖くなくなってーールカとこんなにお喋り出来るなんて、本当に良かった』
ディスピナが嬉しそうに笑った。
ルカも愛しげに笑い返して、2人の間には幸せな空気が流れる。
すると不意にーー
ディスピナが前を見つめて、熱心に語り始めた。
『負の言葉……負の行為を言ってしまうと、それが現実になってしまうの。けれど負の感情だと、それとくっつけた出来事が現実になる』
『生死を操る力は強すぎるから、そこまではいかない程度かも……』
『いつもの祈りの対象を、私に変えてみてね』
…………
ディスピナの様子がおかしい。
まるで彼女が誰かに説明しているようだ。
ディスピナの見つめる先にはーーーー
ジゼルがいる。
ディスピナと深い溝を挟んで見つめ合っているジゼルが、狼狽した。
「あれ? これは蒼願の魔法で生み出した空間だよね? クロエのその後を知れる魔法なのに……」
ジゼルは途中で口をつぐんだけれど、言いたいことは伝わってきた。
クロエの……ディスピナの過去を見ているだけのはずなのに。
ディスピナが、その場に居なかったジゼルに語りかけている。
これは過去の記憶じゃないってこと?
僕らの気持ちを見透かしたかのように、ディスピナがニコッと笑った。
『ありがとう。クロエをここに連れてきてくれて。可愛い白猫さん』
「え?」
明らかにディスピナに話しかけられたジゼルは、驚いてピタリと動きを止める。
その途端、彼女の体がほのかに光り始めた。
「何これ? どうなってるの??」
ジゼルは自分の体を見下ろして、キョロキョロした。
すると、彼女を包む柔らかい光は粒になって浮かび上がり、サラサラと線を描いてディスピナのもとへと流れていった。
光の線の先では、ディスピナが両手を広げて待ち構えていた。
優しく受け止められた光は、彼女の体の中にゆっくりと溶け込んでいく。
全てが渡り切ると、ディスピナは穏やかにほほ笑んで、重ねた両手を胸元に当てた。
……ジゼルの奥底に眠る、クロエの意識が戻ったんだ。
僕がそう思いながらジゼルを見守っていると、視界の端で動く人影をとらえた。
気になって顔を向けると、1組の男女がモヤの中を歩いている。
「……あれは!?」
僕がハッとしたのと同時に、地面が蒼く光り始めた。
ジゼルの足元に、見慣れた魔法陣が薄っすら現れる。
蒼願の魔法が終わるんだ。
この世界から返される!
「待って、あの2人と話したいんだ!」
僕は遠くにいる男女に近付こうと、ふらふらと歩き出した。
「ディラン! 溝に落ちるよ!」
気付いたジゼルが僕の腕にしがみついて、慌てて止める。
その間にも蒼い光がどんどん強くなり、ますます2人の姿が薄れていった。
「こっちに……気付いてくれ!」
なおも必死に近付こうとする僕に驚いて、ジゼルが声を荒げた。
「どうしたの!?」
「…………リンネアル様がいるんだっ!」
その言葉を最後に、僕は高まる光の眩しさには抗えず、目を閉じてしまった。
ーー薄れゆく意識の中で、僕はさっき見た光景を思い出していた。
モヤの中をゆっくり歩くリンネアル様の隣には、黒髪の青年がいた。
リンネアル様に深い憎しみを抱く、夢の中で会ったあの青年だ。
2人は何かを喋りながらーー
笑っているように見えた。




