110:約束の場所
蒼い月が高く昇った真夜中。
僕たちは花畑の例の場所に立っていた。
ジゼルと蒼願の魔法をかけてみようと話し合ったあと、僕たちは村に一軒だけある宿に部屋を取り、簡単な夕食を済ませた。
村人たちは打ち解けようとはしないものの、僕たちを遠ざけるわけでもなく、ただ一定の距離を保ち見守っているようだった。
そんな中、そそくさと準備を終えた僕とジゼルは、宿の窓から静かにホウキで飛び立ち、この場所へと戻ってきていた。
「うーん。ここなら魔法陣を描いても大丈夫かな?」
僕は花があまり生えていない地面を探すと、そこに膝をついて魔法陣を描き始めた。
ジゼルも僕の隣に、膝を抱えてしゃがみ込む。
「何度もディランの隣で見てるから、魔法陣なら私も書けそう」
彼女が楽しそうに笑いながら言った。
「ジゼルなら、そのうち蒼の魔法を使いだしそうだよね」
「アハハッ。蒼願の魔法を何度もかけてもらって、ディランの魔力が流れてるからね」
2人してクスクス笑う声が花畑に響く。
「出来たよ」
僕がそう言って立ち上がると、ジゼルも立って目をほのかに輝かせた。
そんな彼女を見つめながら優しく説く。
「いい? さっきも言ったように、ジゼルがクロエに向けている強い思い『クロエと恋人のルカがどうなったか知りたい』を蒼願の魔法で叶えてみるよ」
「……うん」
ジゼルがゆっくりと、だけど力強く頷いた。
「あくまで今回の魔法は、ジゼルの中にいるクロエの意識にかけるものなんだ。だから、ジゼル自身には何も起こらないかもしれない。魔法が届かない可能性もあるから。それに…………」
僕はためらいながらも続けた。
「クロエにとっては、悲しくてつらい記憶かもしれない。死にゆく恋人の、その最後までを見せてしまうかもしれないんだ」
「…………うん。けどクロエの記憶が途切れる直前に、彼女は希望を抱いていたの。多分……彼女の人生には続きがあると思う。それを私の中のクロエも……知りたいんじゃないかな?」
ジゼルは切なげに眉を下げて笑った。
僕は穏やかに頷く。
「分かったよ。でも、もしクロエの感情に引っ張られて取り乱したら、すぐにやめるからね」
「ありがとうディラン」
ジゼルはニコリと笑うと、魔法陣を傷つけないように丁寧にその上へ立った。
「……じゃあ、魔法をかけるね」
僕が声をかけると、蒼い月明かりを浴びて花畑の中に佇むジゼルが、両手を組んで目を閉じた。
クロエに向かって祈りを捧げる。
僕にもその思いが伝わったかのように、不思議と優しい気持ちで目を閉じることが出来た。
呪いの魔法という特殊な能力を授かって生まれた、無彩の魔術師クロエ。
ただの心優しい女性だった彼女は、この地で何を見てきたのだろう。
自分を利用する人たちの、醜い姿だろうか。
恋人が瀕死の重傷を負い、追い詰められた彼女は、大きな大きな憎しみを抱いた。
そして、自分たち以外を消してしまう。
……僕も。
僕もそうなってしまうのだろうか?
呪文の途中で、はたと気付いた。
蒼願の魔法は、呪いの魔法にも容易く様変わりする。
もしジゼルが殺されてしまったら……
憎しみで塗りつぶされた感情の中、蒼願の魔法を駆使してしまったら……
…………
そこまで考えてしまうと、妙に心が冷え切った。
呆然としながら薄っすら目を開くと、僕の描いた魔法陣の外側に、元始の魔法陣が浮かび上がった。
大きな大きな円状の魔法陣が、静かに広がっていく。
『大丈夫だよ』
どこからともなく、女性の柔らかな声が聞こえた気がした。
それと同時に、魔法陣の蒼い輝きがふっと消えーー
「っ!!」
いきなり元始の魔法陣上に、ブワッと青い花が咲き乱れた。
勢いが良すぎて、青い花びらが宙を舞う。
僕らの周りだけ青一色に変化したことを、目を閉じているジゼルは気付いていない。
彼女の白い髪の毛に花びらがふわふわと舞い落ちて、青い彩りを添える。
幻想的な光景に僕が息を呑んでいると、再び魔法陣から蒼い光が噴き出した。
「…………」
僕は目を閉じて呪文の続きを紡いだ。
きっとこれは……
リンネアル様からのエールだ。
僕はメアルフェザー様の所にいた、リンネアル様に思いを馳せた。
そしてあのとき力を託してくれた彼女に感謝を込めて、ほほ笑みながら呪文の最後の一節を唱えた。
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『ルカ……ルカ…………』
切なげな呼びかけが聞こえてきた。
凛とした高い声が、やけに震えている。
目を開けると、そこは白と黒だけの世界だった。
あんなに色鮮やかな花の中にいたのに、今は砂に覆われた地面がどこまでも広がっている。
ーー不毛な大地。
過去の……国が滅んだあとの平原の姿。
唖然としながら辺りを見渡していると、同じように視線を彷徨わせていたジゼルと目が合った。
その時、すすり泣く声が近くでした。
『……ルカ……死なないで……』
僕とジゼルが声のした方に目を向けると、横向きに倒れている男性に、しがみつきながら泣いている小柄な女性がいた。
無彩の魔術師クロエだった。
ドレスを着て着飾った彼女が、恋人のルカに向けて懇願している。
白黒の世界だから黒い液体にしか見えないけれど、ルカの横たわる地面には、血溜まりのようなものが出来ていた。
…………
「クロエ……」
ジゼルが思わず声をかける。
けれど彼女の声は、クロエに届かない。
「多分これは、魔法で見せてもらっているクロエの記憶の世界だよ。見るだけで何も出来ない」
僕は胸を詰まらせながらもジゼルに伝えた。
「…………」
ジゼルが目に涙を浮かべながら僕を見た。
そしてあふれ始めた涙を、手の甲で一生懸命拭う。
僕はジゼルに寄り添い、彼女の肩を抱いた。
「クロエが国を滅ぼしたあとだよね? ここからが、ジゼルが知らないクロエの記憶?」
「…………うん。この時クロエはまだ諦めていないの。絶対恋人のルカを助けるって……」
少し落ち着いたジゼルが、クロエに目を向けた。
するとルカに突っ伏していた彼女が、ゆっくりと顔を上げる。
ジゼルの言うように、クロエの瞳には強い意志が宿っていた。
その瞳でルカを真っ直ぐ見つめたクロエが、ゆっくりと息を吸い、大きく口を開く。
僕とジゼルは固唾を飲んで見守った。
『私を独りぼっちにするルカなんて大嫌い。私が死ぬまでそばにいて』
クロエが思いを込めて呪文を唱えた。




