11:ジゼルの願い
ジゼルが白いローブの男性に詰め寄った。
「ハロルド、お願い。部屋の中のウィリアムに会わせて」
「……本当に猫のジゼルなのか?」
ハロルドと呼ばれた男性は、ジゼルを見てからゆっくりと後ろにいる僕を見た。
「君は……彼女が蒼願の魔法と言っていたから、蒼刻の魔術師かな?」
「はい……」
「……父が、猫のジゼルを母にしたいと願っていたと言うことか?」
「そう……ですね」
僕は答えながら、うつむいてしまった。
話の内容的に、ハロルドはジゼルが変身したジゼル・フォグリアの息子だ。
突然、自分の母親の若い頃の姿で現れた飼い猫。
それを目の当たりにした彼の複雑な胸中を思うと、いたたまれない。
するとジゼルが僕の方へ振り向き、説明した。
「ウィリアムの奥さんの〝ジゼルさん〟は、一年半前に亡くなったの。それからしばらくして、毛色と瞳の色がよく似た猫の私を飼い始めた……ウィリアムはよく私に〝ジゼルさん〟の話をしてくれたんだよ」
ジゼルが切なげに笑いながら続けた。
「ウィリアムは、猫の私に〝ジゼルさん〟を重ねていたの。それで『ジゼルさんに会いたい』願いを私に乗せてしまったのね……」
彼女は目を伏せてうっすら涙を浮かべた。
ほほ笑み続けるジゼルを、僕は胸が詰まる思いで見つめていた。
ジゼルは全て……
分かっていたんだ。
とうとう彼女の目から涙が伝い落ちていった。
堰を切ったかのように、涙がとめどなく溢れていく。
ハラハラと雫を床に落としながらも、ジゼルは話を懸命に続けた。
「……ウィリアムは……〝ジゼルさん〟の元に行ってしまいそうなの。今日にでも」
「ーーっ!!」
「だからせめて……〝ジゼルさん〟に会わせてあげたいのっ!!」
ジゼルが泣き叫んだ。
後ろで聞いていたハロルドが声を荒げる。
「何故そんなことを!? しょせん死期が近い父の世迷言だぞ。母になってまでして……そのあとはどうするのだ!?」
彼の言葉を背中で受け止めたジゼルが、目を見開いて悲痛な表情をした。
それを見てしまった僕は、思わずカッと頭に血がのぼった。
「どんな気持ちでジゼルはここに現れたと思う!? 自分の姿を捨ててまでっ!! ジゼルの気持ちを踏みにじるなっ!!!!」
…………
僕は……
ジゼルがいつもしてくれているように、彼女の優しい気持ちを何としてでも守ってあげたかった。
ーーーーーー
あのあとハロルドは、ウィリアムがいる部屋に入ることを許可してくれた。
大きな扉を自ら開けてくれて、僕たちを通してくれる。
彼は難しい表情をしていたけれど、ジゼルを見る目は暖かいものに見えた。
中には白いローブを着た魔術師が集まっており、部屋に入った僕とジゼルを一斉に見てきた。
おそらく、扉の前での怒鳴り合いが聞こえていたのだろう。
無言で身構えていた彼らは、ジゼルの姿を見ると騒めき始めた。
ジゼル・フォグリアにそっくりな彼女の登場に、驚き返る。
人だかりの中央には、天蓋付きの大きなベッドが見えた。
そこに横たわる男性こそが、ジゼルの飼い主であるウィリアム・フォグリアだった。
彼は白い魔術師のトップにあたる、偉大な魔術師の1人だ。
部屋に集まっているのは、彼を慕う弟子たちだろう。
僕も知っている有名な人だったけれど、まさかジゼルの言うウィリアムが、ウィリアム・フォグリアだとは夢にも思わなかった。
しかもジゼルが『カッコいい』『素敵』とよく言っていたので、てっきり若い男性だと勘違いしていたのだ。
飼い猫を人間にしたがる不埒な野郎だと思って、すみませんでした。
僕は心の中で謝った。
ジゼルが僕の手を握ったまま、ウィリアムに近付いていく。
すると海が割れるかのように、部屋に集まる人達が僕らを避けて道を作ってくれた。
眠っているウィリアムの近くに到着すると、ジゼルは彼の顔をじっと見つめた。
「……今日の朝から、目を開けなくなったの」
彼女が、隣にいる僕に静かに教えてくれた。
ウィリアムはとても衰弱していた。
ピクリとも動かないウィリアムは、胸が僅かに上下しており、かろうじて息をしていることが分かった。
ジゼルの言うように、いつ息を引き取ってもおかしくない状況だ。
だからジゼルはいつになく焦り、ウィリアムの思いも強まったのだろう。
自分の最期を感じた人にまれに起こる、微かな希望にすがりつく現象だ。
僕の、人からの思いの強さを感じ取る能力では、そこまで細かいことは分からない。
ただ……その微かな希望を魔法で具現化したことは、何回かあった。
ジゼルが僕の手を不意に離した。
そしてベッド横の床に膝立ちになり、ウィリアムの顔を覗き込みながら必死に彼を呼ぶ。
「ウィリアム……私よ。ジゼルよ」
僕は2人の邪魔をしないように、ウィリアムの頭側に立った。
ここなら彼の視界に入ることはないだろう。
けれどウィリアムからの返事は、当然のように無かった。
「ウィリアム……ウィリアム……」
諦めきれないジゼルの呼びかけが続く。
周りにいる白の魔術師たちも、息をひそめて見守っていた。
すると穏やかだったジゼルが、次第に声を荒げていく。
「ウィリアム、よく言ってたよね。私が〝ジゼルさん〟に似てるって。私と居るとまるで〝ジゼルさん〟と居るみたいだって……」
ジゼルは必死に呼びかけながら、涙をボロボロとこぼした。
それでも彼女は懸命に続ける。
「ウィリアム……起きて。目を開けて。私を見てよ。猫の私が〝ジゼルさん〟だったら元気が出るのになぁって言ってたよね! 元気が出たら、また抱っこして頭を撫でてくれるよね!? ウィリアム!!」
ジゼルがとうとう叫んだ。
その時、彼女の思いが通じたのか、ウィリアムが薄っすら目を開けた。
「ウィリアム!?」
ジゼルが喜びの声を上げた。
「…………ジ、ゼル?」
ウィリアムがゆっくり目を開いて驚いていた。
彼は震える手を何とかジゼルへ伸ばし、彼女の頬に添えた。
ジゼルは嬉しそうにほほ笑むと、彼の手に自分の手を重ね涙をこぼす。
「本当に……ジゼルなのか?」
朦朧としているウィリアムが、掠れた小さな声を発した。
「そうよ。あなたの妻のジゼルよ。またあの時みたいに、サズー川のほとりでピクニックをしましょうよ。あなたの好物のチキンサンドを作ってあげるわ」
ジゼルがスラスラと、ウィリアムとの思い出を喋り始めた。
ーー僕はその光景に背筋が震えた。
猫のジゼルは、姿かたちだけジゼル・フォグリアになったのではなかった。
記憶まで受け継いでいたのだ。
そしてウィリアムの前で完璧に、ジゼル・フォグリアになっている。
ウィリアムに……会わせてあげている。
そんな健気なジゼルが、涙を浮かべたまま穏やかに笑った。
「だから……早く元気になってね」
「……ジゼル……」
ウィリアムが震える手を、ジゼルの頬の横へと移動させた。
そっと確かめるように髪を撫でると、首もとのチョーカーの近くで手が止まる。
ジゼルからは近すぎて、見えない場所での出来事だった。
少しだけ張り詰めたかのような空気に、僕にはウィリアムが…………
飼い猫のジゼルだと気付いた瞬間に思えた。
そしてウィリアムは、手を力無くパタンとおろした。
「……ありがとう。ありがとう、ジゼル」
囁くように告げると、彼は静かに目を閉じた。
呼吸がどんどん浅く弱くなっていき……
ついには止まってしまった。
ウィリアムは最愛のジゼルたちに見送られながら、息を引きとった。




