106:君のすべてにありがとう
クロエ姿のジゼルが、はにかみながらも、うつむいて目を閉じた。
ダークブラウンの長い髪が、ふわりと前に垂れる。
ジゼルは胸の前で両手を組み合わせると、口元に笑みを浮かべた。
僕は嬉しそうな彼女の様子を見届けてから、ゆっくりと目を閉じた。
そして呪文を優しく丁寧に紡ぐ。
蒼い月の日に、僕は〝人からの願いを叶える〟魔術師。
不思議で幻想的なひととき。
僕がこの魔法で、人を幸せにしたいと思う気持ちは、正しいことだと信じている。
長く続く、僕たち一族の想い。
けれどこの特殊な魔法は、幸せを呼びこむ時もあれば、不幸を呼びこむ時もある。
〝他者からの願いほど、残酷で尊いものはない〟
それは、蒼刻の魔術師たちの間で語り継がれてきた言葉だ。
だから……どんな願いでも叶える瞬間は……
こんなにも美しく魅了されるんだ。
僕の声に応えるように、魔法陣が蒼い輝きを放つ。
その外側に元始の魔法陣がさらに展開されると、強さを増した蒼い光がジゼルを包み込んだ。
そうして瞬く間に、僕たちの間に広がる世界は、美しい蒼色で埋め尽くされた……
ーーーーーー
魔法をかけ終わった僕がそっと視線を上げると、そこには、手を組み合わせたまま穏やかに目を閉じている女性がいた。
白いストレートの長い髪。
どことなく凛とした印象を受ける顔立ち。
その女性が僕の視線を感じてか、ゆっくりと瞼を持ち上げた。
すると、好奇心に満ちた青くてキラキラした瞳と目が合った。
彼女が目尻の上がった丸い目を細め、ニッコリほほ笑む。
「ディラン。ありがとう」
ジゼルは、ジゼル自身の姿で人間の女性になった。
ジゼル・フォグリアでも、無彩の魔術師クロエでもない姿だ。
僕は思わず彼女を抱きしめた。
ジゼルがここにいるのを感じたくて、回した腕にそっと力を込める。
「どこか痛む所は無い? 猫の部分とか残ってない?」
「うん。大丈夫だよ。フフッ。ディランのとっておきの思いなんだから、きちんと人になれてるよ」
ジゼルが楽しそうに、腕の中でクスクス笑った。
「ジゼル気付いてる?」
僕は少し体を離して、ジゼルの顔を覗きこんだ。
「??」
「白猫のジゼルが人の姿になってるよ」
彼女の頭を撫でながらそう言うと、僕は手を下に滑らせて、サラサラの髪の毛を一房掬い上げた。
ジゼルが僕の手元に視線を移し、緩くウェーブした髪じゃないのに目を丸くして驚く。
「え?」
ジゼルは部屋をキョロキョロと見渡し、月明かりの届かない窓辺に向かった。
そこに立てば、ランプの灯りに浮かぶ自分が、ガラスに映る。
彼女は窓に映った姿を見て、歓声をあげた。
「本当だ! 私の、姿だ……ねっ…………」
感極まったジゼルが、目を潤ませて僕を振り返る。
「ディランが……猫の私自身を求めてくれたんだ……」
「どんな姿でもジゼルを愛してるけど、1番好きなのは白猫のジゼルだから」
僕はジゼルに素直な気持ちを伝えた。
ーー良かった。
白猫のジゼルが人になったのは無意識だったけど、思いがけず喜んでもらえて。
嘘をついたつもりはなかった。
でも、狙ってしたわけでもなかった。
ただ……ジゼルの前では、どうしてもカッコつけてしまう。
「ディランッ!!」
ジゼルが泣きながら僕の胸に飛び込んできた。
「うわっ!!」
抱き止めたけれど、勢いに押されて後ろへよろめいた。
咄嗟に片手でジゼルを抱き寄せながら、ベットの上に尻餅をつく。
「……ごめんねディラン。この姿だと動きが俊敏になるようで……力加減が出来なくって」
一緒に倒れたジゼルが慌てて体を起こすと、眉を下げながら謝った。
彼女を抱き上げた僕は、膝の上で横座りにさせた。
「猫だからかな? ジゼルらしいね」
僕が思わず笑いながら言うと、頬を赤くしたジゼルが胸に顔を埋めて、スリスリ擦りつけた。
彼女の可愛い愛情表現だ。
「本当にありがとう」
ジゼルのくぐもった声が聞こえた。
僕は彼女の頭に頬を寄せて、大切に抱き込んだ。
ジゼルが僕の背中に回した腕の力を、ギュッと強める。
そしてモゾモゾと顔を動かし、僕を見上げた。
「こんな私でもお嫁さんにしてくれる?」
「もちろん」
「嬉しい。ディラン大好き!」
ジゼルが潤んだ瞳を細めて、満面の笑みを浮かべた。
彼女がどうしようもなく愛しくて、顔を近付けてキスを落とした。
もうクロエに拒否されることもないようで、ジゼルも目を閉じて応えてくれる。
しばらくしてから顔を離すと、真っ赤な顔をしたジゼルと視線がぶつかった。
「僕もジゼルが大好きだよ」
穏やかにほほ笑んで彼女に愛を伝えると、更に赤くなったジゼルが、目をギュッと閉じてうつむいた。
けれどすぐさま顔を上げて、僕をじっと見つめ返した。
そして照れたまま、ジゼルからも僕にキスをしてくれた。
唇を離すと、また僕にギューッと抱きつく。
そんなジゼルの様子がおかしくて可愛くて、笑いながら僕は彼女に聞いた。
「逃げないの?」
「……もう慣れたから大丈夫」
ジゼルがそろりと顔を上げて、あきらかな痩せ我慢を言った。
「じゃあ、もう待たないよ」
僕は笑みを消して、ジゼルを真剣に見つめた。
空気が張り詰め、彼女が固まったのが手に取るように分かった。
動けずにいるジゼルを優しくベッドに押し倒すと、覆い被さって抱きしめた。
彼女の早まっている心音が、僕にも伝わって来る。
けれど僕も、彼女に負けないほど胸が高鳴り、心の中はジゼルへの想いでいっぱいだった。
僕らは見つめ合い、お互いの緊張をほぐすようにまたゆっくりと唇を重ねた。
優しく顔を離すと、ジゼルは熱に浮かされたようにポーッと僕を見ていた。
僕はジゼルが愛おしくってたまらなくて……
無性に彼女を自分のものにしたくなった。
ジゼルの服に伸ばした僕の手を、彼女が真っ赤になって目で追う。
「……ぅぁあ……そのっ、ディランに見られたら恥ずかいって言うか……私の人の姿……変、じゃない?」
「変じゃないよ…………綺麗だ、と、思う……」
僕もつられて照れてしまい、言葉の端がしぼんでいった。
「ぅぅ…………でもやっぱり恥ずかしい……あ、目隠ししようよ。ディランだけっ」
「…………それは、普通じゃないかな」
彼女がジゼル・フォグリアとしての記憶を探り出してきたのか分からず、困惑して答えた。
「えっ、じゃあじゃあーー」
僕に身を委ねながらも、必死に逃れようとしているジゼル。
その様子が少し可哀想になって、思わず聞いてしまった。
「……やめとく?」
「!? 別に嫌なわけじゃなくって……」
「…………」
やっぱり盛大に照れているだけの彼女に、そんなに嫌がらなくてもと不貞腐れながら首筋にキスをした。
「ひゃあっ! あの……その……」
ジゼルがギュウッと目を閉じてから、ゆるゆると瞼を持ち上げて、青い瞳に僕を映した。
「初めてだから、優しくしてくれる?」
いっぱいいっぱいになったジゼルが、泣きそうな顔をしていた。
「頑張るけど……僕も初めてだから」
「!? そ、そっかぁ〜」
もう照れすぎて、何が何だか分からなくなってきたジゼルを見ていると、おかしさが込み上げてきた。
緊張している僕の力が、適度に抜ける。
「フフッ……あはは!」
「え? ディラン??」
不安そうにきょとんとするジゼルを優しく抱きしめて、彼女の耳元で告げた。
「愛してるよ」
「ひゃわ! ……耳弱いのにぃ」
むくれたジゼルが、くるんと回転して僕に背中を向けた。
脱げかけの服から白い肩が覗いている。
その肩越しにジゼルがチラリと僕を見てから、シーツに顔を伏せた。
彼女の白い髪がサラサラと流れて、端まで赤くなった耳が見えてーー
僕は愛おしい彼女に顔を近付けると、はむっと耳をくわえた。




