102:ピクシー(Reprise)
タナエル王子と僕は、鏡の迷路を歩き回っていた。
鏡には記憶の類は映っておらず、ただ無限に広がる迷宮を、彷徨う2つの影を映し出す。
まるで僕らの方が、鏡の国の迷子のようだ。
「……セドリックが1番やっかいってどういうことですか?」
僕は前を歩く王子の背中に投げかけた。
「セドリックはーー」
タナエル王子が何かを言いかけた時だった。
すぐそばで声が上がった。
「タナエル王子? その声は王子ですか!? っいて!!」
セドリックの声と共に「ゴンッ!」と何かがぶつかる音がした。
彼の声がした方に慌てて駆けつけると、おでこを押さえてうずくまるセドリックがいた。
「……いたた……タナエル王子、無事で何よりです。ディランも」
セドリックが少し照れながらも、すばやく立ち上がった。
彼は鏡に気付かず、おでこをぶつけてしまったようだ。
僕は空気を変えようと、すぐに話題を振った。
「……セドリックは〝真に求めるもの〟をもう答えた?」
「それはーー」
なのに、セドリックはますます頬を赤くして視線を泳がせた。
「??」
僕が不思議がっていると、タナエル王子が隣で不機嫌なオーラを醸し出した。
そして低い声で問う。
「セドリックも分かっているんだろ?」
……怖い。
僕が静かに引いていると、王子がセドリックに詰め寄った。
「前から思っていたが、臆病すぎる」
「…………」
「つまらないことを気にしすぎだ」
「…………」
「優柔不断で、結局後悔しているではないか」
「…………」
王子の怒涛のダメ出しが始まった。
セドリックの護衛としての資質を説いているのだろうか?
彼はとても優秀だと思う。
いつも主君であるタナエル王子を立て、時には身を挺して守り通す。
タナエル王子も、1番気を許している従者のはずなんだけど……
僕はセドリックが不憫になって、思わず口を挟んだ。
「タナエル王子……何もそんな続けざまに言わなくても……」
すると王子がジロッと僕を見た。
「セドリックは、クシュに想いを寄せていながら何もせず、ただ手をこまねいていたんだ。そしてあろうことか、今回の旅行でムカレの国にみすみす返してしまったんだ」
「へっ?」
僕は素っ頓狂な声を上げた。
まさかの恋の悩み!?
あんぐりと口を開けた僕は、目線だけ動かしてセドリックを見る。
「…………そんなんじゃないんだ。年も離れ過ぎているし……」
セドリックが苦笑しながら頭をかいた。
けれどタナエル王子の冷静な指摘が入る。
「8歳差なんて、ざらにいるではないか」
気まずそうにしたセドリックが、あくまでも僕に向けて説明を続けた。
「……ムカレの国で、ベルカント王子の手伝いがしたいって言っていたし」
またすぐに王子が答えた。
「そりゃクシュも王族だから、自国で責務を果たそうとするだろう。他国の誰かに嫁がない限り」
「…………クシュ姫は」
「王族だから身分が違いすぎるって? セドリックは大国である我が国の公爵家だろ? 小国の第三王女のクシュ……充分釣り合っている」
タナエル王子による、セドリックの言い訳封じが炸裂していた。
それがさらに加速する。
「そもそも、クシュもセドリックからの告白を待っていたようなものだろ? せっかく2人で居られるように、苦心してやったのに……」
「…………」
「それに、第3王子のレイウェルがクシュに興味を持った時に、あんなに近付けないように必死だったではないか」
「…………」
また、だんまりになってしまったセドリックに、タナエル王子も口をつぐんで深いため息をついた。
そしてセドリックをキッと睨んで言い捨てる。
「ウジウジするぐらいなら、奪ってこい!」
僕は思わず会話に入った。
「そんな……タナエル王子じゃないんだから……」
すると今度は、僕がギロリと王子から睨まれた。
……怖い。
そう思った時だった。
辺りが突然真っ暗になって、僕たちの立っていた地面も消えた。
「え?」
「!?」
「わぁっ!!」
ヒュッと下に落ちると、ポスンと何かフカフカな物に座る形で受け止められた。
体の強張りをゆるゆる解いていると、辺りが明るくなり目の前に円卓が現れる。
僕たちは、それぞれ1人掛けの上質なソファに腰掛けていた。
円卓を囲んで等間隔に置かれたその上で、僕らは顔を見合わせる。
「…………ここは?」
僕とセドリックがキョロキョロと見渡していると、あの老紳士姿のピクシーが不意に現れた。
そばには茶器セットが乗ったワゴンを連れている。
「残るお2人も、薄っすらと分かってきたようですね。……若き蒼刻の魔術師よ。いつものように、お話を聞いて差し上げればいかがですか?」
ピクシーがそう言って、円卓に紅茶を配っていく。
その横には、前に子供の姿だった彼へ渡したのとよく似たクッキーが、さりげなく置かれていた。
紅茶を配り終えると、ピクシーは音もなく立ち去りーーいつの間にか、姿を消していた。
今回のピクシーは随分気前がいい……
僕は目の前のティーセットを見つめながら、彼のやけに親切な態度に、どこか引っかかるものを覚えていた。
そんな僕をよそに、タナエル王子はクッキーをいち早く手に取り、いつものように流れる所作で優雅に口へと運ぶ。
「そうだな。セドリックを客だと思って、悩み相談をしてやれ」
王子は冷めた目つきで僕を見ると、自分は我関せずというように静かになった。
「…………僕、悩み相談が本業じゃないんですけど」
僕は苦笑をしながらも、セドリックに目を向けた。
彼も弱々しい笑みを浮かべて、僕を見つめている。
セドリックをお客様と思って……か。
「……セドリックは、クシュ姫のことをどう思ってる? 無理に言葉にしなくていいから、正直な気持ちを教えてくれないかな」
僕はゆっくりと穏やかに尋ねた。




