101:ピクシー(Reprise)
僕は前を歩くタナエル王子のあとを、小走りで追いかけた。
王子は鏡の迷路をズンズン進んで行った。
その鏡に僕たちの姿は映り込んでおらず、代わりに、僕の店に来た時のアレックス王子が映っていた。
鏡の中の僕に掴みかかって、アレックス王子が何かを叫んでいる。
音は再現されていなかったけれど、緊迫した様子が伝わってきた。
タナエル王子はそれをチラリと見ると、憎々しげに言い放った。
「このクソ王子はまた調子に乗り始めたな。隣国キールホルツの国王に、クリスティーナの件の時に忠告しておいたのに……そろそろ締め上げるか?」
「…………」
僕は返事をせずに、タナエル王子の独り言としてやり過ごした。
返事をしてしまうとダメな内容だ。
「……それで、クソ王子は1度帰ったと」
「はい。けれど、この時一緒にいたジゼルに目をつけたようです。今思うと、僕はタナエル王子の専属だとアピールしたのですが、ジゼルはしてなかった……もし専属だと言っていれば、攫われなかったのかもしれません……」
僕はセドリックを探して歩きながら、近況をタナエル王子に報告していた。
どうやら喋った僕の記憶が鏡に映るようで、初めは驚いていたタナエル王子が「分かりやすくていいな」と、いたく感心していた。
…………
帰ってから、魔法で同じことをしろって言われそう……
僕は好奇心旺盛な王太子様の背中を見つめながら〝魔法を編み出せと言われませんように〟と念を送った。
それから、アレックス王子にジゼルが猫の姿に戻されたこと。
猫のジゼルが今度はダレンに攫われたこと。
ダレンに無彩の魔術師クロエの姿に変えられたこと。
呪いの魔法を僕にかけたあとに、自身に引き受けたこと。
今はその呪いを蒼願の魔法で解いていることを説明した。
鏡の中には、タナエル王子がついさっき訪ねてきた時に、僕を見送ってくれたクロエ姿のジゼルが映っていた。
蒼い光が斜めに差し込む僕の部屋で、ニッコリ笑い手を振ってくれている。
「……で、何故ジゼルを元の姿に戻してやらないんだ?」
それまで歩いていたタナエル王子が、不意に立ち止まり僕を振り返る。
「…………」
僕もそれに合わせて歩みを止めた。
「そもそも、クソ王子から帰ってきた時に、元に戻しておけば、ダレンにやすやすと捕まらなかったかもしれないのに……」
タナエル王子が冷ややかに僕を見る。
「……さっきも言いましたが、僕のせいで危険な目にあうジゼルを、守れる自信がなくって……」
僕は後ろめたくて、王子の視線から目を逸らした。
「ジゼルを守れないって、守ってもらっているくせに都合がいいな。あんなに献身的に支えてくれるのだから、願いぐらい叶えてやればいいものを」
「タナエル王子はお強いですから。ミルシュ姫を守り切ったように。……でも僕には、向けられた悪意を全て薙ぎ払う自信がありません……ジゼルに守ってもらってるのは、ごもっともです」
僕は正直に答えた。
うつむく僕の耳に、タナエル王子の深いため息が届く。
「……私も自信があるわけではないぞ。何も1人で背負い込むわけではなく、2人で支え合えばいいではないか。今までそうだったように」
僕はゆっくりと顔を上げた。
タナエル王子が両手を腰に当てて、首をかしげてまた小さく息をつく。
呆れ果てながらも、彼のその瞳は優しかった。
「ディランが何だかんだで魔法を習得したり、磨いたりしているのは、強くなりたかったからだろう?」
「…………」
タナエル王子は、前にホリーも言っていたようなことを口にした。
けど魔法が強くなったのは、タナエル王子に命令されたからのような……
なのに、まるで自分から望んだみたいな流れになってるから、なぜか腑に落ちない。
「ディランも〝真に求めるもの〟を分かっていないくちだな。私の部下はやっかいな者が多い……」
「…………タナエル王子は分かっているんですか?」
僕の問いに、彼はニヤリと笑った。
「よく見ておけ」
タナエル王子がすぐそばの鏡と向かい合った。
するとその鏡だけ周囲が黄金色に光り、縁取りが下から上へと現れた。
美しい植物と曲線のレリーフが鏡を囲む。
同時に、鏡の中にはタナエル王子が映っていた。
「ピクシーよ、聞いているか? 私が〝真に求めるもの〟それは……どんな時も他者を、己を、信じられる揺るぎない心の強さだ!」
彼は、鏡の自分に向かって真っ直ぐに宣言した。
それに呼応して鏡が光り輝くと、中に見たことのない王様が現れた。
内装は今とは少し違うけれど、グランディ国のお城の謁見の間に彼はいた。
王様は立派な椅子にゆったりと腰掛け、威風堂々とこちらを見ている。
「…………」
鏡の中の王様を魅入っているタナエル王子が、一歩踏み出した。
すると不思議なことに、彼の足は鏡の中へとぬるんと入ってしまった。
王子は何食わぬ顔で、そのまま全身を中へと入れる。
「え? タナエル王子!?」
僕は思わず手を伸ばしたけれど、鏡に阻まれてしまう。
その間に、タナエル王子は鏡の中の王様の前に進み出た。
何かを喋ると優雅にカテーシーをする。
ええっ!?
頭を下げてるタナエル王子を初めて見た!!
僕が目を見張って驚愕していると、鏡の中の2人は何やら話し込んでいた。
時折り国王様がフッと笑う。
タナエル王子はわずかに眉をひそめていた。
しばらくそんなやり取りが続くと、タナエル王子が満足そうに、僕に向かって歩き始めた。
そして入った時と同じく、何事もなかったかのように自然に出てきた。
「とても有意義な体験ができた」
どこか嬉しそうなタナエル王子が、鏡の中を見ながら言った。
もうそこには何も映っていないけれど、彼はスッキリした表情を向けていた。
「……誰だったんですか?」
「5代前のグランディ国の王だ。私の理想とする名君の1人で、ある決断を下した時の考えを聞いてきたのだ」
「……それが、揺るぎない心の強さにつながるんですか?」
僕が聞くと、タナエル王子は鏡に目を向けたままフッと笑った。
「そうだ。王たる者はいつも決断の連続だ。迷いの中を先陣をきって進む。1度決めたことは信じ通すべきだ」
そう言い切った彼が、ゆっくりと僕を見た。
「けれど私はまだまだ未熟でな、揺らいでばかりだ」
タナエル王子が柔らかく笑った。
「!! タナエル王子でも、自信がない時があるんですか!?」
「……常に自信があるように振る舞っているため、褒め言葉と受け取ろう」
彼はフイッと顔を背けた。
そしてそのまま僕に背中を向けて歩き出す。
……照れてる?
タナエル王子と付き合いが長くなってきた僕は、何となく彼が恥じらっているのが分かった。
王子なりに僕を励ますために、心の内を見せてくれたのだろう。
心の奥が熱くなった僕は、静かにほほ笑んで王子を追いかけた。
僕が追いつくと、タナエル王子が背中越しに喋る。
「〝真に求めるもの〟を1回目で言い当てたので、褒美として5代前の国王に会わせてくれたらしい。粋なピクシーだな」
「…………でも」
「分かっている。相手は魔法で生み出した幻影のようなもの。それでも、かの国王らしい納得のいく回答が得られた」
いつもより優しい声色のタナエル王子に、僕も和む。
……その直後、恐ろしい呟きが聞こえた。
「この世界は面白いな。実に気に入った」
…………
僕は好奇心旺盛な王太子様の背中を見つめながら〝またこの世界に来たいって言われませんように〟と再び念を送った。




