100:ピクシー(Reprise)
その頃元気になったジゼルは、1階から人の気配が消えたことに気付いていた。
喋り声だけでなく、物音さえしなくなったことを不思議に思い、彼女はゆっくりと階段を降りていく。
「……ディラン?」
生活スペースからお店に続く扉から、ひょこっと顔を覗かせてみても、そこには誰もいなかった。
「…………?」
小さな違和感を感じ、店の中を見回していると、カウンターに何かが置かれているのに気が付いた。
そこには丸い缶があり、折り畳まれた蒼いメッセージカードも添えられていた。
ジゼルはそのカードを手に取って、書かれている文字を読んだ。
「なになに〝この前はクッキーありがとう〟……いつかのピクシーだ!」
驚いてジゼルが目を丸くする。
けれどクッキーが喜んでもらえたと分かり、カードに向かってニッコリほほ笑んだ。
最後まで読み進めると〝お礼にキャンディをどうぞ〟と締めくくられている。
ジゼルはカードをいったんカウンターに置いて、ワクワクしながら缶を開けた。
中には色とりどりの楕円形のキャンディが、ぎっしり詰まっていた。
「わぁ! 美味しそう」
ジゼルはどれにしようか少しだけ迷うと、ピンク色のキャンディを摘み上げて口に入れた。
「…………ディランたち、ピクシーの世界に行ったのかな?」
ジゼルはキラキラ輝く宝石のようなキャンディを見つめながら、名残惜しそうに缶の蓋を閉めた。
「時間かかるだろうから、お風呂に入ってこようかなー。ホリーが拭いてくれてたけど、寝込んでて入れてなかったし……」
彼女は独り言を続けながら、生活スペースへと移動する。
キャンディを口の中でコロコロ転がすたびに、甘い味が広がった。
「うん。このキャンディを食べ終えたらそうしよう!」
ディランたちがピクシーの所にいると分かり、ジゼルは心配することなく、さっそくいつもの日常へと戻っていった。
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ピクシーの世界に連れ込まれた僕は、目を開けると自分の顔が間近に見えて驚いた。
「うわっ! って鏡か」
目の前の大きな鏡を、思わずペタペタ触る。
その時、視界の端で何かが動いた。
慌てて振り向くと、そこにも大きな鏡があった。
「……なんだ、僕が動いたからか」
ホッと息をつき、あらためて辺りを見回す。
どうやらここは、鏡に囲まれた空間のようだ。
……鏡の迷宮?
薄っすら蒼い光の中、鏡の中にたくさんの僕がいた。
ちょうど合わせ鏡になっており、鏡の奥へ奥へと世界が広がっている。
見上げると天井までも鏡に覆われていて、酔いそうな感覚に襲われる。
それから、ここに来たはずの王子たちを探してキョロキョロしていると、鏡の中に老紳士姿のピクシーが現れた。
どういうわけか、鏡の中の僕の背後に彼が立っていた。
……ここはピクシーの魔法の世界だから、不思議なことしか起きない。
僕はそう改めて自分に言い聞かし、老紳士をしっかり見据えた。
彼は、僕の気持ちを見透かすかのように目を細める。
「ようこそ。ここは鏡の迷路。彷徨える魂の救済。そしてーー貴方たちが真に求めるもの。それが分かれば私はおのずと捕まるでしょう」
ピクシーが恭しくカテーシーをした。
「……真に求めるもの?」
僕が戸惑っていると、目の前の鏡から僕もピクシーも消えて、クロエ姿のジゼルが映った。
鏡の中でほほ笑む彼女が、胸の前で両方の手のひらを並べ、鏡にペタリとくっつける。
「…………」
偽物だと分かっていたけれど、僕はその位置に合わせて、自分の両手を鏡越しに重ねた。
求めるもの?
それは……
「大切な人たちが、幸せに暮らせることだけど……」
鏡の中のジゼルが頭を振った。
ダークブラウンの長い髪がふわりと揺れる。
その光景をぼんやり眺めていると、不意に鏡の中が真っ黒になった。
両手を合わせていたジゼルも消えてしまう。
すると目の前の鏡に、タナエル王子が映り込み、彼が喋った。
「やっと見つけた」
「タナエル王子! ……お怪我はありませんか?」
本物だと気付いた僕は、すぐさま振り向いた。
彼の様子が気になって、全身をさっと見渡す。
魔術師じゃない人とピクシーの世界に来たのは、初めてだった。
蒼の魔力が強いこの世界で、タナエル王子たちの体に影響がなければいいのだけど。
「あぁ。……ここは何だ? 今しがた鏡の中にあの老人が現れて、寝ぼけたことを言われたのだが」
タナエル王子が眉間にシワを寄せた。
よく分からない所に連れてこられて、すこぶる機嫌が悪い。
けれどいつもと変わらないその様子に、元気そうだと安堵する。
「彼はピクシーです。日によって姿を変えるイタズラ好きの妖精で……蒼い月の日に、僕たち蒼刻の魔術師の魔力に惹かれて、遊ぼうと寄ってくることがあるんです。そして勝手に彼らの作り出した世界に連れて来られます」
「ふーん……なるほど。以前にピクシーが子供の姿で現れて、ジゼルと共に来た……と」
「なんで分かるんですか!?」
目を見張る僕に、タナエル王子が背後を指し示した。
「ディランの後ろの鏡に映っている」
「え?」
急いで振り向くと、王子に言われたその鏡に、以前来た時の光景が映っていた。
ちょうど猫耳尻尾の子供の僕たちが、長い階段を登っている場面だ。
「でも何故、猫で子供なんだ?」
「……ピクシーのいたずら?」
僕は質問を質問で返した。
王子はさらに眉をひそめる。
「…………戻る方法は?」
「いつもはピクシーを捕まえたら戻れます。けれど今回は僕たちの〝真に求めるもの〟が分かれば、元の世界へ返してくれるそうです」
「……そうか……」
タナエル王子が「ふむ」と納得すると、僕に背中を向けた。
「行くぞ」
「……っどこへ?」
スタスタと歩き始めたタナエル王子を、僕は慌てて追いかけた。
「セドリックを探す。あいつも〝真に求めるもの〟を聞かれているのだろう? 1番やっかいだ」
タナエル王子が何故か難しい顔をして言った。




